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179:「変形の束」を体現するカーソル/ポインタ

佐々木正人・鈴木健太郎による論文「行為の中心にあること」を読んだ.この論文では,行為そのものにおける「変形」と「探索」という二つの側面が記述し,考察されている.

変形

私たちが行為に発見できるのは「形(form)」ではなくじつは「変形(transform)」である.p. 456

そして,佐々木と鈴木はスポーツ選手や視覚障害者のリハビリでの観察を通して得られた考察から,行為とは「変形の束」であるとする.

「変形」とは行為と知覚情報との調整(regulation)である.冒頭に述べたような,私たちは行為について因果的に語ることが多い.しかし,じつは私たちが他者の行為に実際に発見していることは,ここで述べた意味での「変形」なのではないか.環境に存在する知覚的情報と緊密な関係をもちはじめた行為に起こる変化なのではないか.とすれば,他者に観察できる行為とはそれ自体不断に変化する「変形の束」であることになる.他者に変化を発見するということは,まずは新たな行為の「変形」の誕生に出会うことなのではないか.行為を導く情報は環境中に無限で存在している.したがって行為に現れる「変形」も限りない可能性がある.その一つ一つを記述することが行為を知る唯一の方法である.したがって他者理解は知覚を基礎にしているはずである.p. 460

この記述を読んだとき,私はFluid Design 以前のインターフェイスデザインは「変形」の段階にあるのではないかと考えた.ポインタの形を見ていくと,サザランドが開発したスケッチパッドのライトペンと対になるポインタは「十字」であり,エンゲルバートらが開発したNLSにおけるマウスと対になるポインタは「上向き矢印」という「形」をもち,それらは「変形」することはなかった.それは,画面上の何かを選択するという固定された行為に最適化した形だったからだと考えられる.

Alto以降のカーソル/ポインタは,通常は「斜め矢印」だが,ディスプレイ上で行われる行為に応じて,形を変えるようになっていく.「文字入力」であれば「Iビーム」になり,「塗りつぶし」であれば「バケツ」になるといった感じである.Alto以降のカーソル/ポインタは変形することによって,インターフェイスを「行為と知覚情報との調整」が行われる平面として明確化されたと考えられる.しかし,それはまだ「変形の束」になることはなく,タスクに応じて一度だけ変形するものであった.

タッチパネルになって,カーソル/ポインタがディスプレイから消えて,指が画面に直接触れるようになって,「行為と知覚情報との調整」がカーソル/ポインタではなく,ディスプレイで選択されるインターフェイスのエレメントが「変形」するようになった.指の変化とインターフェイスの対象との変化が重なり合えって,マイクロインタラクションという「変形の束」がディスプレイ上に生じるようになった.この変化を明確に原理として示したしたのが,Fluid Designだったと考えることができる.

探索

「変形を達成した行為」とは知覚情報によってトリガーされる「定型」なのではない.「変形」の達成とは知覚情報にたいして,つまり環境にたいして限りなく柔軟なマイクロな過程の習得なのである.「変形」とは,情報に「応答する」ことではなく,どこまでも,行為が環境に接触する最後の局面まで情報を探索しつづけることなのである.決定は最後まで遅延されている.p. 461

Fluid Designまでのカーソル/ポインタは変形はするが「定型」的だったといえる.「塗りつぶし」で「バケツ」に変わるが,それはインターフェイスにおける対象との関係ではなく,これから行う行為をユーザに明確に示すための変形であった.それが,Fluid Designで「変形の束」がディスプレイ上に生まれた.ヒトの行為に応じて,インターフェイスの対象が微細な変形をして,その後の行為を誘発し始めたのである.この延長線上で設計されたiPadOS のカーソル/ポインタは,システムがインターフェイスにおけるヒトの行為をインターフェイス上のオブジェクトとの関係で探索し続けた結果として,ヒトの行為とオブジェクトの関係において変化する「変形の束」を体現するものになっている.

iPadOS のカーソル/ポインタで重要なのは,システムがヒトの意図を探索するようになり,変形を一度だけのものではなく「変形の束」として表現できるようになったということである.カーソル/ポインタとそれ以外のインターフェイスのエレメントとのインタラクションを設計して,ヒトの意図があたかも予測されているかのような状況がつくられている.それは,情報処理能力とディスプレイの解像度の向上が「フラットデザイン」を可能にしたのと同様に,デバイスの技術的向上によって,カーソル/ポインタがヒトの行為とインターフェイスという環境に位置するオブジェクトとの関係において最適なかたちを探れるようになった.その結果として,カーソル/ポインタが手と対象とのあいだ起こるような「変形の束」を体現するようになったのである.

追記:2021/05/21
行為を誘発するようにインターフェイスのオブジェクトを動かす.それは,行為は動くことで次の行為をつくっていくからである.インターフェイスにおいては,ヒトのみが動くのではなく,コンピュータもまた動き,ヒトの行為を探索している.それは,ヒトとオブジェクト双方が動きつづける物理世界に近い状態である.しかし,オブジェクト自体がヒトの行為を予測するということは物理世界にはないインターフェイス特有の状態だと考えられる.iPadOSではコンピュータによるヒトの行為とオブジェクトとの関係の探索が,ヒトのエージェントとしてのポインタの変形を促している.

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