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203:死ぬことを見せることができるアート

千房 「輪廻転生」展は,メディア・アートはすぐに死んでしまう,残すことができないという問題意識からスタートしたんですけど,展示をやって,メディア・アートは死ねるアートだと思ったんですよね,逆に.死ぬことができる.死ぬことを見せることができるアート,っていう発見が,今回にもつながっている気はしますね.p. 174

「美術手帖2020年12月号」の「Interview with EXONEMO 技術を単語として、新しい詩を書いている 聞き手=四方幸子」からの引用.

千房が「メディアアートは死ぬことを見せることができるアート」であると言っている.この着想を得た「メディアアートの輪廻転生」展で展示されていた作品は,すべて動かないものであった.エキソニモはUN_DEAD-LINK展では作品を動かした.しかし,完全なかたちでは動かさなかった.エキソニモは,UN_DEAD-LINK展で展示した初期のネットアート作品のソフトウェア部分を生かしながらも,インタラクションが「死んだ」状態で展示することを選択した.そして,ディスプレイやプロジェクションで表示されている映像は単なる記憶映像ではない.展示のオーディコメンタリーを聴くとわかるのだが,作品のソフトウェア部分は現在のインターネットから情報をとってくるために再制作が行われていたり,当時の状況を再現するためにインターネットアーカイブに保存されている情報を使ったりと,多くの工夫がされていて,当時を再現するにしても,当時の記録映像ではなく,今の状況での情報が処理されている.この点で,ソフトウェアは「生きている」状態を可能な限り選択したと考えられる.

では,ハードウェアはどうだろうか.ハードウェアは作品発表当時のモニターが選択されたり,当時の展示に使ったコンピュータが使われている.ソフトウェアが現在のデータを使うこととは逆に,当時の状況そのものを保存しようとしている.これは,物質は経年劣化を起こしていたとしても,そこに存在することで「生きている」状態にあると言えるからだろう,

ソフトウェアは現在のデータを可能限り処理するようにされ,モノは当時の状況が選択されているが,メディアアートの本質と考えられる「インタラクション」は「死」が選択されている.これは新型コロナウィルスがもたらした現状が大きな影響を与えていることは確かただが,それ以上に,メディアアートにおける物質性をあらためて考えさせることになっていると考えられる.

そして,ソフトウェア,ハードウェア,インタラクションとメディアアート,そして,ネットアート作品を生と死という論点で考えると,これらのアートには生と死に関して様々な選択肢があると言える.ここは生かして,あちらは「殺す」など,作家は作品の生死を,アーティストがランダムに確率的に設定できる.だから,作品が死んだ状態も選択可能となっている.鑑賞者は確率的に設定された生と死で構成された作品を体験し,UN_DEAD-LINK展では,鑑賞者はエキソニモが選択した生死が曖昧な初期ネットアート作品を体験するなかで,インタラクションに限定されない,作品に関する現象を意識にあらためて立ち上げて,作品とのあらたなリンクを切り結ぶことになるのである.


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