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138:「頭の再配線」とともに世界認識を強制的に更新していく作品

現代物理学のもっとも奇妙な発見の一つは,世界は一種のホログラフィック画像だということである.しかしもっと驚くべき点は,ホログラムを構成する画素の数が,対象とする領域の体積ではなく面積にのみ比例することである.あたかも,ある領域の三次元の中味,すなわち体積にして十億ボクセルが,わずか百万画素しかないコンピュータの画面上に表現できるのと同じなのだ! 壁と天井と床で囲まれた巨大な部屋の中に自分がいると考えてほしい.大きな球面に取り囲まれていると考えていればもっとよい.ホログラフィック原理によれば,あなたの鼻先を飛ぶハエは,実際には部屋の二次元の境界の中に格納されたデータの一種のホログラフィック画像である.実際,部屋の中のあなたやあなた以外のすべてのものは,境界に置かれた量子ホログラムに格納されたデータの画像である.そのホログラムはボクセルではなく,小さな画素の二次元配列で,それぞれがプランク長と同じ大きさである! もちろん,量子ホログラムの性質と三次元のデータを符号化する方法は,普通のホログラムの方法とはまったく違う.しかし,三次元の世界が完全に混ぜられている点は共通している.p. 442

現代物理学の「ホログラフィック理論」は,私たちの直観に一致しない.けれど,一つの発見であり,私たちの「頭の再配線(サスキンド)」をするには興味深い理論である.相対性理論と量子力学が時空に関する考えを再配線していたとき,キュビスムなどのあらたな世界の認識方法が生まれたように,現代物理学が示すホログラフィック理論というあらたな「頭の再配線」とともに世界認識を強制的に更新していく作品があるのではないだろうか.

《景体》は「ホログラフィクなサーフェイス」を示しているのではないか.そこにはサーフェイスしかないように見える,認識とともにバルクが生じるときがあるような奇妙な物体なのではないだろうか.しかし,それは「景色」という,視界というフレームにおけるバルクを持たないサーフェイスでもあり続けるように作成されてもいるものではないか?

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ヒトが摩擦攪拌接合のプローブのように「物体」と「景色」を混ぜ合わせていく.そこに,「景色」でありつつ「物体」でもあるような「物体」と「景色」という二つのサーフェイスを攪拌したあらたなバルクが生じているのではないだろうか.目の前にあるのは一枚の黒いうねりを持ったサーフェイスでしかないしれないが,そのサーフェイスは視界のフレームに切り取られたもう一つのサーフェイスと混ぜ合わされ,見ているヒトのなかに架空のバルクを生じさえていく.

《景体》は,ホログラフィック理論のように二次元のサーフェイスにすべての情報が格納されていて,見るヒトの視点がそれらの情報をかき混ぜて,あらたなサーフェイスをつくり,そこから三次元の架空のバルクを立ち上げている.そこでは,モノがバルクとサーフェイスとからなるのでなく,モノを含めた世界にはサーフェイスしかなく,サーフェイスからバルクは生じている.そして,サーフェイスから生じる架空のバルクが,ときにサーフェイスとうまく接合してモノを形成することもあれば,ときにサーフェイスから分離してしまって「景色」となることがあるのではないだろうか.そして,接合と分離とのバランスを調整すると《景体》のような作品が生まれるのではないだろうか.

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