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161:it-there-realm📱エキソニモ《realm》の考察💻

私はエキソニモの《realm》を,まずはiPhoneで体験した.iPhoneのディスプレイをタップすると指紋のイメージがついた.きっと,ディスプレイには,私の指紋がついたけれど,それは見えない.見えるのは,白い指紋のイメージだけであった.

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スクリーンショットに映っているのも,私の指紋ではなく,ディスプレイに表示された指紋のイメージである.指紋の奥にはどこかの公園のような緑が見えるけれど,ボケていてあまりよく見えない.少し時間が経つと,私がタップしなくても,白い指紋は増えていって,さらに緑の風景は見えなくなっていく.

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風景は切り替わっていくが,指紋のイメージは風景と私とのあいだに残り続けている.私が私のiPhoneに残す指紋は見えないままであるが,私が触れたところには白い指紋が残り続けている.ディスプレイのガラスの奥のピクセルの光が,私のタップの痕跡を白い指紋として残し続ける.

その結果,白い指紋がディスプレイのほとんどを覆ってしまい,その奥の緑の風景はほとんど見えなくなる.緑の風景がほとんど見えなくなる前から,私は「You can't see there from your mobile」を理解し,体感している.私のiPhoneからは緑の風景を見ることができない.私が見ることができるのは,ディスプレイを覆う白い指紋の集積である.

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「You can't see there from your mobile」をタップすると「You can visit there from your desktop」とでてくるので,私は「there」=緑の風景を訪れるために,私のMacBook Proを開き,Safariを開き,エキソニモの《realm》にいく.

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デスクトップにいくと,私は緑の風景=「there」を見ることができた.そこには,霧のようにもやっとした白い塊がある.先ほどのiPhoneでの体験から,この白いものが,スマートフォンのディスプレイを覆う白い指紋の集積であることをすぐに理解する.私のiPhoneのディスプレイをタップすると,そのタップに即応じて,MacBook Proのディスプレイが表示している白い塊にも白い指紋が現れるので,iPhoneとMacBook Proに現れている白い塊が同一の存在であることがわかる.

デスクトップの方の《realm》には,「You can't touch there from your desktop」 と記されている.確かに,私のMacBook Proからは「there」に触れることはできない.しかし,ここでの「there」は何を示しているのであろうか.白いモノリスのような塊に触れることができないであれば「it」になるであろうから,ここでの「there」は,白い塊を含んだ緑の風景そのもの触れることができないということだろうか.MacBook Proのディスプレイはタッチパネルではないから,確かに触れることはない.では,タッチパネルを搭載したパソコンならどうだろうか.やはりそれでもディスプレイには触れることはできるが,白い指紋を残すことはできないから,ディスプレイのガラスの奥の緑の風景に触れることはできないのであろう.

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私は私のiPhoneのディスプレイに触れて,MacBook Proのディスプレイで自分が何に触れているのかを見る.しかし,MacBook Proでは自分が見ているものに触れることはできない.ディスプレイ自体に触れることもなく,たとえ触れたとしても,ディスプレイのガラス,白い塊までの緑の風景の空間そのものが,私が白い塊がつくるモノリスのようなものに触れることを妨げる.私は白いモノリスのようなものを含んだ緑の風景を「there」として見ることはできるが,そこには触れることができる「there」はない.

iPhoneに戻って,再び,白い指紋に覆われたディスプレイを見る.そこでは,緑の風景の手前に白い指紋がある.MacBook Proが示した緑の風景の空間そのものの手前に白い指紋が残るレイヤーがあって,その先が見えないようになっている.しかし,そのレイヤーに触れることは,MacBook Proではどうしても超えられなかったディスプレイのガラス面と緑の風景の空間そのものを超える行為になっている.私の指はiPhoneのタッチパネルのガラスを通して,その奥のレイヤーに白い指紋をつけ,それはMacBook Proのディスプレイのガラスの奥に広がる緑の空間に現れている白いモノリスに触れる.しかし,空間そのもの=thereには触れることができないままである.私が触れることができるのは,白いモノリスという「it」だけである.

私は「there」には触れることも,見ることもできないまま,エキソニモの《realm》=領域を体験している.「it」には触れることができているが,「it」は「there」の一部でありつつ,その背後を隠すものにもなっている.私がiPhoneのディスプレイに触れるほど,「it」の存在が明確になり「there」は見えなくなっていく.しかし,「it」を含んだものとして「there」を捉えることも可能である.「there」そのものが変化すると考えると,どうだろうか.

iPhoneとMacBook Proとを行き来しながら,ディスプレイに触れ続け,見続けると,私は「there」を見ることも,触れることもできるようになっているのではないだろうか.モバイルからは見ることができなくても,デスクトップからは触れることができなくても,双方を行き来すれば,私自身は「there」を見ることも,触れることもできる.このように考えたとき,私は「there」を含んだ一つの「realm」=ある領域に内包された存在になっている.それは,「it」と「there」とを含んだより大きな「realm」に自分を委ねることかもしれない.




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