見出し画像

225:ヒトはデジタルオブジェクトを「オブジェクト」として感じられるようになる

過去の自分のテキストの結論を書き換えつつ,今の研究につなげる作業🏗

かつては,一つの道具の統一性が問題を提起していた.諸々の精神と創造者たちが,彫像の素材のうちにイデアを記入したという意味において,彫像に関する技術が彼らの役に立っていた.形相が,それによって生気を与えられていた質料のうちに降下するという,製作に関するアリストテレスの概念が取り上げ直されていた.イデアが優位を占めていた.本書は,アリストテレスが考慮した四原因のほかに,五番目の要因を考慮せねばならないのでは,と問うてさえいるのだ.それは,非常に巧みに接着された再編成を可能にするアセンブラあるいは網目(レティキュレール)である(飛行機の翼,タービン,スポーツカーなど).重要なものはなんだろうか.それは,組み立て装置(モンタージュ)を可能にするものである.現代の接着は,「物体」の構想および生産と同時に「物体」という観念をも刷新するだろう.

フランソワ・ダゴニェ『ネオ唯物論』

感覚の同時性の設計は感覚を現象に対して接着させる試みかもしれない.そのためには,ハードウェアを制御するソフトウェアが必要となってくる.ハードウェアのみでは,感覚はハードウェアに接着してしまう.ソフトウェアでハードウェアを制御することによって,そこで生じる現象に感覚を接着させることができる.逆なのだろう,ソフトウェアの制御でハードウェアから感覚を分離して,制御した同時性をつくる=感覚を接着させることで,はじめて現象が生まる.そして,その現象がデジタルオブジェクトに実在性を与える.

対象(オブジェクト)とは、経験された内容というあらかじめあたえられた表面を、人間がかき集めることによってつくりだされた幻想にすぎないというのだ。これに対してわたしは、実在はオブジェクト指向的であると主張する。実在を構成するのは、もろもろの実体以外のなにものでもない。それらは、たんなる物体のような硬い塊ではなく、不気味さを少々まとった怪奇的な実体なのである。事物を、その特性や、他のものに対する影響へと還元することを辞める時、実在との接触がはじまる。

グレアム・ハーマン「現象学のホラーについて」

ソフトウェアが実在を隠蔽しつつ,制御してきたということは,インターフェイスの歴史そのものであろう.回路基盤で何が起きていることは意識することなく,画面上のオブジェクトを動かすことで,コンピュータを操作する.しかし今,そのインターフェイスは隠蔽してきた実在を「デジタルオブジェクト」というあらたなかたちで現そうとしている.デジタルオブジェクとは,ハーマンが「不気味さを少々まとった怪奇的な実体」と呼ぶものなのだろう.それはソフトウェアによって制御されるソフトな実在で自在にかたちを変えながら,ヒトやオブジェクトを相互に接着し続けていく.

この振動存在論は,いくつかの単純な前提から始まる.人間の知覚を差し引けば,すべてが動く.静的なものは,知覚のレベルにおいてのみそうである.分子や量子のレベルでは,すべてのものは動いており,振動している.同様に,ある実体に時間の持続性を与え,それを持続させる「物体性」は,人間の知覚とは無関係の出来事である.必要なのは,ある実体が他の実体によって物体として感じられることである.すべての実体は,他の実体を感じることができる,あるいはその振動を感じることができる潜在的なメディアである.これは奇妙で,動揺し,神経質なものではあるが,現実主義である.振動力の存在論は,サウンドシステム(ソニックネクサス),その振動の存在論(リズムマナリシス),その伝染の様式(オーディオウイルス学)の感情的代理性の背景を形成している.振動のエコロジーの議論は,その第一のアモーダリティと第二のソニックへの親和性から,オキュラーセントリック(支配的な感覚様式としての視覚に基づく)なサイバースペースの概念に対抗し,アナログとデジタル領域を横断する仮想空間の概念に貢献するものでもある.

Steve Goodman『Sonic Warfare: Sound, Affect, and the Ecology of Fear』

振動=ハプティックを通して,インターフェイスを介して向かい合うデジタルオブジェクトとヒトとが結ぶつけられると考えるのは大袈裟だろうか.視覚中心ではなく,触覚,そして,聴覚という振動による知覚によって,デジタルオブジェクトのリアリティが強調される.視覚がオブジェクトの位相を同一のものとして扱うとすれば,「振動する実体は,常に自分自身と位相がずれている実体」と言えるというのは,そうかもしれない.「一」でありながら,振動によって「多」となり,他のオブジェクトに影響を与えいく振動.振動を介してのつながりがつくる関係の網目から,ヒトとデジタルオブジェクトとの関係を考える.「ある実体が他の実体によって物体として感じられる」ために必要な潜在的なメディアとしての振動.潜在的なメディアとしての振動を,デジタルというメッシュを通して,波形ではなく点の集合にまで縮減して捉えることで,はじめてできる操作があり,設計できる感覚がある.点として操作される振動を介して,「ある実体=デジタルオブジェクトが他の実体によって物体として感じられる」ような感覚の同時性がデザインされる.点の集合としての振動をデザインして,触覚と聴覚に与えてつくる「テクスチャ」という観点から,デジタルオブジェクトを考える.テクスチャをつけることによって,ヒトはデジタルオブジェクトを「オブジェクト」として感じられるようになる.

しかしこのことがわかるのは,現象学をつかって,確定的で概念が浸透した世界よりも下部にある世界へと到達したとき,つまり普通なら分析の開始点とされるような世界よりも下部の世界へ到達したときである.これまでの哲学史のなかで聞かされていたことを越えて,それ以上のことをこうやって述べることによってのみ,アリストテレスのように常識に近いところにいる哲学者たちがつねに想定していたこと,すなわち,わたしたちは宇宙[コスモス]と接触しているということを理解できる.ただし,わたしたちはいま,そうした宇宙との接触は,脱身体化されて切り離された観想的能力によるのではなく,ものごとに適切に対処するために自分の方向を定めることができるような状況関与的で能動的な物質的身体のおかげだということを理解できる.p. 225

ヒューバート・ドレイファス,チャールズ・テイラー『実在論を立て直す』

知覚と行為とはひとつのサイクルであって,世界との因果的つながりから,意味が生じる.脳と身体とが生まれてから,活動を止めることがなく情報処理をし続けることからヒトの認識を考えるべきではないだろうか.情報はつねに入力され続けていて,途切れることなく処理されて,出力されて,フィードバックされる,同時に,別のあらたな情報がやってくる.絶え間なく変化し続ける情報に囲まれた「状況関与的で能動的な物質的身体」にいかにアプローチしていくのか.非意識的領域,前言語的領域の情報を制御することで,物質的身体をとりこかむ状況に変化を与え,ヒトに能動的と思わせつつ,精密に設計された感覚刺激による受動的な(=コンピュータによって予測された)行為を行わせる.非意識的領域,前言語的領域からヒトの行為にアプローチして,その知覚と認識を考えていくと,そこに現れるのは設計の自由度が高いデジタルオブジェクトなのかもしれない.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?