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社会人4年目会社を辞めた矢先に身動き取れなくなり途方に暮れる女の話

 先にお断りしておきますが、これは誰かに有益な情報を差し上げる記事でもないし不幸自慢がしたいわけでもない。単純に自分の現状の把握と記録のためである。悪く言えば「イタい自分語り」。ただ、同じ状況の方は共感できるかもしれない、視野を広げたい方には何かの気づきになるかもしれない、という想いでnoteをはじめた。

 何のことはない、本当によくある「コロナで予定が狂ってしまった」どこにでもありふれた話だ。しかも、私は平日の昼間から米津玄師でも聞きながら実家の一室でこれを書いている。全然不幸じゃないし、援助すべき人はもっと他にいる。

 それでも私は途方に暮れているし、はらわた煮えくりかえるほどに怒っている。相対的に見れば幸せだしすべて「自己責任・自分で選んだ道」でしかない。しかし絶対的にめちゃくちゃ運が悪い。ほんと、これからどうしよう。

・これまで

長々と前置きを書いたけど、何が言いたいのか全然わかんない。なんで途方に暮れてるのかちょっと聞いてください。

 地方の公立大を卒業し、なんとか就職。地方都市で一人暮らしを始めたこともあり、会社のおっさんたちからも「数年ぶりの新入社員」ということでまあかわいがっていただいた。まだ夢と希望にあふれ安定を求めていた。

 半年ほどたって気づくのだが元弊社、女性社員が少ないしほとんどが事務職(私も一般職だった)、接客業でもないのに女性だけ制服着用、当然のごとくお茶くみ。おっさんたちの話しを聞いていても感じられる。古代の文献で確認されすでに滅んだ(大学の講義でみた)とされる「高度経済成長期とバブル期のビジネス」の残り香を強く放っていた。もちろんいい面もたくさんある。しかし、毎月同じ作業を正確にこなすという事務職の性質も相まって、どうしても私に合わなかった。現状を変えようと思っても、ザ・ホモソーシャル、発言権のある地位にたどり着くだけで人生を費やしそうな予感がした。望んでも他人は変えられないのなら己が変わるしかない。

 これまでやりたいと思っていたけど結局しなかったことをしようと思った。最初に思い付いたのは「海外に行きたい(ふんわり)」というものだった。いくら売り手市場の労働市場とはいえ特殊な資格を持っているわけでもなく、語学が堪能なわけでもなく、実績や経験があるわけでもない、ペーペーの女がのんのんとしているだけで生きていけるほど社会は甘くないことくらい理解している。

 「海外に行きたい(ふんわり)」をかなえるためになにかスキルか資格かお金を稼ぐ手段かなにかを身につけなければどこにも行けないと感じて、日本語教師を目指すことにした。大学入試の面接で「将来は日本語教師になりたい」などと言っていたことを思い出した(結局その大学には落ちたのでなし崩し的に夢破れた)。ご存じのかたもいるかもしれないが、ボランティアや文化活動として外国人に日本語を教えるには無資格でやる気だけでできるのだが、語学学校や教育機関で日本語教師として働くためにはいくつか条件がある。ざっくりというと①大学で日本語教育専攻or副専攻、②文科省認可の教育課程420時間履修、③日本語教育能力検定合格 のいずれか(もしくはいくつか)の条件を満たす必要がある。近いうちに日本語教師も国家資格になるとの噂もあり、日本国内で外国人と関われるもしくは海外で就労ビザを取って働くことができ、留学生・技能実習生の増加も見込まれ未来が明るい魅力的な職業だと感じた。(日本語教師に興味を待たれた方に「日本人の知らない日本語(蛇蔵&海野凪子著)」をおすすめします。) 日本語教師がどれほど素敵に見えたかは別記事で語るとします。

 今すぐにでも退職して国外逃亡!という意思が無くもなかったが、奨学金を抱えた社会人半年女である。そもそも懐がさみしい。勉強と資金集めの時間を稼ぐため、週2で夜日本語教育講座を受けつつ仕事を続けるというスタイルを選択。21か月…約2年の時間をかけ、420時間の日本語教育講座を修了、日本語教育能力検定も合格。経験はないものの「日本語教師 募集」とググって出てくる求人にはおおむね応募可能な人間が出来上がった。

この時点で2019年12月。上司には2020年3月末で退職希望の旨を伝え、心は完全にまだ見ぬ海の向こうがわであった。しかし、これからどうする?日本語教師に応募可能とはいえフルタイムだと「要実務経験」、パートタイムだと現代日本で奨学金(加えて日本語教育講座受講費のローン)を抱えた女が食っていくには到底足りない。海外志望なので海外求人も見てみるが「要実務経験」「日常生活レベルの語学力」。(海外行きたいと言っている割に語学にそこまで自信がなくいいとこ「旅行で困らないレベル」である)。その時たまたま見つけたボランティア「アメリカで文化交流しながら日本語教育のアシストをする」というもの。給料は支払われないが、住居は保証され生活に必要な費用は支給されるし、事前研修もきっちりしてるし、元請けが外務省なので安心感がすごい。アメリカって留学しようと思うと高いし就労ビザはまず下りないしワーホリ制度ないしで、ものすごく得難い経験なのでは?と思い応募資格満たしてるし、足りない語学力は退職~派遣開始までにフィリピン留学でゴリゴリに鍛えよう!という目論見で応募。結果書類落ちでした。そうこうして最終的に決めたのは、オーストラリアでのワーキングホリデー

 2020年2月、アメリカ行きは断念しエージェントと相談し語学学校も決め、渡航日を6月と決め飛行機の予約もしました。聞こえてくるのが「中国のほうで感染症が流行っているらしい」。その時はあまり気にしなかった。エージェントも春までには落ち着いてるから大丈夫と言っていたし。

2020年3月、退職も間近に控え気分は浮つき、渡航費用と語学学校の学費も支払った。2年かけてまあまあ貯めた財産の約半分だった。このころ「ダイアモンド・プリンセス号」とか「東京で感染者○人」とか聞こえてきたが、他人事だと思っていたし、春までにはおさまるだろうって思ってた。3月も中旬に差し掛かると全国どこもイベントがなくなったり施設が閉まったりし始めた。旅行を1件キャンセルした。海外の大きな被害が報道され始めた。

そして、オーストラリアへの渡航の延期を決めた。6月までに状況がよくなるとは思えなかったし、その予想は現実になった。延期の渡航日は21年5月約1年の延期だ。

・いま

 2000字を超える約3年間の壮大な自分語りを読んでくれた方、本当にありがとうございます。読んでいない方はどうぞもっと有意義な活動に時間をお使いください。

お気づきかもしれないが、大学卒業後に私が抱いた目標のほぼすべてに暗雲が立ち込めている。これまでのインバウンド需要増・留学生や労働者の受け入れ増でイケイケだった日本語教育とその需要もこれまで予想されていたほど伸びないだろうし、これまでのように気軽かつ活発な国際間の移動や交流もずっと少なくなるだろう。少なくともあと数年は。もちろん今もこの業界で踏ん張っておられる方がたくさんいらっしゃって、絶対にこの夢がかなわないというわけではないことはわかっている。ただ私はいばらの道だとわかっている道をを嬉々として切り開きながら進みたいタイプではない。できれば追い風の吹く道を風車片手に進みたい。

そして途方に暮れている。「新型コロナウイルス」が世間を騒がせ始めてから約半年たった今も。実家で親のすねをかじりながらアルバイトという体のいい無職である。愚痴っぽいツイートはよくするけど、基本的に普通に過ごしている。それでも将来どうしようと、漠然と不安を感じてる。

 「コロナで大変な思いした人ー?」と尋ねれば100人いれば100人が多少の濃淡はあれど大変だったエピソードを語れるだろうし、私なんぞよりもっと大変な思いしている方がたくさんいるのも分かっている。「大変だけど頑張ろうね!」と聞き飽きたくらい聞いたし自分も言った。頑張らなきゃいけないのは自分が一番よくわかってる。でもそんなにすぐ切り替えられないよね。

 途方にくれてばっかじゃ何にも変わらないし苦しいだけだ、って思ってアウトプットすることに決めました。途方に暮れているのは確かです。見出し絵の命を守る装備だけで宇宙船から切り離されたネコちゃんみたいに。このまま宇宙の藻屑になるのか、宇宙船に帰り着くのか、謎の進化をとげて適応して生き延びるのか。読者のあなたにはなんの選択権もない育成ゲームだと思って見守ってください。

たいていの成功者は「いやあ、あの時はほんときつかったです。」って語ってる期間があるから、私にも今後何が起こるかわかりませんね。



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