見出し画像

日本とイタリアを繋ぐというベタな使命

学生としてイタリアに来てから1年半経つ。そして外にいるからこそ、自分のルーツや自分ができることに目が行くものでもある。日本人としてイタリアに生きている人は少なくない。いろんな立場でいろんなことをしながら日本人であるアイデンティティをそれなりに感じさせながらイタリアに生きている。私も日本人であることを感じ、時には感じさせられながら、イタリアに住んでいる。

思えば小さな頃からずっと、「日本と海外を繋げる仕事がしたい」と思っていた。旅行や外国語に興味もあったおかげで、英語、スペイン語、イタリア語を学ぶに至った。外へ外へと行くほど、「日本」にかえってくるのはとても不思議だけれど、やっぱり日本人として何ができるかを考えると、いつも日本からの橋を繋げたいという思いにかえってくる。

それが先日ようやくはっきりとした目標になった。
イタリアで起業する!

これまで自分が起業するイメージは全くなかったけれど、タイミング、チャンス、バックグラウンド、サポート、コンタクトなど、いろんな辻褄があって、今新たな挑戦を決めることができた。今は自分でビジネスを始めるという選択肢がぴたりと当てはまって、これから待ち受けているさまざまなチャレンジすらもワクワクしている。

起業を決めた背景はさまざまあるけれど、最も大きく使命として感じているのは、「日本を伝える」ということ。ここ数年、ジャパンブームの勢いは凄まじく、減退するどころか増している。寿司や着物、北斎、盆栽、アニメなどに続き、コンマリや岩鋳、家計簿なんて言葉さえ目にする中で、本物を伝えたいという思いが強くなった。全てがフェイクとは言わない。けれど、グリッターやラメが施されたバスローブのような羽織がKIMONOと呼ばれ、砂糖の入った緑茶〜レモンフレーバー〜の商品名がMACCHAと親しまれることには違和感を覚えるし、苔の生えた小さな木をBONSAIとして高値で売り、剣山のようなものになんとなく花をさすことをIKEBANAだと教える文化の安売りをみて、ひとりの日本人として悲しくもある。

同時に、日本の伝統を「発信する」手伝いをしたいという思いもある。海外に出て、彼らから日本の良さを逆に教えられることが何度もあった。その度に、謙遜することが良いことだと教えられてきた私たちは、いつの間にか自分たちの価値を見失ってしまっているように感じた。日本語という特殊な言葉も相まって、我々は自分たちをアピールすることができていないのではないか、と。見渡せば興味を持ってくれている人々は大勢いるのに、謙遜や自信のなさが壁になり、届いて欲しい人たちに届かない。特に日本の伝統ごとに関しては強くそう思い、それを手伝うビジネスを立ち上げたいという思いに至った。

コロナという不安定な中で、日本人としてイタリアにいられる意味を最大限に生かすことのできるチャンスだとも思っている。人の行き来が自由にできなくなるという誰もが想像もしていなかった事態を少しでもポジティブに変換できるようなビジネスを編みたい。

起業を決めた決意表明を記してみました。
内容や細かいことはのちのち綴ろうと思います。
応援してくださると嬉しいです🌱



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?