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引き寄せって、何だろう?

 書店へ行くと、『引き寄せ』というワードが入った書籍が沢山ある。また、何かラッキーだなと思ったことを人に話すと、「引き寄せましたね!」と言われることがある。その度に、「なるほど、これが引き寄せなのか…」と思う。が、とどのつまり、引き寄せってどういうことを言うのかということが、いまいち分からなかった。一応、引き寄せの世界で有名な方の本を読んだりもしたが、よく分からなかった。

 が、最近、日々生活していて、また、自分の子どもの言動を見ていて、「もしかして、引き寄せって、こういうことではなかろうか」と実感することがあったので、記しておく。

 最近、子どもはTVの星座占いを気にしている。順位が良ければ喜び、悪ければ不機嫌になるという感じだ。それだけなら単なる験担ぎのようなものだろうと気にしないが、星座占いの順位が悪かった日、実際に本人にとって悪いことが起こると、「今日、12位だったからだ」という理由付けをしてしまう。

 が、実際に起こった「悪いこと」について確認すると、お友達と待ち合わせをして会えなかったとか、転んで怪我したとかいう内容だが、親の目から見ると、それらは単に「運が悪かったんだね」で済ませられる話ではない気がした。

 お友達との約束をすっぽかされたことについては、本人の中では「今日は一緒に遊ぶ」ということになっていたが、相手との確認が足りなかったのではないかと思う。親の目からは、自分だけですっかり思い込んでしまって、相手との擦り合わせがしっかりできていなかったように感じた。

 また、転んで怪我したことについては、最近の子どもの動きを見ていると、体の動かし方が投げやりというか、周りの状態を見ずに衝動的に動いて、結果的にどこかに体をぶつけたり、何かの上に足を乗せて滑ったりすることが結構ある。なので、単に「運が悪かった」というよりは、怪我した人に「それ、もしかしたら自分のせいかもよ」なんて言うのは酷だが、自業自得の可能性が高いように感じた。

 今の子どもの理解力や、まだまだ主観的にしか物事を捉えることができない様子からして、「それ、占いで12位だったことを気にする前に、普段の自分の行いを反省してみるといいよ」と言葉でアドバイスしても、入らないだろうなと思うので、親としては、子どもの残念な出来事については「残念だったね」と受け止めつつ、普段の自分自身の生き様を見せていくことで、子どもが何かしら気付いてくれることを期待するしかないのかなと思う。

 で、「引き寄せ」って何だろう?という話に戻る。
 生きて、行動していれば、結果として何かしらは引き寄せる。子どもの怪我の話を例にとると、周りを見ずに雑な動きをすれば、怪我=自分にとって良くないことを引き寄せる。逆に、周りをしっかりと見た上で丁寧に体を動かせば、急に物陰から他者が飛び出してくるといったような不運が起こらない限りは、まず怪我をするような事態にはならないだろう。これは、安全を引き寄せたことになる。もっと言えば、しっかりと周りを観察できていれば、例え物陰から何かが出てこようとも、その少し前に「急にここから何か出てくるかもしれないぞ」と予測したり、そこまで意識的でなくとも予感がして、事前に対処できる。

 また、子どもの件とは関係無く、自分自身がこれまで生きてきた上での実感として、立て続けに自分にとってよろしくないことが起こる時期、「何か最近、悪いことばかり起きて、調子悪いな」という時期は、占い的に不運な時期なのかもしれないが(わざわざ調べないので分からない)、それ以上に、「ああ、これ、自分が悪いことを招いてるな」と思う。そのような時期、自分の生活態度や、人との接し方、振舞い等が、投げやりというか、雑というか、細かいところまで神経が行き届いていないというか、自分のことも他人のことも大切にできていないというか、そのような状態が続いていたことに気付く。結局は、「不運が降りかかってきた」のではなく、「自分が悪いことを引き寄せていたのだな」と気付く。

 逆を考えると、自分にとって良いことを引き寄せたければ、生活態度や他者との接し方を丁寧にして(どのようなことが「丁寧」なのかは、字数の関係でここには書かない)、自分も他者も大切にしていけば良いのではないかと思う。

 引き寄せに詳しい方々からすると、「それは引き寄せとは言わないよ」となるかもしれないが、私にとっては、引き寄せってこういうことかな?と思ったことを書いてみた。

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