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「路上植物苑」

 「路上植物苑」は、2017年から撮影を始めたフォトワークで、民家の玄関や壁沿いに置かれているプランターや植木鉢に植え飾られている草木花を、「路上植物苑」と名付けた風景写真である。

 玄関先に色とりどりの花を植え、来客を迎える。無味乾燥なシャッターの前に花を並べ色を添える。トタン壁やブロック塀の前に無造作に置かれたプランターには枯れた草木、その隣にはエアコンの室外機や自転車、使われなくなった日用品などが、忘れ去られたように置かれている。

 花は自然の産物であってもプランターに植えられた花は人工的産物である。草木花を植え飾るという行為に、人はどんな思いを持っているのか。そしてこれらの風景から、何が浮かび上がってくるのか。

 忘れられない風景がある。2011年、東日本大震災から半年後の秋に、ARTS for HOPEというNPOのアートボランティアに参加するために東北地方を訪れた。名古屋から夜行バスで仙台まで行き、仙台から別の長距離バスに乗り換え、気仙沼、陸前高田を通り大船渡まで行った。当時、三陸鉄道が不通になっていたため振替輸送としてバスが運行していた。 

 バスは、仙台からひたすら山間を走行していた。しばらくすると木々の間から遠くに海が見えた。東北の海を見るのは初めてで、自動的に心が弾んだ。だんだんと海が近くなってきた時、あたり一面更地になった風景が目に入った。バスは津波で破壊された校舎のその脇を通過し、幅の広い道路の先に見える奇跡の一本松を前に左折した。道路は瓦礫を積んだダンプカーが何台も往来してた。テレビで津波の被害を見てはいたものの、本当に何もなくなってしまった風景を目の当たりにして絶句した。

 その時、バスの車窓から一瞬見えたのは、道路脇で砂埃にまみれた花壇だった。瓦礫を背にして花が健気に咲いている。一体誰が植えたのか?この殺風景な場所に花を植えるとは、なんとも人間らしい行為で、その花々に復興の願いと意思が込められているのを感じ取った。

 バスから見た一瞬の出来事だけど、これが「路上植物苑」の発想の源となった。プランターに草木花を植え飾るという行為から、人間とは何かを探るきっかけになればと思う。

 震災後8年を経て、あの陸前高田の花壇は、今どうなっているのかわからない。そろそろ、確かめに行こうと思う。

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