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弔いの朝、号泣降りの跡

これは20211006のお話。


ついに私の推しがステージを降りちゃった。正直結構死んでる。

最後の、いわゆる最期のライブはとっても良かった。

会場が私が太古の昔から通っていた高田馬場エリアっていうのもかなりぐっとくるものがあった。恐らく私の人生で2番目に多く足を運んだ箱だから。一番?池袋サイバーに決まってる!ステージの上で正座してヘドバンだよ!

前にも書いたけど、本当につい最近まで脱退するという事実をうまく消化できずにいたというか、全然実感としてなかったのがここ数日で突然降りかかってきたもので、前日の夜もとっても変な気持ちで迎えた。毎晩走りにいっている寺でお参りもした。何を願っていいのかわからなかったけど、とりあえず願った。占いも神様も信じていないような私が願ったところで届かないかもだけど、ここぞとばかりに願った。何を願ったかはないしょ。

一瞬で終わった。

時間的には3時間弱、30曲もの曲を演ってくれたのでそれを一瞬と言っていいのかはわからないけど、私は5回くらい瞬きしたらもうアンコールだった。

ずっと聴きたくて仕方のなかった曲もやっとライブで聴くことが出来た。それは本当に美しくて。聴きながら、あぁこれで私のバンギャル人生に思い残すことはもうないなとすら思った。本当に良かったな、あれ。

ライブ終わりには撮影会なるものもあって。接触イベント的な。

前日の夜から色々考えていた。普段何も考えず適当に喋っていた私もさすがに伝えたいこともまとめておかなくちゃと思った。かわいいね、わたし。笑

でも、いざ本人を前にしたら色々すっとんだ。というか、あまりにもいつも通りで、何なら脱退すること一瞬忘れた。

基本的に緊張というものを普段からしない私だけど、今回ばかりはさすがにすると思ったのに。結局いつも通りくだらない話をして終わった。しまいには口から聞こえの良い言葉をぺらぺらとまき散らしていた。本当はもっとちゃんと言いたいこともあったのに。最後だなんてとうてい思えないくらい私はあっさりとさっぱりと帰った。何ならお別れの挨拶もしなかった。またね、くらいの勢いだ。ありえない。思い返したら死にたくなってきた。

まあもうこればっかりは過ぎたことだしどうしようもない…忘れよ


ライブも楽しかった、聴きたいものも聴けて本望。

私のお友達もたくさんライブにきてくれて。嬉しかった。ずっとそのあとも笑っていたので全然楽しい1日だったな、となるはずだったのに、みんなと別れて一人で電車に乗ったら信じられないほどの疲労感に襲われて。

推しは今日さっきの時間を以て私の大好きなバンドから脱退した。

もう次にライブを観に行ってもそこに私の推しはいない。

また少し逃げていたこれらの現実が遠慮なしに私に堕ちてきて、帰りながら電車の中で大泣きした。マスクがあってよかった。色々出てきていた。私の顔面を作るうえで最も重要なつけまつげも涙とともにするすると取れた。ライブ中は頑張って堪えたのね、まつげ…となり、もうその取れたまつげすら愛おしく感じた。相当な情緒不安定さ。怪奇レベルである。

それでも、翌日ちゃんと起きて仕事に行った。何ならその日は私が前に立ち、世界株やれ投資ファンドやれについて話さなくてはならない日だった。誇張なしで本当に何の準備もしていなかった。頭がおかしい。

でも、それでもちゃんとやりきってしまうのが私の良いところであり悪いところだなと思った。これでまた「こんな状況でもできちゃう」という意味のわからない自信をつけてしまうのだから。タチが悪いとはこれまさに。

ただ今回ばかりは仕事があってよかった。これがなかったらきっと私は再起不能になるまで泣き続けていたし、リストカットもしていたかもしれない。嘘、それはないわ。痛そうだし。笑

まだまだ消化しきれていない。

これからどうやって私は推しのいなくなったバンドを応援していけばいいのか正直わからない。どこでどうやって見て何を考えればいいのか、そもそも私がそこに行っていいのか、考えだしたらきりがない。

でもこれは脱退が発表された瞬間からわかっていたことだから。

私が少しずつ時間をかけて消化していくしかない、それ以外の方法があるのなら誰か教えてほしいくらいだ。

次のライブの情報が出たとき、私はどんな気持ちになるのか。またそれはその時に。



本当に本当に大好きだったし大切だったし、こんな風に思わせてくれたことに感謝しなくちゃいけないのに、感謝するよりも先にどうしても悲しくなっちゃう。難しいもんだなー。

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