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「私」

「私」とは何なのか。自分の部屋でひとりぼっちになったときに考えることが増えた。長い間、人と人の関係性は分断され、スマホと言う名のなんでもみえる移動式色眼鏡から覗く世界が、生活のほとんど全てになった。様々な情報に囲まれ、ときには埋もれながら生活していくなかで、何が正しくて何が間違っているのかを猛烈に考えたことが「私」の中の「私」の正体をより希薄にさせたのかもしれない。今回は、私がたどった私の正体の道筋を文章にして残しておきたい。(是非皆さんも一緒に考えてみてください!)

私って?

「私」とは一体何なのか。
世間には「自己分析」なるものがある。その「自己分析」をもとにすると、私とは人間で、身長は○○㎝くらい。性格は○○で○○するのが好き。○○するときは○○なこだわりがあって、過去の体験を元にすると○○な時は○○できて……○○する。これが「私」。となる。

では、人間で、身長は○○㎝くらい。性格は○○で○○するのが好き。○○するときは○○なこだわりがあって、過去の体験を元にすると○○な時は○○できて……○○する。これは「私」なのだろうか。私じゃなくてもそんな人間はおそらくいる。趣味がどんなにマニアックでも、経験がどんなに貴重でも、だいたいの場合は同じような人がいる。間違いなく「私」から絞り出した「私」なのに、なんだか私でないような気がしてくる。

では、私を「私」たらしめるものは何なのだろうか。「じゃあ、指紋とかDNAとか、揺るがないものが私なんじゃない?」とも思ったが、じゃあ私は指紋やDNAなのか。そうでない。というよりそうでありたくない。これだけ分かっているのになんだかよく分からない。「私」とは一体なんなのか。

あなたって?

「私」に行き詰まってしまったので、今度は「あなた」について考えてみる。「あなた」とは一体何なのか。それは紛れもない目の前にいる「あなた」である。「私」のときよりも具体的でわかりやすい「あなた」。性別は○○で身長○○㎝くらい。いろいろな特徴はあって、知らないこともたくさんあるけれど、何より目の前に存在していることが「あなた」を「あなた」にしている。

「私」のことはこれだけ良くわかっているのによく分からなくて、あなたの方が全然分からないのに明らかである。なんだか不思議な気分になってくる。星野源さんが「ばらばら」のなかで「本物はあなた 私は偽物」と歌っているが、まさにそんな気分だ。

あなたのなかの私

私は私にとって分かるのにわからなくて、あなたはわからないのに私にとっては絶対ならば、あなたにとっての私が本当なのかも知れない。そう思って、私の中のあなたを考えると、意外とあなたはあなたではないことが分かる。

私が「私」であることを示そうとして挙げたことのほとんどは、あなたについては知らない。あなたは本物だけど、本物よりも偽物の方がよく知っている。

「わかってる」?

そしてもう一つ気づくのが、「わかる」ということが相当難しいということだ。

「わかる」は「分かる」という文字の通り、ぐちゃぐちゃのなかから「これはA」「これはB」と分けられることを言うが、これは細かくなればなるほど難しい。

食べ物に例えるなら、これが「きのこだから何食べても大丈夫」となってもいけないし、「ふぐは毒があるから、絶対に食べてはいけない」となってもいけない。きのこでも食べられるものと食べられないものがあることを知らなくてはいけないし、ふぐも毒を除けば食べられることを知らなければならない。その為には、そのものについて詳しく知らなければならない。

人間も同じで、例えば「男」や「女」といったセックスの括りの中には、ヘテロセクシャルやLGBTQ、アセクシャルなどの種類があって、しかもその指向性は人によってバラバラであることを理解しなければいけないし、例えば「楽観的な性格」と言い切るにも、それぞれの場面グラデーションがあって、他の要素と複雑に関わり合ってることを考えなくてはならない。

言葉による括りで「分かって」しまうと、私の画素数はどんどん少なくなっていって、どんどん私からは遠ざかっていってしまう。そもそも「私」をわかろうとすることなど、不可能なのかもしれない。私の中に絶対的な私を持って、あなたの中にも絶対的なあなたがいる。私はその「あなた」を「わたし」の定規で測ってみる。そんなことしかできないのかもしれない。

改めて考える「私」

冒頭で「私」について考えるきっかけは、スマホだという話をした。スマホの世界はまさに「分かった」世界である。生きている世界と地続きであるはずのものが写真として切り取られ、圧縮されて全世界を巡り、体感している現象そのものは文字というメディアを通してその人なりの「分かり方」で伝えられる。スマホの世界の中には全てがあって、それと同時に何もない。それを伝える「私」の断片の集合体であって、私が触れているのは「あなた」のような実体ではない。

その中で「わかった」気になることは、相当危ないことだと思う。あなたは「あなた」、私は「私」であって、あなたの世界が私の世界になってはいけないのだと思う。たった一つの積み重ねの中で、似通ってるかもしれないオリジナルの「私」が生きる為にただ世界を測っている。

今生きている私がいること。あなたも私のように生きていること。でも私とあなたは全く違って、わかる為に努力をすること。なんとなくわかった気はするけど、わかることは一生ないこと。あなたがいて、私がいること。なんとなくこの実感が、今後私が「私」として生きる為に、必要なことだと思う。

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