こどもは、オトナに見えないものが見えている
こんばんは
MakikoSakai_MMK(さかい)です
「30代パパのやーさん」さんがこんな投稿をされていました
(勝手にネーミング、すみません^^;)
とってもすてき
記事の中に「ドーナツの木」の話が出てきます
こどもが「ドーナツの木」ってあるかな?と聞きます
もちろん、大人はないと知っている
でも「ドーナツの木はないかもしれないけれど、それと同じような甘い実がなる木がどこかにはあるかもしれないね」と“アンモ“は応える
優しい答え
夢のある言葉
そんな答えができたらいいなとやーさんは綴っています
わたしはこの話を読んで、
こどもには「大人が見えていないものが見えている」んだなと思いました
大人はなぜかそれがない(できない)と知っているけれど
ない、とか できない、は『見えないもの』だから
こどもには「ある」かもしれないよね、と映っているということ
「ない」を証明することはできない、と同じように
「ない」は本当は「ある」のかもしれない
こどもはそれを本能的に知っていて
無垢な思いつきで表現できる
こども、おとな
みているものは一緒でも感じていることは全然違う
夢をこわさない
こどものそれも、少女たち、青年、おとなのそれも
夢は実現するためにある、と誰かが言った
みんなが知っていることが正しいとは限らない
こどもは、実際的に起こりうる未来を言い当てているのかもしれないなと思いました
実現するような「夢」を見よう
きっとこどものような「何か」が見えるから
やーさんさん、すてきな記事をありがとうございます☺️
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