【2021年7月13日】東京ヤクルトスワローズ、「1試合7本塁打」の球団タイ記録

東京ヤクルトスワローズが2021年7月13日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で、チーム歴代最多タイとなる「1試合7本塁打」(9イニング)を放つなど、14-6で勝利した。
ヤクルト先発の奥川恭伸は、今季10試合目の先発となり、プロ入り初の巨人戦での登板となったが、岡本和真に3安打2打点を許したものの、坂本勇人には3打数ノーヒット、2三振を奪うなど、大量リードに守られて、6回を被安打6、7奪三振、3失点に抑え、今季4勝目を挙げた。

この試合で飛び出した、ヤクルト打線のホームランは、以下の7本である。

①2回表 無死走者なし 4番・村上宗隆 25号 ソロ(右中間、130メートル)投手:アンヘル・サンチェス(先発)
②2回表 一死走者なし 6番・吉田大成 1号(*プロ初本塁打)ソロ(右翼、110メートル)投手:サンチェス
③2回表 一死走者なし 7番・ドミンゴ・サンタナ 6号 ソロ(左翼、115メートル)投手:サンチェス
④4回表 二死1、2塁  3番・山田哲人 25号 3ラン(左翼、125メートル)投手:桜井俊貴(2番手)
⑤5回表 無死走者なし 5番・ホセ・オスナ 8号 ソロ(中堅、130メートル)投手:桜井
⑥5回表 一死走者なし 7番・ドミンゴ・サンタナ 7号 ソロ(右中間、120メートル)投手:桜井
⑦8回表 二死2塁    4番・村上宗隆 26号(リーグトップタイ)2ラン(左翼、120メートル)投手:ルビー・デラロサ(4番手)

この日の東京ドームの試合は、読売ジャイアンツのウグイス嬢として42年ぶりに採用された「新人」の一人である小倉星羅さんが初めて公式戦を担当した、いわば「デビュー戦」となったが、巨人は祝砲を挙げるどころか、投手陣は2001年9月1日の対広島カープ戦(広島市民球場)以来、20年ぶり5度目、そして東京ドームでは初となる「1試合7被本塁打」を献上してしまった。なお、巨人のチームワースト記録は、1949年4月26日の対大阪タイガース戦(石川県兼六園球場)の1試合8被本塁打である。

なお、NPBの「1試合チーム最多本塁打」記録は9本塁打で、過去4チームが達成している。
①1951年8月1日 松竹ロビンス 対大阪タイガース戦(上田球場)
②1976年9月19日 阪神タイガース 対広島東洋カープ戦(甲子園球場)
③1980年8月9日  阪急ブレーブス 対近鉄バファローズ戦(日生球場)
④1980年10月3日 ロッテオリオンズ 対近鉄バファローズ(藤井寺球場)


スワローズが1試合(9イニング)で7本塁打を放ったのは過去、4度あるが、それらの試合はどんな試合だったのだろうか。

(1)1977年9月14日 対大洋ホエールズ戦(川崎球場)
①チャーリー・マニエル 40号(斉藤明夫)
②チャーリー・マニエル 41号(平松政次)
③ロジャー・レポーズ  20号(平松政次)
④渡辺進        6号(三浦道男)
⑤松岡弘        4号(三浦道男)
⑥若松勉        18号(鵜沢達雄)
⑦松岡弘        5号(田村政雄)

この年、首位・巨人を追って2位をひた走るヤクルトは4-6と2点ビハインドで迎えた8回表、怒涛の反撃を見せた。
大洋の投手は4番手の平松政次が6回から3イニング目のマウンドに上がった。王貞治と本塁打王を争っていた5番のチャーリー・マニエルがこの日、2本目となる41号を放つと、続く、6番のロジャー・レポーズが20号ソロを放って、平松をノックアウトした。5番手の三浦道男がマウンドに上がったが、7番・八重樫がヒット、8番・渡辺進が6号2ランを放った。
続いて、9番、投手の松岡弘が打席に入ったが、このシーズン、松岡は投手ながら打撃がよく、すでに3本塁打を放っていた。松岡は三浦の投じたボールを振りぬくと、これが4号ソロ本塁打となった。
トドメは、張本勲(巨人)と首位打者を争っていた3番の若松勉が、大洋6番手の鵜沢達雄から18号本塁打を放った。
スワローズはこの回、1イニングで5本塁打、8得点を上げた。

NPBにおける「1イニング5本塁打」は、1971年5月3日の東映フライヤーズ対ロッテ戦(東京スタジアム)で、東映が延長10回表に、作道烝、大下剛史、大橋穣、張本勲、大杉勝男5者連続本塁打を放って記録している(東映はこの試合で勝利し、9連敗を止めた)。

さらに、この試合、松岡弘は9回に廻った打席でも、大洋7番手の田村政雄から2打席連続となる5号2ランホームランを放って、ヤクルトは球団最多の1試合7本塁打を記録した。
しかも、松岡は投手としてそのまま最後まで投げ切り、勝利投手になっている。

ヤクルトはこの年、広岡達郎監督が指揮を執って2年目のシーズンだったが、チーム本塁打数はリーグ5位の170本にもかかわらず、球団創設初の2位に躍進しており、翌1978年の初優勝への礎を築いた。


(2)1980年10月19日 対中日ドラゴンズ戦(静岡県営草薙球場)第1試合
①渋井敬一      2号(堂上照)
②大杉勝男      21号(堂上照)
③ジョン・スコット  16号(堂上照)
④サム・パラーゾ   15号(佐藤政夫)
⑤杉浦亨       20号(三枝規悦)
⑥大矢明彦      8号(三枝規悦)
⑦鈴木康二朗     2号(星野仙一)2ラン

この年、ヤクルトは首位・広島を追う2位で終盤を迎えていたが、10月中旬に11日間で13試合という強行スケジュールを強いられた。
10月17日、広島がリーグ優勝を決めると、この日、草薙球場でのダブルヘッダーのヤクルト対中日戦は消化試合となったが、第1試合は乱打戦となった。

ヤクルトは3回に、中日先発の堂上から渋井が2号、大杉が21号、スコットが16号を放って、一挙、6点を奪い、ノックアウト。
2番手の佐藤から、パラーゾが15号、3番手の三枝から杉浦が20号、大矢が8号を放って、6本塁打。
極めつけは、5回から2番手でマウンドに上がっていた鈴木康二朗が8回に廻った打席で、中日4番手の星野仙一から2号2ランホームランを放って、3年前につくられた、1試合7本塁打のチームタイ記録に並んだ。
結局、鈴木は大島康徳、木俣達彦、宇野勝に3本のホームランを献上しながら、5イニングを投げ切り、シーズン11勝目を挙げた。

さらに、この試合は中日も、大島康徳が15号(神部)、16号(鈴木)、木俣達彦が17号(神部)と18号(鈴木)、宇野勝が10号(鈴木)と、5本塁打を放っており、両チーム合わせて1試合12本塁打はセ・リーグ新記録となった。

ヤクルトは前年最下位から、このシーズンは3位・巨人に7.5ゲーム差をつけ、球団創設5度目の2位に躍進した。

(3)2003年6月28日 対広島カープ戦(広島市民球場)
①古田敦也       10号(長谷川昌幸)ソロ
②アレックス・ラミレス 21号(長谷川昌幸)
③鈴木健         9号(長谷川昌幸)ソロ
④古田敦也       11号(横山竜士)ソロ
⑤古田敦也       12号(横山竜士)3ラン
⑥稲葉篤紀       9号(横山竜士)
⑦古田敦也       13号(西川慎一)

この試合は、チームとして歴史的な試合になっただけでなく、古田敦也にとっても、日本プロ野球にとってもメモリアルな試合となった。

ヤクルトは2回、6番の古田敦也が広島先発の長谷川昌幸から10号ソロを放ち、5回には4番のアレックス・ラミレスが21号、5番の鈴木健が9号ソロホームランを放って、長谷川をノックアウトした。
続く古田敦也が代わったばかりの2番手、横山が投じた外角高めのストレート(139キロ)を捉えると、この日、2本目となる11号ソロを左中間にライナーで叩きこんだ。

6回、3番の稲葉篤紀が横山から9号ホームランを放つと、この日、4打席目を迎えた古田敦也が横山の投じたやや真ん中高めに入った144キロのストレートを叩き、この日3本目となる12号3ランをレフトスタンドに運んだ。
横山は長谷川同様、ヤクルト打線に3発のホームランを献上した。

古田の勢いは止まらず、8回に迎えた第5打席目、今度は広島3人目の左腕、西川慎一からカウント2-1からのスライダーを振りぬき、打球は再びレフトスタンドのポール横の観客席前列に飛び込んだ。これが13号ホームランとなり、この瞬間、古田敦也はNPB史上5人目となる1試合4本塁打」、NPB史上4人目となる「4打数連続本塁打」を達成した(2打席目は四球)。
同時に、ヤクルトはチーム史上3度目となる1試合7本塁打を記録した。

NPBにおいて「1試合4本塁打」を記録した選手
①岩本義行(松竹ロビンス)1951年8月1日 大阪タイガース戦
②王貞治(読売ジャイアンツ)1964年5月3日 阪神タイガース戦(*4打席連続)
③トニー・ソレイタ(日本ハムファイターズ)1980年4月20日 南海ホークス戦(4打数連続)
④ナイジェル・ウィルソン(日本ハムファイターズ)1997年6月21日 近鉄バファローズ戦(*4打席連続)
⑤古田敦也(ヤクルトスワローズ)2003年6月28日 広島カープ戦(4打数連続)

なお、この年、ヤクルトは指揮官として5年目を迎えた若松勉監督の下、打撃陣は好調だったものの、先発投手陣で規定投球回数と二桁勝利をクリアしたのは石川雅規(12勝11敗)だけと苦しい台所事情に陥り、首位・阪神タイガースから15.5ゲーム差を離されたものの、巨人と同率の3位、Aクラスを確保している。

(4)2007年7月11日 対広島カープ戦(神宮球場)
①青木宣親        14号(高橋健) ソロ*先頭打者本塁打
②田中浩康        1号(高橋健)  ソロ*2者連続本塁打
③アーロン・ガイエル   17号(高橋健) 2ラン *1イニング3本塁打
④田中浩康        2号(フェルナンデス) ソロ
⑤宮出隆自        5号(フェルナンデス) ソロ
⑥アレックス・ラミレス  12号(上野弘文)
⑦アーロン・ガイエル   18号(横山竜士)  *同点本塁打
⑧アレックス・ラミレス  13号(青木勇人)2ラン *延長サヨナラ本塁打

ヤクルトは前日まで6連勝と波に乗って迎えた本拠地・神宮球場でのこの試合、ヤクルト打線が爆発した。

ヤクルト先発の松岡は初回、2番・アレックス・オチョアに2号2ランホームラン、5番・前田智徳に8号ソロホームランを浴び、3点を失う苦しい立ちあがりとなる。
だが、好調なヤクルト打線は、広島先発の高橋健に初回から襲い掛かった。まず、先頭の1番・青木宣親が14号ソロホームラン、続く2番の田中浩康も、シーズン第1号となるソロホームラン、さらに3番のアレックス・ラミレスが四球で歩くと、4番のアーロン・ガイエルも17号2ランホームランを放ち、1イニング3本塁打で一挙、逆転。
1回表裏の攻防で早くも両軍から5本のホームランが飛び出す波乱の展開となった。
それでも、松岡は3回に、新井貴浩にソロホームランを浴び、同点に追いつかれ、さらに4回に勝ち越されて、ノックアウト。
しかし、ここで終わらない。5回に田中浩康が、広島2番手のナックルボーラー、ジャレッド・フェルナンデスからこの日、2本目となる2号ソロホームランを放ち、5-5の同点に追いつくと、5番の宮出隆自も5号ソロホームランで6-5と勝ち越した(宮出はこれでサイクル安打に王手をかけたものの、結局、単打が出ず、快挙を逃した)。
ところが、ヤクルト3番手の遠藤政隆が7回、広島打線に捕まり、前田智徳にこの日、2本目、再逆転となる9号2ランホームランを許して、3失点、4番手のブライアン・シコースキーも8回に登板して2失点と、7-10と引き離された。
それでも、ヤクルト打線は9回裏、広島の上野弘文から3番のアレックス・ラミレスがライトスタンドに12号2ランホームランを放って、1点差に迫る。ここで広島は堪らず7番手の横山竜士を投入するが、勢いを止めることができず、4番のガイエルが2者連続、この日、2本目となる18号ソロホームランをライトスタンドに叩きこんで、10-10と再び同点。ヤクルトとしてはチーム4度目となる「1試合7本塁打」のタイ記録に並んで、試合は延長戦に突入した。
延長10回は互いに無得点、11回表は広島が無得点で迎えた11回裏、ヤクルト打線は、10回からマウンドに上がっていた広島7番手の青木勇人を攻略し、先頭の田中浩康がこの日、3安打目となるレフトオーバーの二塁打を放って、サヨナラの走者が塁に出る。ここで、3番・ラミレスを迎えたところで、一塁は空いていたものの、広島ベンチとバッテリーはラミレスとの勝負を選択、しかし、これが裏目に。ラミレスは横山の投球を思いっきり振りぬくと、打球はセンターバックスクリーンに飛び込む、サヨナラアーチとなった。
ラミレスの2打席連続となる13号2ランホームランで、ヤクルトは12-10と劇的なサヨナラ勝ちを収め、両チーム合わせて33安打(ヤクルト16安打、広島17安打)、22得点という乱打戦に終止符が打たれた。そして、この瞬間、ヤクルトは延長戦ではチーム最多となる「1試合8本塁打」も記録した。
試合時間は4時間3分、1試合、両チーム合わせて12本塁打は、2003年10月19日のヤクルト対中日で、ヤクルトが7本塁打、中日が5本塁打を放って以来、セ・リーグ2度目のタイ記録となった。

古田敦也は2003年の試合では自身でも4本塁打を放って貢献し、この日は選手兼監督としてベンチで指揮を執っていたが、2年目のシーズンとなったこの2007年は最下位に終わり、監督を辞任、現役も引退した。

一方、広島捕手の石原慶幸は、この試合と前回2003年の試合でも先発マスクを被ってフル出場しており、ヤクルトの2度に渡る「1試合7本塁打(9イニングまで)」、しかも、ヤクルト打線が放った15本全てのホームランをキャッチャーマスク越しに見送っていたことになる。

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