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青柳晃洋の「防御率0.98」はどれくらいすごいのか

阪神タイガースの青柳晃洋が、「絶対的エース」の称号に相応しい投球を続けている。

青柳晃洋、交流戦3試合でまだ自責点ゼロ


青柳は今季の交流戦でもここまで3試合で16回2/3を投げて2失点・自責点0と、パ・リーグの打者も寄せ付けていない。

青柳は今日6月10日、対オリックス・バファローズ戦に先発予定だが、もし7回2/3以上を投げて自責点0に抑えれば、2015年のランディ・メッセンジャー(阪神)の24イニング連続自責点0(無失点)を超えて、交流戦歴代最長となる。
もしそれ以下でも1回1/3以上を投げて自責点0に抑えれば、メッセンジャーに次いで史上2人目となる「交流戦の防御率0.00(規定投球回数以上)」となる。

青柳はプロ6年目の昨季、3年連続で規定投球回に達して、リーグ2位の防御率2.48、自己最多、リーグトップタイの13勝を挙げ、自身初の最多勝と最高勝率のタイトルを手にした。

今季の防御率0.98


青柳は今季、初の開幕投手が内定していたが、直前にコロナウイルス陽性が判明し、離脱を余儀なくされた。
青柳を欠いた阪神は開幕から9連敗を喫するなど、散々なスタートであったが、青柳は4月15日、甲子園での巨人戦で今季初先発を果たし、初勝利を挙げた。
その後、今季初完封を含む3試合連続完投を記録するなど、大車輪の活躍を続け、6月4日の日本ハム戦でも8回、無失点と好投、ついに今季の防御率は0点台に突入した。

今季の青柳は登板した8試合で3完投を含み、8回以上を投げた登板は6度を数え、最短でも6回を投げ切っており、しかも、すべての登板で失点は2点以下と安定している。

サイドハンド右腕の青柳は入団当初から制球力が課題とされてきたが近年、制球力が上がり、変則的に繰り出すスライダー、ツーシーム、シュートに加え、シンカーを完全に会得したことで、左打者を苦にしなくなった。
それ以外にも、投球毎に投球フォームを微妙に変えたり、投球までの間隔を変えたりするなど、打者を翻弄する「投球術」も身に着けるようになった。


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NPBで開幕から5月末まで防御率0点台は史上8人目

NPBで1988年以降、開幕から5月末まで防御率0点台を維持した先発投手は青柳で8人目である。


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NPBで開幕から100イニング以上で防御率0点台は3人



特に1988年以降、開幕から100イニング以上を投げて、防御率が0点台だった投手はたった3人しかいない。

1993年 伊藤智仁(ヤクルト)109回


NPBで1988年のシーズン以降、先発投手でもっとも長く防御率0点台を維持したのは、1993年の伊藤智仁(ヤクルト)である。

伊藤智仁は京都・花園高校時代では無名の存在だったが、その後、社会人野球・三菱自動車京都で1992年のドラフト会議でヤクルトスワローズから1位指名を受け入団した。
1992年夏のバルセロナ五輪の日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献したことからプロ注目の投手となった。
入団早々、150km/hを超えるストレートと、打者の目の前で「消える」と言われた高速スライダーを武器に、開幕直後に一軍昇格を果たした。

伊藤は4月20日に本拠地・神宮球場での阪神タイガース戦でプロ初登板・初先発すると、7回を10奪三振、2失点で勝利投手になるという幸先よいスタートを切った。

先発ローテーション入りした伊藤は6月3日、対阪神タイガース7回戦(阪神甲子園球場)ではプロ初完封勝利で4勝目を挙げた。
6月9日の石川県立野球場での対読売ジャイアンツ戦では、奪三振の山を築き、8回まで無失点、更にセ・リーグタイ記録である16奪三振を挙げた(その後、0-0で迎えた9回裏の二死から篠塚和典にソロ本塁打を打たれサヨナラ負けを喫した)。
6月末までに6勝2敗と、リーグ2連覇を目指すチームに貢献していた。

伊藤は7月4日の巨人戦に先発し、味方の援護がないまま9回を投げ無失点に抑え、その裏、ジャック・ハウエルのサヨナラホームランで完封勝利を挙げた。
これで伊藤のシーズン防御率は0.91とついに0点台に突入した。
しかし、この試合の9回、伊藤は投球後、右肘に異変を感じていた。
ヤクルトはこの年、前年1992年に続きセ・リーグ2連覇を果たし、1978年以来の日本一を勝ち取ったが、伊藤がこの日以来、一軍のマウンドに復帰することはなかった。
伊藤は結局、14試合に登板し、109イニングの登板に留まったが、7勝2敗、うち5完投・4完封、126奪三振、防御率0.91と、ずば抜けた成績を挙げたことで、セ・リーグ新人王を獲得した。

さらに、伊藤は翌1994年の春季キャンプでブルペン入りをした際に、肩に激痛が走った。診断の結果、手術を要する重症であることが判明した。
その後、伊藤は長いリハビリに専念することを余儀なくされた。
1994年・1995年と一軍での登板は無かった。
1996年5月19日の巨人戦(東京ドーム)で実に1050日ぶりに一軍登板を果たした。

伊藤は1997年に抑えに転向し、19セーブを挙げてカムバック賞を受賞、翌年1998年から先発に復帰し、規定投球回数に達して防御率リーグ3位と復活の兆しを見せていた。
しかしながら、新人の頃の投球のキレは戻らず、2001年に再び右肩・右肘の故障に見舞われ、再び手術を受けることになた。
そこから復帰を目指したが、一軍登板の無いまま、2003年オフに現役引退した。

1988年 大野豊(広島)102回2/3

32歳で1988年のシーズンを迎えた左腕・大野豊は開幕から最高のスタートを切った。
4月は4試合に先発登板して3勝0敗、2完投、防御率0.79と抜群の安定感であった。
にもかかわらず、月間MVPの投手部門はビル・ガリクソン(巨人、4勝0敗、防御率2.31)にさらわれた。

5月に入っても、大野の勢いは止まらず、4試合に先発登板して、3勝1敗、3完投、1完封で防御率1.01。
しかし、5月の月間MVPの投手部門を受賞したのは4勝1敗の槙原寛己(巨人)であった。

6月はシーズン2度目の完封勝利(6月4日)を含む5試合連続完投(5月14日から6月10日)とフル回転し、防御率0.55と5月を上回る内容であったが、2勝2敗。
しかしながら、6月の月間MVPの投手部門は、抑えで防御率0.00、1勝8セーブを挙げた郭源治(中日)になった。

大野は開幕から10試合連続で、「7回以上・自責点2以下」という登板を続けた。
6月末まで12試合に先発登板し、102回2/3を投げて、自責点9、防御率0.79。
まさに神がかり的な投球を続けていたが、打線の援護に恵まれず、8勝(3敗)に留まっていた。
そのうち、5月28日、対巨人戦(広島市民球場)で先発・槙原寛己と投げ合って、延長10回、0-1で完投負けした試合を含み、大野が完投しながら0-1で敗れた試合が2試合もあった。

大野は結局、7月3日の巨人戦(広島市民球場)で3回、自責点4で降板、防御率は1点台に降下し、その後、防御率0点台に復帰することはなかった。

その後も、大野は相変わらず打線の援護にも恵まれなかったが、シーズンを通して安定した投球を続け、終わってみれば、24試合すべてに先発登板し、14完投・4完封、13勝7敗、防御率1.70というキャリアハイの成績を残し、自身初の最優秀防御率投手と沢村賞を手中にした(チームは65勝63敗の3位に終わった)。

大野はその翌年、1989年に通算100勝に到達、しかも、防御率1.92で2年連続でシーズン防御率1点台という快挙を達成した。

2リーグ分立後、「複数年連続でシーズン防御率1点台」を達成した投手は、大野の前まで3人しかおらず、
・大友工(読売ジャイアンツ、1953-1955年/3年連続)
・稲尾和久(西鉄ライオンズ、1956年-1959年/新人から4年連続)
・金田正一(国鉄スワローズ、1955年-1958年/4年連続、1962年・1963年/2年連続)
大野は金田に次ぐ、26年ぶりの快挙であった。
その後、ダルビッシュ有(北海道日本ハムファイターズ)が2007年から5年連続、田中将大(東北楽天イーグルス)が2011年から3年連続で防御率1点台をマークしている。

大野は1991年に抑えに本格的に転向すると、1991年・1992年に2年連続最優秀救援投手を獲得、1993年には通算100セーブを挙げ、NPB史上4人目の100勝・100セーブに到達した。

大野はその後、先発に再転向、42歳でNPB歴代最年長となる開幕投手を務めるなど、43歳まで現役を続け、通算707試合に登板(うち先発224試合)、148勝・138セーブという成績を残して1998年オフに引退した。

2016年 菅野智之(読売ジャイアンツ)102回

菅野智之はプロ4年目を迎えた2016年、3月25日のヤクルトとの開幕戦(東京ドーム)で3年連続・3度目の開幕投手を務め、7回無失点の好投で3年連続開幕戦勝利を挙げた
(巨人では1993年から1996年にかけての斎藤雅樹以来20年ぶり球団歴代最長タイ記録)

3・4月は6試合に先発、48回を投げ3勝0敗、防御率0.56、42奪三振、2完封の成績で月間MVPに選出された。中でも4月は4試合に先発、2勝0敗、33回を投げ、33奪三振、わずか1失点(自責点0)で月間防御率0.00を記録した。
(月間防御率0.00は2001年の石井一久(ヤクルト)以来、15年ぶり、2リーグ分立後史上4人目)

5月13日の対ヤクルト戦(東京ドーム)では33イニングぶりに四球を与えて、無四球がストップしたたが、9回1失点(自責点0)10奪三振で、3試合連続二桁奪三振をマークした。
(巨人では2003年の木佐貫洋以来13年ぶり、球団史上4人目及び球団歴代最多タイ記録)
5月も33イニングを投げて、失点4・自責点2と防御率0.54という数字を残した(月間MVPはDeNAの石田健大が4戦全勝、26イニング連続無失点(通算27イニングで1失点)でさらわれた)

菅野は6月も3試合で21イニングを投げて失点・自責点5と好投を続けていたが、6月24日の対DeNA戦、初回に1失点、2回にも1番・桑原将志に2点タイムリーを浴びるなど4失点、そして3回には一死満塁から、またしても桑原に初球の直球を打たれ、左翼席中段に飛び込む満塁ホームランを浴びた。菅野は3回途中、自己ワーストの9失点でマウンドを降り、防御率は1.64に悪化した。
結局、菅野はこのシーズン、好投しながら援護に恵まれず、9勝に終わり、入団後初めて二桁勝利を逃した。
183回1/3を投げ、9勝6敗、勝率.600、防御率2.01、189奪三振、5完投、1完封、で自身2度目の最優秀防御率と自身初の最多奪三振のタイトルを獲得し、自身初、ゴールデングラブ賞も受賞。
しかし、沢村賞は15勝のクリス・ジョンソン(広島)に敗れ、自身初の沢村賞は叶わなかった。

NPB2リーグ分立後のシーズン最高防御率は村山実の「0.98」

青柳晃洋はもはや「絶対的エース」として、チーム浮上の絶対条件になりつつある。

阪神の大先輩エースである村山実が監督兼任で迎えた1970年、156イニングを投げて防御率0.98という、まさに「アンタッチャブルレコード」を保有しているが、
まずは大野豊、伊藤智仁、菅野智之の「100イニング超で防御率0点台」に追いつくことができるか、次回登板も目が離せない。

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