【2月5日】「プロ野球の日」(1936年・日本職業野球連盟の設立)

2月5日は、「プロ野球の日」である。
その由来をたどってみよう。

1936年(昭和11年)2月5日、「日本職業野球連盟」を設立

1936年(昭和11年)2月5日、「日本職業野球連盟」が設立され、正午から東京・丸の内の日本工業倶楽部で創立総会が開かれた。

直後の総会披露宴には、日本職業野球連盟に加入した7球団の関係者だけでなく、来賓として東京六大学連盟の関係者も出席、東京六大学野球連盟会長・平沼亮三氏(のちに「市民スポーツの父」と呼ばれる)の音頭で日本職業野球連盟の結成と発展を期待する万歳を三唱して閉会した。

その後、改称を経て、現在の日本野球機構(NPB)となっている。

1939年 日本野球連盟
1944年 日本野球報国会
1950年 日本野球機構

日本職業野球連盟の加盟7チーム

日本職業野球連盟に発足当初、加盟したのは以下の7つである(発足順)。

(1)大日本東京野球倶楽部(東京巨人軍)=読売新聞
(2)大阪野球倶楽部(大阪タイガース)=阪神電鉄
(3)大日本野球連盟名古屋協会(名古屋軍)=新愛知新聞
(4)東京野球協会(東京セネタース)=旧・西武鉄道
(5)大阪阪急野球協会(阪急軍)=阪急電鉄
(6)大日本野球連盟東京協会(大東京軍)=国民新聞
(7)名古屋野球倶楽部(名古屋金鯱軍)=名古屋新聞

これら7つのチームの設立日は以下の通りである。

1934年12月26日 大日本東京野球倶楽部(のちの東京巨人軍)
1935年12月10日 株式会社大阪野球倶楽部(大阪タイガース)
1936年1月15日 大日本野球連盟名古屋協会(名古屋)
1月20日  東京野球協会(東京セネタース)
1月23日  大阪野球協会(阪急軍)
2月15日 大日本野球連盟東京協会(大東京軍)
2月28日 名古屋野球倶楽部(名古屋金鯱軍)

なお、読売ジャイアンツの前身である「大日本野球倶楽部」は日本初の職業野球チームではない。

https://note.com/mmiyauchi/n/n7103e51f1dca


日本最初の職業野球チームは、1920年(大正9年)、東京府東京市芝区(現・東京都港区)芝浦に設立された「日本運動協会」である。

2番目は「天勝野球団」で、1921年(大正10年)2月、奇術師・松旭斎天勝の夫で、「天勝一座」の支配人である野呂辰之助により設立されている。

そして、「日本運動協会」の解散後、1924年に阪急電鉄の小林一三の協力により、兵庫県川辺郡小浜村(現・宝塚市)の宝塚球場に本拠地を置いて活動した「宝塚運動協会」を3番目のチームと数える見方と、「宝塚運動協会」を「日本運動協会」を復興した後身とみる見方がある。


日本職業野球連盟の役員人事

日本職業野球連盟の人事は以下の通りである。

総裁  大隈信常(大日本野球倶楽部(東京巨人軍)会長、大隈重信の養嗣子、実父は旧平戸藩主・松浦詮)
副総裁 安藤信昭(東京野球協会(東京セネタース)理事長)
副総裁 松方正雄(大阪野球倶楽部(大阪タイガース)会長)
相談役 正力松太郎(読売新聞社長)
    小林一三(阪急電鉄会長)ほか

総裁に就任した大隈信常は、大日本野球倶楽部(東京巨人軍)代表取締役会長を務めており、大隈重信の養嗣子で、実父は旧平戸藩主・松浦詮である。

副総裁の安藤信昭は、筑後久留米藩主家当主で伯爵・有馬頼万の二男であり、実兄の有馬頼寧とともに、東京セネタースに設立にかかわり、理事長を務めた。

なお、有馬頼寧は戦後、日本中央競馬会(JRA)第2代理事長として競馬界の発展に尽力し、日本中央競馬会にて毎年、12月に行われるGI競走「有馬記念」の名前の由来となっている。

松方正雄は、「松方デフレ」で有名な大蔵大臣を務めた明治の元老・松方正義で四男で、米国のペンシルベニア大学に留学時代は野球とアメリカンフットボールのレギュラーを務めるほどの選手だった。
帰国してからは関西財界で活躍し、阪神電鉄の社長となると、大阪野球倶楽部(大阪タイガース)取締役会長となった。

相談役の一人である正力松太郎は読売新聞の社主、小林一三も阪急電鉄を一代で築いた実業家である。
日本職業野球連盟の創立の中心になっていたのは、正力松太郎である。

連盟綱領で「世界選手権の獲得を期す」

日本職業野球連盟の「連盟綱領」は以下の3つであった。


一.我が連盟は野球の眞精神を発揮し以て国民精神の健全なる発達に協力せんことを期す
一.我が連盟はフェアプレーの精神を遵守し模範的試合の挙行を期す 
一.我が連盟は日本野球の健全且つ飛躍的発達を期し以て世界選手権の獲得を期す

連盟綱領の3つ目に「世界選手権の獲得を期す」と書かれている。
すなわち、日本の職業野球は、1936年の発足時から、世界でトップに立つ、つまり米国に勝つという目的を掲げていたことになる。

最初の職業野球連盟主催の試合

その4日後、2月9日から3日間、愛知県知多郡鳴海町(現・名古屋市緑区)の鳴海球場で東京巨人軍対名古屋金鯱軍の3試合が開催された。
この試合こそが、非公式ながら日本最初の職業野球連盟主催の試合であるといわれ、初のラジオの実況中継も行われている。

(つづく)

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