【訃報】水島新司さん/漫画「ドカベン」の正夢

 日本漫画界の巨匠、水島新司さんが今年1月10日に逝去されたことが所属事務所から発表された。82歳だった。
 去る2020年12月1日、水島新司さんは漫画家として引退を表明していた。
 「今日まで63年間頑張って参りましたが、本日を以って引退することに決めました。これからの漫画界、野球界の発展を心よりお祈り申し上げます」とコメントしている。御年81歳の決断だった。引退の詳しい理由などは明らかになっていなかった。
 水島新司さんといえば、日本における「野球漫画」の第一人者である。代表作となった「ドカベン」、「あぶさん」、「野球狂の詩」、「大甲子園」、「男どアホウ甲子園」、・・・数えきれない野球漫画を輩出した。

水島マンガとの出会い

 私と水島マンガとの出会いは、小学校1年生に遡る。同じクラスの「愛ちゃん」はスポーツ少女で、学校の近所に住んでいた。いつしか僕は学校帰りに、愛ちゃんの家に遊びに行くようになった。愛ちゃんには少し年上のお姉さんがいた。二人姉妹である。家に遊びに行くと、大量の漫画本が置いてあった。僕は何気なく、手に取ってみると、そのコミック単行本には「ドカベン」と書いてあった。いまから思えば、不思議である。二人姉妹の家のリビングに何故、大量の「ドカベン」のコミックが置いてあるのか?(父親が読んでいたのだろうか?)
 いずれにせよ、ちょうど野球の面白さに目覚めつつあった僕は、愛ちゃんの家に通って、ドカベンの第1巻から、片っ端から読んでいた。そのうちに、愛ちゃんのお姉さんが、「まーくん(当時の僕のあだ名)、『ドカベン』が好きなんだねぇ。全巻、貸してあげるから、家に持って帰っていいよ」と言ってくれた。
  それが僕の、水島新司さんとの出会いである。「ドカベン」が週刊少年チャンピオン」(秋田書店)で連載されたのは、水島さんが31歳、1972年(昭和47年)で、僕が生まれた年でもある。運命的なものを感じざるをえない。 

 ちなみに、僕は小学校2年生で隣の町に引っ越し、愛ちゃんとの初恋は終わった。(尚、スポーツ少女・愛ちゃんは、テニスで頭角を現し、高校生になる頃には全国レベルの腕前になっていたそうだ。伊達公子さんと杉山愛さんを足して2で割ったような子だった。いまは、とある大学でスポーツ医学を専門とする准教授になっている。)

「ドカベン」の魅力とは?

 さて、「ドカベン」は、テレビで見るプロ野球と共に、僕が野球を愛するようになるきっかけをつくってくれた作品である。他の野球漫画と比較したときに、ドカベンの魅力とはなんだろうか。
 例えば、野球漫画の金字塔である「巨人の星」という作品は、端的にいえば、「スポーツ根性もの」、いわゆる「スポ根」であり、主人公・星飛雄馬という青年の挫折と栄光を描く、成長譚である。そして、子供の目からみれば、星飛雄馬が繰り出す「大リーグボール」という「魔球」が一つの魅力となっている。いわば、飛雄馬を取り巻く人間ストーリーという縦糸と、プロ野球、ジャイアンツという横糸が紡ぎあっている。
 一方、「ドカベン」こと、主人公の山田太郎は幼い頃に、事故で両親を亡くし、祖父と妹の3人でつつましく長屋で暮らしている。しかも、恵まれた体格を活かし、中学時代は柔道で名を馳せる。その後、山田太郎は明訓高校進学後に、柔道で鍛えた体躯を活かして、キャッチャーとなり、中学時代の柔道のライバルと今度は野球で競う。「悪球打ち」の岩鬼正美、「小さな巨人」こと里中智、「秘打・白鳥の湖」の殿馬一人、微笑三太郎、青年監督の土井垣将、「べらんめぇ」が口癖の徳川家康監督など、一癖も二癖もある仲間たちと、高校野球の激戦区である神奈川県大会から勝ち上がり、甲子園での勝利を目指す。

 「ドカベン」にも人間ストーリーはあるが、主人公の山田太郎という男は、もとから聖人君子のような青年である。テレビアニメ「ドカベン」のオープニングテーマの歌詞にもあるように、山田は「気は優しくて力持ち」で、星飛雄馬のように野球以外のことで思い悩んだりはしない。むしろ、山田の周囲の青年たちには野球を打ち込むことを通して、精神的な成長がみられる。山田はある意味、高度な野球脳を持った、サイボーグのような男に映る。そもそも「山田太郎」という名前からしてどこにでもいそうな、没個性なものである。むしろ、山田を迎え撃つライバルたちのほうが人間味があり、個性的ですらある。
 大会で対戦するチームに不幸が訪れ不戦勝で勝ち上がる座間高校、ナイターになると強くなるチーム、ブルートレイン学園、山吹の恰好で甲子園に徒歩で乗り込んでくる弁慶高校を始め、「殺人野球」を標榜する土佐丸高校、柔道のライバルでもあった背負い投げ投法の投手・影丸、など。このあたりの荒唐無稽なキャラ設定は少年漫画という感じだ。

「ドカベン」の「正夢」~「新奇性」と「先進性」

 しかしながら、ドカベンの魅力は、その非現実的なキャラ、技術的に不可能な投法やメカニクスにだけあるのではないということだ。それは、現実の野球の試合で起こりうる範囲内の「新奇性」と「先進性」である。かつての名将・三原脩は、「野球は筋書きのないドラマだ」と語った。裏を返すと、野球漫画は「筋書きのあるドラマ」ということとなり、面白みを失ってしまいがちだ。
 ところが、「ドカベン」には、野球に長じた人間、マニアをうならせるような、試合中に起こりうるギミック、トリックプレーが数々、登場する。そして、「ドカベン」の試合中で起きたプレーが、その後、現実の高校野球やプロ野球でも起きるという現象が相次いだ。その代表例は、「両手投げ」、「5打席連続敬遠」、「ルールブックの盲点の1点」などである。

「左右両手投げ投手」=スイッチ・ピッチャー

 「ドカベン」には左右の両手投げ投法を駆使する投手、「わびすけ」こと、木下次郎(赤城山高校)が登場する。それまで、米国のメジャーリーグでは、左右両投げの投手、スイッチ・ピッチャーは複数、存在していたが、日本のプロ野球では、1987年に近田豊年が南海ホークスの入団テストで両手投げを披露し話題となるまで、現れなかった。
 「ドカベン」の劇中では、「わびすけ」は投球モーションに入ってもまだどちらの腕で投げるか分からないという変則的な投球フォームを駆使して、打者を幻惑する(尚、現在の野球規則ではピッチャーは投球前にどちらの腕で投げるかを明確にせねばならず、これは反則投法となる)。
 近田は公式戦での登板は1988年のルーキーイヤーでの1試合のみで、しかも両手投げを披露することはなかった。


 一方、メジャーリーグ(MLB)では、2015年にパット・ベンディットという投手が「スイッチ・ピッチャー」としてオークランド・アスレチックスとメジャー契約、その年の6月5日にボストン・レッドソックス戦で7回にリリーフとしてメジャー初登板を果たした。ベンディットは2回を投げ、無失点に抑えたが、左と右の両方の腕で投球した。



 MLBでは1995年9月28日、モントリオール・エクスポズのグレッグ・ハリス以来、20年ぶりの「スイッチ・ピッチャー」の登板となった。

 しかも、ベンディットの登場によって、MLBでは「投手が先にどちらで投げるか示さなければいけない」という公式ルールが定められた。 これは俗に「パット・ベンディット・ルール」と呼ばれている。日本でも2010年の公認野球規則に追加されるようになった。

 
 ベンディットはMLBで4チームに在籍、通算56試合に登板、2勝2敗、防御率4.45という成績で、2018年を最後にMLBでの登板がなく、現役を引退している。

「5打席連続敬遠」

 「5打席連続敬遠」とは、いわずとしれた、1992年の第74回の夏の甲子園大会で起きた、石川県代表の星稜高校のスラッガー・松井秀喜に対して、高知県代表の明徳義塾高校のベンチが5打席連続で敬遠四球を与えた事件である。この一件は、高校野球に見られる、行き過ぎた勝利至上主義の象徴として、社会問題にまで発展した。
 だが、水島先生はこれを予言していたかのように、「ドカベン」でいち早くエピソードとして取り上げている。
    甲子園で、山田太郎の打棒を恐れた相手チーム・江川学院(栃木県代表)の中不美夫(あたる・ふみお)が、山田太郎を4打席連続で敬遠し、最後は江川学園が1点リードで迎えた8回、明訓が満塁の場面で山田をまたも敬遠、押出しで同点となる点を与えるという「珍事」を描いている(栃木県・「江川学院」という架空の校名、「中不美夫」という架空の選手名でピンとくる方は、高校野球マニアである)。

「ルールブックの盲点の1点」

 もう一つのエピソードである、「ルールブックの盲点の1点」とは、明訓高校が甲子園出場を懸けた神奈川県大会で、隻眼の好投手・不知火守を擁するライバル校・白新高校と激突し、0-0で迎えた延長10回表、明訓の攻撃、一死満塁の場面で起きた。明訓のバッターがスクイズを試みるも小フライとなり、ピッチャーの不知火が掴んでワンアウト、その後、一塁走者の山田太郎が飛び出しているのを見て、不知火は一塁に送球、ダブルプレーでピンチを切り抜ける。不知火は小躍りしながらマウンドを降りるも、ダグアウトに還ってスコアボードに目をやると、明訓に「1」という点数が与えられており、驚嘆の声を挙げる―というシーンである(なぜ、これで得点が認められるかを知らない方は、「ルールブックの盲点の1点」でググることをお勧めします)。
 これも、現実に高校野球、しかも甲子園という舞台で「再現」された。2012年の夏の甲子園、2回戦の濟々黌対鳴門、濟々黌の7回裏の攻撃で起きた。しかも、そのとき、攻撃側の濟々黌の三塁走者だった中村謙太選手は試合後の談話で、「このルールの盲点の存在を『ドカベン』を読んで知っていた」と答えた。




水島巨匠、「弘法も筆の誤り」:ホームランキャッチでサヨナラ負け?!

 だが、水島新司さんという野球漫画の巨匠であっても、「弘法も筆の誤り」ともいうべき「やらかし」をしてしまっている。春の甲子園決勝戦、明訓対土佐丸高校の試合は延長12回裏、明訓の攻撃。曲者の殿馬が放った打球はライトへ。「殺人野球」を標榜する土佐丸高校のライトを守っていたのは、その試合中、本塁でのクロスプレーで全身打撲の怪我を負い、投球できなくなった小柄なピッチャーの犬神了であった。犬神は最後の力を振り絞って、殿馬のホームラン性の飛球を懸命に追い、右翼ラッキーゾーンのフェンスによじ登ってキャッチ。しかし、犬神了はケガの影響でバランスを崩し、ラッキーゾーンの内側に転落しそうに。チームメートが必死に駆け寄り犬神の身体をグラウンドに引き戻そうとするが、かなわず、犬神は転落。その瞬間、殿馬の逆転2ランホームランとなり、明訓はサヨナラ勝ち、土佐丸はサヨナラ負けを喫した。「ドカベン」でも劇的な名場面の一つである。
 しかし、これは、現実の野球規則に則ると、明らかな「誤審」であった。
 野球規則では、守備チームの選手が打球を捕球の時点で打者は「アウト」になる。すなわち、キャッチ後にスタンドに落ちたプレーを「ホームラン」としているのは誤りなのである。

「義経の八艘飛び」がメジャーリーグで現実に

 だが、これはご愛敬。水島先生が描いたプレーが「正夢」となったケースは他にもある。山田太郎が在籍時の明訓高校野球部に唯一、土をつけた弁慶高校は、義経光(ひかる)が本塁のクロスプレーで「義経の八艘飛び」を見せる。
   これは、現実のプロ野球でも起きかけた。2017年7月12日、マツダスタジアムでの広島東洋カープ対横浜DeNAベイスターズ戦。カープが2-1で迎えた7回裏二死満塁で、岩本貴裕(現カープ・スコアラー)が今季初打席へ。岩本は左中間へ走者一掃の二塁打を放つと、隙を突いて三塁を狙う。ベイスターズの捕手・高城俊人の三塁への送球が岩本の足に当たり、ファウルゾーンを転々する間に、岩本は果敢に本塁へ。しかし、岩本より早く送球が高城に届いたのを見ると、岩本は高城の頭上を目掛け、義経の八艘飛びよろしく、ジャンプ一番。しかし、95キロの身体は、思ったよりも飛距離が出ず、高城の顔面に岩本の膝が入った。
 プロ野球では「未遂」に終わった八艘飛びだが、実はそれに先立つ3か月前、米国MLBでは、水島先生が描いたエピソードが、やはり「正夢」となっていた。2017年4月25日、トロント・ブルージェイズのクリス・コグランはハードなプレイスタイルが身上だが、この日の試合では、走者で本塁に突進、すでにボールを持ってブロックしようとする、セントルイス・カージナルスのキャッチャーのヤディーナ・モリーナの頭上を越えて頭から飛び込み、身体を一回転させてホームインするという超アクロバティックなプレイを見せた(尚、水島先生はMLBはお好みではなかったらしい)。


リアル・ドカベン=香川伸之

 そもそも、よく考えてみれば、「ドカベン」というキャラクター自身が、「正夢」になっていた。1970年代後半、大阪・浪商高校に巨漢のキャッチャー・香川伸行が現れ、甲子園で当時の大会記録となる5本塁打をかっ飛ばして席捲し、「ドカベン」というあだ名がついたのだ。香川はその後、水島先生が贔屓にしていた南海ホークスにドラフト2位指名で入団するという、「事実は小説、いや漫画より奇なり」を地で行っていたのである。

野球というゲームの「妄想」と「現実」を行きつ戻りつする水島マンガ

 ことほど斯様に、漫画「ドカベン」の魅力とは、山田太郎という野球人としては飛びぬけているが、人間としては没個性的なキャラクターをストーリーテラーとして指名し、野球ファンの妄想と現実とを行き来しながら、野球というゲームの持つ面白さを伝えてきたところにあるのかもしれない。「甲子園」という過度に青春、努力、友情にスポットが当たってしまう舞台設定にあって、物語のベースに、野球の持つ「リアリティ」が置かれている点が、僕を惹きつけてやまないのだろうと思った。水島先生のように、野球というゲームの魅力を最大限に引き出し、そこで躍動する選手たちを生き生きと描いてくれる漫画家はもう現れないだろう。

 水島先生、お疲れ様でした。そして、どうもありがとうございました。
 水島先生が残した作品は半永久的に、野球ファンに語り継がれていくと思います。

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