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ネバダ核実験の放射能被爆によるがんで死んだとされる人たちの真相

【セント・ジョージで起こった恐怖の事件】

 アメリカ合衆国ユタ州の町、セント・ジョージの葬儀屋エルマー・ピケットは、町の異常に気づいていた。それは今を去るほぼ60年前、1956年のことだった。それまでは、がんによる死亡はごく稀だったが、その年になって突然、がんで死亡する人が増え始めた。(中略)

 ルビー・マティソン夫人は、夫ジョセフの死について、こう語っている。

 「がんで死んでゆく人を見たことがなければ、決してわからないでしょう。あれは、恐ろしい死に方でした。最後にジョセフは、あまりの辛さに自分の手の甲をかきむしり、皮をすっかり剥ぎ取ってしまいました。血だらけになりながら死んでいったのです」

 翌年の1957年になっても、がん死者の洪水は止まらなかった。

 ーーセント・ジョージの町になにかが起こっているのではないのか。

 1957、58、60年……恐るべき事態は続いた。セント・ジョージのがん死亡率は同じユタ州でのほかの地域に比べて、はるかに高くなっていた。

 セント・ジョージの不幸は、葬儀屋エルマー・ピケット自身の不幸に変わった。妻だけではなく、妹が……姪が……祖母が……4人の伯父が……妻の母が……妻の妹が……伯母が……と、果てしなく死んでいった。それは、すべてがんによるものだった。そして結局、これまでに彼が失った家族と親類の数は11人にも達している。

 エルマー・ピケット自身、甲状腺に障害を来たし、ついに外科手術を受ける日を迎えることになった。

 セント・ジョージの町に住むアーマ・トマス夫人の場合は、通りを一本へだてた家で、カールとエルニーががんで死に、カールの妻が発がんしていた。(中略)

 彼女の家の周囲わずか一区画だけで、30人ががんにかかり、そのうち10人が死亡していた。(中略)

 アーマ・トマス夫人も、自分の妹と夫の妹が、どちらもがんのために死んでいる。それは1964年のことだった。

 さらに夫が15年来のがんのため治療を受け、もう1人は3度の流産を体験し、最後の1人が重度の筋肉疾患に苦しんでいる。彼女のかつてのクラスメートのうち、70人もユタ大学病院で甲状腺の手術を受けたという。

【放射能被爆訴訟】

 ネバダ州のバンカーヴィルでは、グロリア・グレガーソンという女性が自分の町を調べたところ、80世帯のうち、がん患者の出ていない家庭は6世帯だけだった。彼女は語っている。

 「ロサンジェルスに核爆弾が落ちたら、二週間もシェルターに入っていなければならない、というのがこの西部でよく聞かれる言葉です。それなのに、カリフォルニア州の隣のネバダ州で百発もの原爆が爆発していながら、シェルターに入るどころか、私たちは何事もないように戸外で生活してきたのです」

 ネバダで核実験が始まったとき、彼女は11歳の少女だった。それから、不幸が始まった。6年後の17歳で卵巣がん、続いて腸がん、胃がん、30歳で皮膚がん、40歳で白血病。13回におよぶ大手術を受けてきた。彼女の言葉を借りれば、「日本人は百発もの原爆に相当するフクシマの放射能を浴びながら、何事もないように戸外で生活してきた」ということになる。

 1982年9月14日(大気中の核実験終了から24年後)、放射能被爆訴訟の“第一回”審理が始まった。(中略)原告の1人、セント・ジョージのアーマ・トマス夫人は75歳になりながら、山のような手紙を書き続けてきた。その宛名は、大統領、国会議員、医師、原子力エネルギー委員会、エネルギー省、国防総省……と果てしない。(中略)

 最初の証人の女性マーサ・レイノルドは、子供を白血病で失うまでを語った。

 政府の弁護士は、「ありえないことです。あのような微量の放射能で人が死ぬはずがありません」と、はっきり因果関係を否定した。長瀧重信・山下俊一・中川恵一とそっくり同じ言葉だ。 広瀬隆〈東京が壊滅する日〉より

✔️【真相〈政府の弁護士の反論が正しい〉】

 「ありえないことです。あのような微量の放射能で人が死ぬはずがありません」ーー政府の弁護士のこの言葉が真実です。

 セント・ジョージの人たちがどのくらいの量の放射能を浴びたのかよくわからないのですが、〈東京が壊滅する日〉の119ページに「核実験場の鉄工は最大20ミリシーベルトの被爆量だった」という記述があるので、「年間20ミリシーベルト」と仮定することにします。

 さて、年間20 ミリシーベルトとは本当に危険なのでしょうか?

 答えは「NO」です。詳細はこちらの記事で確認してください。

【セント・ジョージの人たちはがんになっていない】

 では、なぜセント・ジョージでがん患者、およびがんの死亡者が続出したのか?

 真相は過剰診断・過剰治療です。詳細はこちらの記事で確認してください。

【がんは痛まない】

 ところで冒頭のジョセフ・マティソンという方、あまりのつらさに手の甲をかきむしり、血だらけになりながら死んでいったそうですが、彼を苦しめたのはがんではなく、手術や抗がん剤といった誤ったがん治療です。

 実はがんというのは一部の例外を除き、ほとんど苦しむことなく死ぬことができる病気なのです。

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 中村仁一という医師は平成15年から平成22年までの8年間、79名もの様々な種類のがん患者たちをなにも治療をせずに看取ったのですが、そのうちモルヒネを使うほど痛みが出たケースは1つもなかったそうです。

 これでジョセフ・マティソンが、がんで苦しんだわけでないことがわかると思います。

 そもそも年間20ミリシーベルトでがんになるわけがないので、ジョセフ・マティソンはがんでなかった可能性が高いのですが……。

【まとめ】

 ●セント・ジョージの人たちはがんになっていない。

 ●セント・ジョージの人たちを苦しめたのはがんではなく、間違った放射能の常識と間違ったがん治療である。


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 国民の3人に1人がかかると言われるがん。しかし、手術、抗がん剤、放射線の標準治療は大変危険なものなのです。がん食事療法をぜひご検討ください。

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