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天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)

こんばんわ。
自分でも、なんでかわからないけど、「どうしても行く!」という選択をしてしまう時がよくあります。

昨日は、猛烈な風に煽られ、道は枯れ葉や枯れ枝が舞い、空は「もうすぐ降るぞ、降るぞ!」という雨雲を湛えていたのに、髪の毛を引っ張られるように向かった「名草神社」。
また別の日に行けばいいのに、こんなコンディションの時に何故か行こうと思ってしまうのには、何か訳があったのかな…。

ここのところ、天之御中主神を含む造化三神を祀る神社に関心があって、がんばれば、あと少しで行ける場所に居たこともあって、猛烈な風がとてもこわかったのですが、天之御中主神を主祭神とする「名草神社」に行ってきました。

皆さんは、天之御中主神のことはご存知ですか?
『古事記』では一番冒頭に出てくる「天地開闢の時に最初に現れた神」とされている神様です。
中世における伊勢神道では、豊受大神の本体が天之御中主神(なんと!ということは、稲荷大神もイコールですね!)であるとされてて、
復古神道を確立した平田篤胤(ひらたあつたね)は、『霊之御柱』において、この世界の姿が確定する天孫降臨以前の万物の創造を
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
高皇産霊神(タカミムスヒノカミ)
神皇産霊神(カミムスヒノカミ)

造化三神によるものとしたとのことです。(Wikipedia参照)
この三神は復古神道においては究極神とされ、なかでも天御中主神は最高位に位置づけられている神様ということです。

カタカムナウタヒをご存知の方は、最もパワーがあるとされている5首・6首・7首の中の7首にその名前が出てきますよね。

マカタマノ
アマノミナカヌシ
タカミムスヒ
カムミムスヒ
ミスマルノタマ

カタカムナウタヒ 7首

私はこの神様はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の最高神と同じ、ヒンドゥー教においてはブラフマー、密教においては大日如来、鞍馬弘教においては尊天と同じ位置付けの存在なんじゃないかと思っています。
要は、あらゆる宗教や神話等で、この世を最初に作ったとされている全能であり天地開闢の神様ですね。
世界中どこの神話も、哲学も、宗教も全て3つの神様(神様的要素)で構成されていますから、同じ存在なのだと勝手に思っています。

スピリチュアルの世界では、最もパワーがあるとか、最もご利益があるとか書いてあるサイトも良く目にしますが、私は「神なるもの」の存在に対して、「パワーがあるから」とか「ご利益が欲しいから」とかミーハーな気持ちで近づくところではないと感じています。

やっぱり、「畏れ」の気持ちって本当に大事だと思うし、1,000mを超える山に、何代にもわたって、こんな立派な建物を建てて維持していらっしゃる方々の「信仰心」に対しても失礼だと思うんですよね。

ま、知識の話は置いといて、先月行かせていただいた玉置神社に匹敵するくらい、とにかく細い道に(車一台が通れるくらいの道)、風に煽られた杉の枯れ葉や枯れ木や石ころや銀杏やいろんな木の実がいっぱいに落ちていて、車の底を擦る音が怖い、本当に怖い(いつも一人きり🥲)、今にも雨が降りそうな本当に辿り着けるのかと思う道を、なんとか上がっていきました。

但馬妙見「名草神社
名草神社の三重塔(令和五年改築)
神殿(ここは拝殿と神殿が分かれていません)
これはなんだろう。目が釘付けになった。

雨が降り始めるのにぎりぎり間に合いました。
ここまで上がってきて、さらに急な階段を登って、やっと辿り着いた!
片田舎のこんな不便な有名でもない場所に、令和五年に改築できるほどの信仰が残っていることにまず驚いたし、パンフレットには載っていないような古くからの信仰が続く神聖な場所が今も日本中に存在することに思いを馳せ、改めて日本て本当にすごい国だなぁ…と感動しました。

美しい日本の秋の風景

今、一番感じていることは、

数えきれないほどのいろんな形態の宗教、宗派、派閥、いろんな神様、いろんな神社、いろんなお寺、様々な仏像、いろんな新しい法則的なものが存在しているけど、全て同じ一つのものが時空を超えて混交し、融合し、形を変えて、「あまねく全ての人たちが救われますように(幸せにでありますように)」という一つの願いの上にあるのだなぁ。

ということです。

人間の細胞と同じように、たった一つの魂の宿った細胞が分裂を繰り返して37兆個(以前は60兆個)もの別の形に作られ、またその細胞は日々新陳代謝を繰り返して、ずっと古いものはなくなり、新しいものが生まれ変わり続けてるんですよね。
形は皆違って同じものは一つもないのに、人の願い(自分の健康や安全や幸せ、愛する人の健康や安全や幸せ)だけは人類が誕生した時から変わらないって、すごいことだと思いませんか?

そして、何かにすがり、何かに手を合わしたくなる感謝の気持ち、そういうものが人間に「プリセットされている」神秘に、感動します。

知識よりも、頭がいいことよりも、平身低頭で生かされていることに感謝して、日々の生活に感謝して、与えられているたくさんのことやものに感謝して生きれる「能力」の方が、よっぽど大切だと思うようになってきたのは、私が歳を取ったからなのかな...。

名草神社で出会った、一組の参拝者に「どちらからですか?」と尋ねたら、「北海道から来ました」と。
ナント!
どうやってこの神社をお知りになったのか、わかりません。

有名ではないですが、信仰心の高い人は、是非トライして行ってみてもらいたいです。
太陽ができる前の、太陽さえお創りになったとされる「創造神」が、❝日本では ❞ 天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)です。

諦めずに「絶対大丈夫!」と思って進むことの重要性と、
「第六感に従って行動したことは、神様がちゃんと導いてくれる」ことを信じ切ることの大切さを、改めて感じた一日でした。

明日からはまた地に足を付けて、日々を過ごそうと思います。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

では、またね。  ~祇是未在 ~










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