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「子どもがいない人生」という輪郭がないものへの不安
4月と5月は、ゆる妊活をしないことにした。
理由は、なかなか成果の出ない(流産前もあわせると3年ぐらいかなあ)ゆる妊活にちょっと疲れてしまったのと、誕生日があったので存分にお酒を飲みたいしお刺身食べたいし、好きなもの好きなだけ接種したいなと思って。
そう決めて、排卵日も行為の予定も気にせずに過ごす2か月間。びっくりするほど、気持ちがおだやかだ。
「自分を生きている」
と、思った。生物としての雌のリズムにとらわれない、イチ個人としての私の毎日。
3月に妹の子ども、つまり姪っ子を見に行ってから、私は「子どもがほしい」という気持ちがよくわからなくなってしまった。
赤ちゃんはかわいい。育てている人たちは大変そうだけど、しあわせそうにも見える。せっかくそなえている出産という機能を、わたしも使ってみたいとは思う。
でも。「子どもがほしい」とは思えない。
今の生活がすき。夫とふたりの時間がすき。
誕生日を迎えて私は32歳になり、きっと少しずつ、妊娠しづらくなっていくのだろう。そんな事実に対して、焦り…というよりも、その先に待つ靄がかかったような、輪郭の見えないぼんやりとした未来への不安が大きい。
気づけば、私のまわりには、子どもがいない人生を歩むロールモデルが少ない。
一番身近なところでは、大叔父と大叔母の夫婦だろうか。直接聞いたことはないが、「子どもがほしかったけど授からなかった」と母から聞いた。母のそのまた母の弟である大叔父は、そんなわけで、母のことをとても可愛がった。
彼らは幸せだったのだろうか。
そして今、歳をとってもなお、幸せなのだろうか。
こればっかりは、聞いたことがないから、わからない。聞いてみる勇気も、私にはない。
やはり、自分の人生に最も影響を与えるロールモデルが「母」であることは、わたしが漠然とした不安を抱える要因な気もする。
だって、母は「母」なのだ。当然ながら妊娠を経験し、わたし達を産み、そして「産んでよかった」と言うのだ。そう言われたら、産んだほうが良いのかもしれない、と私は思うのだろう。
おばあちゃんとなった母と、母となった妹は、赤ちゃんとの日常を楽しんでいるようだ。家族のLINEで盛り上がる様は、微笑ましい。けれど、たまに、息苦しくなる。なんでなんだろうなあ。
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