子どもが欲しいのかは、正直わからないけれど。

強烈に「子どもが欲しい!」と願っている人を見ると、すごいなあと思う。

わたしだって、小さい子どもを見て「かわいいな」とは思う。

そして、自分の子がいたらきっと、そりゃあとてもかわいいだろうなと思う。

でも、この気持ちと「子どもを欲しいと思うのかどうか」とは、また別の話だ。

◇◇◇

最近、姪っ子が産まれた。

写真で見る姪っ子はそりゃあもうかわいくて、「この世界へようこそ」という気持ちになる。

でも、育児は大変そうだ。しあわせそうだけど、大変そう。

そんな様子を見ていて、わたしの中で「自分も子どもが欲しい」という気持ちは、湧いてこなかった。

ちなみに、妹が妊娠したときは、素直に喜べないほど「うらやましい」と思った(そのときのことをnoteにも書いた)。

そして、思った。

わたし、子どもがほしいんじゃなくて、妊娠したかっただけなのかもしれない、と。

◇◇◇

子どもを育てるのが簡単なことじゃないことぐらい、経験していなくても、なんとなくわかる。

そして、それを受け入れる覚悟は、今のわたしにはない。

じゃあ今、なぜゆるく妊活をしているのかというと…

ひょっとしたら「妊娠したい」からなのかもしれないな、と。

わたしは「子どもが欲しい」というよりも、「せっかく女に生まれたから、妊娠を体験してみたい」「子どもを育てる、という人生を生きてみたい」と感じている気がする。

んー、まあそれが「子どもが欲しい」という気持ちだと言えば、そうなのかもしれないのだけど。

でも、なんか、母性的な「子どもが欲しい」じゃあなくて。

どちらかというと人間の機能として「せっかくそういう機能があるなら、使ってみたいな」という好奇心的な感じ。

◇◇◇

そして最近は、以前にも増して、「子どもを授かること」にあまり執着しなくなってきた。

もちろん今も、ゆる妊活はしている。

ちなみに「今月はいけそうかも」という根拠のない期待は、先日生理が来たことで「だめだったか~」と打ち砕かれたけれども。

でも、「だめだったか~」とは思ったけど、あまり落ち込まなかった。

◇◇◇

わたしには、「子どもが絶対欲しい!」というような覚悟がない。

不妊治療をする気もない。これ以上ストイックな妊活をする予定もない。

きっと「絶対欲しい!」と思うのだとしたら、年齢のリミットを考えても、もう行動したほうがいいタイミングだと思う(今年32歳になるし)。

でも、しない。

そこまでして「子どもが欲しい」とは思ってないのだと思う。

そして、心のどこかで「自分に妊娠出産という経験が必要であれば、きっと授かるのだろう」と思っているからかもしれない。

自分にそこまでの覚悟がなくても、もし授かることがあるのならば、それはきっと「自分には妊娠出産の経験が必要だし、きっとそれを乗り越えられるはず」ということなんだろうと思う。

だからもしも授かれたら、わたしは「覚悟はないけど、自分にはできる」と信じて進むんだろうな。

一方で、もしも授からなかったとしたら、それはそれで「そういう人生が、わたしには必要なのだろう」と考えて、夫婦ふたりでの人生を謳歌する気持ちの準備ができている。そういう覚悟は、できている不思議。

ただ今は、どちらの可能性も持てるように。

「欲しい」と思って授かれるものではないと、一回目の妊娠でわかったから。

自分で選ぶよりも、人生の流れに任せるようなやり方の方が、自分には合っているのだと思う。


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