見出し画像

推し(ONEUSからRAVN)が脱退した話

推しが脱退した。
私がONEUS沼にはまって1ヵ月ほどの、推し始めてまだ間もない、しかしそれ故に熱っぽく鼻息の荒い感情を募らせていた矢先だった。

2022年夏、すでに「推し」と声高に言える存在がアイドルに、3人居た。その3人目が、今年の春先に兵役に行った。推しが不在のカムバックも、これから何年続くかわからない軍白期も、私にとっては初めてで、不安と寂しさでいっぱいだった。それらを紛らわすためには目新しい推しを作るのが何より手っ取り早いとわかっていたので、かねてから友人たちに勧められていたグループのMVを休日にどしどし観た。そこからONEUSが、RAVNが、毎日の糧になった。
もともとONEUSの曲は先輩が好んで聴いていた影響で私も1年ほど前から聴いていた。どれも世界観がまるで違うのに、どれもかっこよくて聞き惚れていた。当然メンバーの写真も見たけれど、その時はまだ新しい推しを作る時ではないと、深入りしないようにして検索ページを閉じたのだった。そうだ、今こそ美しい音楽の演奏者達に再会し、音楽だけでなくそのアーティストまで知ろうと、お近づきになるタイミング!と思い、MVを観て、Behind映像を見て、気付いたら旧譜をかき集めていた。
韓国アイドルの質には絶大な信頼を置いているので、ある程度知れば、簡単にハマることはわかっていた(だからこそ忙しい時期には調べないようにもしていた)。ONEUSもまた、6人全員が魅力的で、互いがその個性を生かし引き出し合い補い合って、よりよい表現に切磋琢磨する姿を青春と言わずして何と言おう。いつか直接ステージを観たいと強く思うのに時間はかからなかった。本当にタイトル曲がどれも質が高く、ジャンルが幅広く、その全てを見事に消化していると思えた。本当に曲を聴く度に違う世界に行けるようで、歌手のことも知ってからは一層好きになった…。

RAVN氏が推しだと自覚するのも比較的早かった。甘いマスクで、生き生きとラップをする表情が魅力的だった。「曇りガラスみたい」と言ったことがあるけど、澄んだ美声ではない、どこかあどけない響きを残す歌声を、彼が発するから好きになった。ステージの上でも外でも、一生懸命パフォーマンスに向かっているように見えて心惹かれた。なるほどナルシストらしいセルカも、アイドルらしくて、推し甲斐のある人だと思った。あと、なんとなく最年長っぽいな…と思っていたら案の定最年長だった!(私の推しの傾向として最年長やリーダーが多い…知らないうちにレーダーが働いていることに若干怯えもした笑)
山ほどある過去の動画やインタビュー記事を毎日漁って、楽しかった。兵役で推し不在の寂しさを紛らわそうという目論見は大成功だったのだ!韓国アイドルを好きになって4グループ目で、界隈のしきたりもわかってきたので、ONEUSに関してはファンメイドの動画は極力避けて公式動画から見ようそうしてファンの人気や好みというバイアスを極力削いだ勉強をしていこうと意気込んだりしていた。

なんと幸運なことだろう、いつか直接ステージを観たいと思っていたばかりなのに、近々世界ツアーで日本にも訪れるという!こんなにすぐ願いが叶うなんて恐いくらいだ。友人を巻き込んでチケットを無事取ることができ、そうして日本アルバム発売のニュースにまた喜んでいた。もうすぐ大好きな曲を、パフォーマンスを生で拝むことができる!ヨンジョくんに会える!まだ見ぬ彼は、きっと画面で見るよりもっと背が高いんだろう男前なんだろう、実際に見たら余計に好きになってしまうだろう、今までの経験がそう確信させる…。

でも、その日は来なかった。

2022年10月14日の夜に一連のツイートが何の予兆もなく落とされ、その日を境に、彼が姿を現すことはなくなった。
2022年10月27日の夕方に、私が2番目に望まない報告が出された。私は初めて、推しの脱退を経験した。
この期間に、いやそれ以降今に至るまでも、経験したことはどれもできれば経験したくないものばかりだった。ただ現在進行形で直面している間は生きた心地がしないが、文字にして後から振り返ってみれば、長い韓国アイドル界の歴史からすればありふれたものばかりなのかもしれない。私が毎日この世の終わりかのように大仰に繰り返したお葬式ツイートの数々は、かつてそれらを経験した古くからのK-popオタクの人々からすれば青臭い感情なのだろう。それでなくとも見て心地よいはずはないのだが、彼を知って1ヵ月という新参者も良い所の身で、まだ彼を直接見たことも言葉を交わしたこともない私が(ヨンジョペンと名乗ることはしないでいたが)何を悲しむことがあるのか、自分でもその「イタいツイート」の悲愴っぷりが滑稽だった。

当初から、知識としてはあったキューブラー・ロスの「悲しみ(死)の受容プロセス」を体感していた。すなわち「否定、怒り、取引、憂鬱、受容」の順で、最後の受容までは中々辿り着かなかったが、それらを行ったり来たりしているなぁと自覚していた。そうわかっていても、波のように押し寄せる悲しみとどこともなく走りだしたくなる衝動を説明して抑えてくれるものではなかった。優しい友人達の支援は代えがたいものだったが、それすらも癒しを与えてはくれても痛みを和らげるものとは言い難い。和らげるものがあるとするなら、ただ時間しかなかったのかもしれない。

私(達)は、少なくとも3つの苦痛を味わわなくてはいけなかった。1つは、慕っていた人物の悪行をまざまざと見せつけられ、その罪を認めなくてはならないこと。2つ目に、その罪の重さに関わらず、愛した人が糾弾されている様を目の当たりにすること。最後に、愛しい彼がその姿を隠し、消息すら知れない状況になること。(他にも、かつての同志と仲違いして友を失ったとか、心無い言葉を直接ぶつけられたとかいくらでもあるだろうが…。)

1つ目については、そもそもまだその告発された言動のうちどこまでが事実か明らかにされていないので、各々自分で引いた「ここまでが事実だろう」の線に沿って議論しているこの状況が混沌とした地獄でしかない。私が至った受け止め方は、「罪のない人間はおらず(若く容姿端麗な人気者なら尚のこと誘惑も大きかろう)、それには悔い改めと償いが必要である。」「ただその罪の生々しい委細を抵抗なく認めるにはあまりに私が未熟であったから、動揺して悲しむのも道理」。2つ目にも共通して、これはクリスチャン的な考え方に基づいている所が大きいかもしれない。「罪:絶対的な善悪が価値観として存在する」ではなく「恥:相対的で他者の価値観により左右される善悪」が文化の基盤であれば、問題の原点は全く違った捉え方になるだろう。(私がここまで努めて彼を「罪人」と呼んでいるのは、そもそも人間はみな罪人という前提があるが、彼をかつては偶像として持てはやし礼讃していた集団が一転して断罪に精力を注いでいる光景への当てつけでもある。こういう報復的な心理も、憎しみに支配されたという点で私の弱さであり罪深さでもある。この1ヵ月で自分の罪をいくつ数えただろう…。)

2つ目については、私が最も苦しんだところかもしれない。もうこれは韓国という国のアイドルを好きになった時点で覚悟せねばならない所だったのだ。この業界では、「叩いて良い」とされた対象はとことん叩かれる。はじめはヨンジョくんの(どこまで本当かわからない)犯した罪に嫌悪感を抱いていたが、次第に、特に韓国語で多く散々吐き出される非難と中傷のツイートの暴力性を目の当たりにし、かつての愛しい人が四方から石打ちにされていることの方が辛くなった。脱退要求なんてかわいいもので、存在自体を否定するような呪いの言葉に、彼の写真を破いたり燃やしたりは朝飯前のようだった。あぁここに救世主がいれば、「あなた方のうち、罪を犯したことのない者だけが彼に石を投げなさい」と庇ってくれるはずなのに。

3つ目は、きっと長く彼のファンとして近くにいた人ほど喪失感が大きいだろう。脱退後11月の日本公演で、私は彼以外の5人のステージを見ることができた。何もかも性急に用意されたステージのままで、おそらくONEUSの本領のごく一部しか発揮できない完成度だっただろう。それでも輝いて見えた5人のパフォーマンスと、大好きな曲群を聴ける喜びと同時に、一番恋焦がれた人の不在を突き付けられたコンサートだった。彼だけこの目で見たことがないのだから、彼だけ私の中で空想上の人物のままのようである。情けないことに、私はこれからどんなに勉強しようと、彼を愛してきた先輩のファン達とは同じ人物について語ることができないのだ。私は彼を見たことがないのだから…。

ONEUSの音楽はとても多彩で大きな規模の世界観を持つ、そんな所も好きだった。多くのグループがそう信じられているように、私もONEUSは6人で完成するグループなのだと当たり前に信じていた。しかし現実は、突如現れた匿名の暴露によって、うち一人は低俗で加虐的な卑しい男の烙印を押され、始めからいなかったことにされた(過去の映像からも抹消され、メンバーも話題を避けて“RAVN”の存在を消そうとしていることは誰の目にも明らかだった)。そのことが受け入れられなくて、まだこの目でRAVNを捉えたことのない私はONEUSのことを寓話の類だと思うようにした。現実に存在する生身の人間ではなく…。

4番目のミニアルバム“LIVED”の世界観からすれば、民に愛される偉大な王はかつて6人だった。血を渇望する呪いにも抗い続けて、苦しみながらも高潔で尊い身を貫いた英雄である。しかし現実のキムヨンジョは己の欲望かはたまた悪意ある罠か、それに足をとられ、己の罪を白日の下に晒された。これ以上民の信頼は得られず、かつての気高い王座は大罪人の処刑台となった。
誘惑に流され奈落に落ちた男の顛末は、フルアルバム“DEVIL”で描かれたそのもののようだ。映像では6人ともが鬼のような恐ろしい形相を携えながらも、実際に悪魔の手に堕ちたのは一人で、結果として彼こそが地球と月の蜜月を阻む存在だったと語られることになる、とは思ってもみなかった。(ただ彼の処遇によって“Incomplete「完璧じゃなくても大丈夫」”の歌が持つ価値は失墜した…少なくとも私の中では。むしろ一点の汚れも許されない、ONEUSとは純潔な者だけが残る聖地であると、本人を含めこれまでの対応で示してきたからだ。)
彼が最後に参加したミニアルバム“MALUS”は禁断の果実をモチーフにしており(おそらく意図としては、知ったら抜け出せない致命的な魅力を知りたいか?とかそんな感じなのかもしれないが)、私には、罪が知られない間は無垢な存在であった偶像(RAVN)の、俗世の人間としての醜い部分を皆が知ってしまった、それ故に6人のONEUSという楽園から全員が追放された…という悲劇の予言だったようにも思えた。こじつけ都合の良い解釈だろうが、それだけ、6人でいたころのONEUSは美しく、知りたくもない開示の後は地獄のような気分だったのだ。

同じ音楽も、聞く人間の心理状態によっていかようにも響きを変えるといわれる。まだ6人だったころの音源たちは、聴く度に私に消えない悲しみを呼び起こすようになったが、それでも変わらず美しく普遍的な愛を説いてくれている。

1ヵ月以上の時間を経て、心に凪が訪れる時間も多くなった。それでも彼の罪状は明らかにされないままだ。

もちろん後ろめたいことがあれば心の底から悔い改めて償ってほしい。その全てを公開する必要はない、傷つけた相手に謝罪して、神の前で告白できればいい。
何よりも、君の平穏と幸せを一番に願っている。生まれてきてくれて、生きていてくれて本当にありがとう。君は生きているだけで、私にこうして希望を与えているんだ。もしかしたらまたどこかで、君の歌声を聴ける日が来るかもしれない。

君は一度表現者として生きる道を選び、その類まれなる才能と身体で、たくさんの経験と感情を美しい音楽として昇華してきた。私はその作品たちに琴線を震わせながら、今は泣くことしかできない。いたたまれなくてペンをとっても、ちっとも詩的でない、論理的ですらない、散らかった言葉しか出てこない。昨日は解けた感情が今日は顔を出し、毎日自分の卑しさに絶望して、なんと惨めだろう。君なら、こんな情けない感情も、美しい音楽に昇華できるのだろうか。

かつて愛した6人の寓話はもう永遠に紡がれることはないけれど(未練がないわけない、本当はずっと6人で笑い合ったり睨み合ったりしながら歌う姿を見ていたかった、惚れた男は5人と一緒にいたRAVNだったから)、5人の英雄伝と、はぐれた1人の男の生きた物語として、もう一度続きを期待することはできないだろうか…?まだ見たことのない君よ、私は君の預かり知らぬ所で君に幻想を抱き、失望し、また希望を捨てられず神格化すらしようとしているようである。叶うのなら、はやくこの夢を醒ましてほしい。このままじゃ悪夢のままだよ、変わらず現実で音楽と向き合いもがく一人の人間なのだと思い知らせておくれよ。

歴史とは生き残った者次第で都合良く書き換えられるものだ。無力な私は、始めから5人しかいなかったといくら言われても指を咥えて見ていることしかできない。最早君が去った後の歴史を何と評されようと興味はない、そう言えるために、君には君が描く物語を綴ってほしいと思うのだ。贖罪の日々を過ごして、そうしてまたいつの日か、君を愛する人たちの前で不敵に笑ってほしい、「キムヨンジョが勝つんだ」と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?