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インドJKは面白い人生を歩まなくてはいけないのか問題(1)

初めまして。ふみこです。コロナ自粛期間の有り余る時間で、自身の経験や日頃考えたことを文字に起こしたいと思い、始めてみました。

ざっと自己紹介をすると、この3月に群馬の県立高校を卒業、春から大学進学する2000年生まれの19歳です。16歳の夏に高校を1年休学し、インドに留学をしていました。一人旅が好きで、お年玉貯金で東南アジアをふらついたり、ワクワクする事、心踊る事を目前にすると、いてもたってもいられなくなる性格です。
これだけを並べると、型破りな生活をしていると思われがちですが、普段は勉強部活に励み、放課後はプリクラ、サイゼリヤに入り浸るような、ごくごく一般の女子高生でした。

そして今回はnoteで1番シェアしたかったお話。

「インド留年」した私が帰国後、2年間群馬の県立高校に通いながら抱えていたモヤモヤについて

私のインド行きは紆余曲折の末、(長くなるのでまた別の機会に書かせてもらいます)周囲の反対を押し切って、飛び出すという運びでした。
そんな我を貫いた16歳の少女の単身インド生活は想像以上に色濃いものでした。
毎食手でカレー生活、ペーパーのないトイレ、牛に揉まれる通学路。16年間の常識が一切通用しない国インドに自分の甘さ、全てだと信じていた世界の狭さを思い知らされ、カウンターパンチをくらい出ばなを一発で挫かれたような気分を味わいました。


「将来は絶対好きな事して生きていくんだ!高校なんてやめてやる!」と鼻息荒く帰国した私は、思い返せばとにかく暑苦しい人間でした。
どれ程かというと「インド帰りの群馬女子高生がぶっちゃけトーク!〜暑く熱いインドに恋した1年間〜」というタイトルの講演会を開催しちゃう程。笑

でも、人間面白いもので、いざ「インドの子」として声をかけられたり、いろいろな機会を貰ったり、また単純に「すごい」と言われれば言われる程、現実の自分との乖離に悩まされたりもしました。そして同時に「期待に応えたい」だとか「面白い人間でなくてはならない」と自分に負荷をかけていたようにも思えます。当時何よりも恐れ、拒んでいた事は”普通”になる事でした。(まず普通とは何かという議論にもなりそうですが)


⚪︎なぜここまで”普通”になるのが怖くなったのか

大きく2つの理由があると思っています。

1つ目。よく意外がられるのは、帰国後に一層人目を気にするようになってしまった事です。

うまく言語化できなかったものの、当時の私の口癖は
「なんか恥ずかしい。日本にいると恥ずかしい。」でした。

一度雑踏に紛れてしまえば自分が何者かも気にとめる事もなく、混沌とした世界の一部になれたインドでの生活。「恥ずかしい」という感覚とほぼ無縁で過ごせた世界から、突然、きちっとした制服に身を包み、規律正しく過ごすことを求められる世界に引き戻されました。

俯瞰的に自分を見なくてはと過剰に意識していたのかもしれません。常に「今の私大丈夫かな」とソワソワしていた記憶があります。
そこで私は日本人らしく適応する方向にではなく

「インド帰りの高校生」としてどうみられるかの方に拗らせました。

「周囲は私に何を求めているのか」「何かしらで周りをアッと言わせることをしなくては」「今ここで私が突拍子もない凄いアイディアを出すことを期待しているんじゃないか」などなど。

今考えてみると相当な自意識過剰のようですが、当時は本気で「普通じゃダメだ」「面白くあれ」「異端であれ」と気負っていました。

これが私が”普通”を拒んだ1つ目の理由です。


2つ目。

人と違う道、チャレンジ、自由を手にしたからこその制約と苦悩でした。

上にも書いた通り、インド行きはトントンに進んだ話ではなく、家族、学校の反対を押し切っての強行突破でした。

帰国後、私がそうこうしている間にも、元同級生が本格的に受験に本腰を入れ始め、春には進路実現、新生活を謳歌する様子を横目で見るたびに不安がよぎりました。

それは決して自分の決断に迷いが生まれたからではなく、覚悟はできていたはずでした。しかし周囲を押し切り、ましてや高校を留年するという対価を払っての挑戦に1人で立ち向かわなくてはならない、いざ孤独になった時私は臆病になりました。

そこで、人と違う道を選んだ自分を肯定したいと強く思うあまり、自分が選ばなかった道を選んだ人の生き方を認めるのが怖くなりました。

だから”普通”を忌み避け、”普通”の人生なんてつまらないはずだ、勿体無いとまで思っていました。(当時はホリエモンさんの自伝を精神安定剤のように読み漁るのが趣味でした笑)

これが2つ目の理由でした。


⚪︎「山月記」臆病な自尊心と尊大な羞恥心

結局私がなぜ"普通”を拒んだのか。

2つの理由からもわかるように、強い意志の持ち主であったわけでも、本質が伴ったものでもなく、自分のプライドが邪魔をして弱さをさらけ出せない所にあったように感じます。

当時の私は高校の小説に出てきた中島敦の小説「山月記」で自身の過去を振り返った李徴のセリフに深く共感していたのを覚えています。(私もいつか虎になってしまうのではと本気で怯えていました笑)


周囲から異端と称されるたびに、その印象に自分がどう答えていくのか、それが一種の強迫観念のようになり押しつぶされそうになりました。そして何より自分が本当に異端として生きていく価値ある、輝ける人間であるのか、通り一遍の薄っぺらい人間なのではないか、思考を巡らせながら自分への嫌悪感と”もしかしたら”というちょっとの期待に揺れ動いていました。

>>>続く



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