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なぜ今ここにいるのか〜教師になった理由〜 中村 柾

自分の原点に立ち返るため、なぜ自分はこの場所にいるのか振り返ってみる。

教えることが好きだった。
 中学校で隣の女の子に勉強を教えて、定期テストで50点以上も上がって一緒に喜んだ。朝から一緒に勉強して、独自問題とかも作ってあげた。気付いたら高校生になっても、仲間に勉強を教えることが多かった。母親曰く、小学生の時にも周りの人に教えることが多かったらしい。これは、「教える」ということが、自分が人の役に立てる方法であったからである。そうやって、自分は自分の存在意義を示してきた。「自分が誰かの役に立てる」。これ以上にない喜びであり、幸せな瞬間である。

そして、教えることがおそらく得意な方だった。
 一人ひとりに合わせて寄り添って、どこが問題なのかを分析して、スモールステップに分けて練習して、褒めて、達成させることができた。そして、「寄り添うこと」「つまずきを見分けること」は中学生の時から自然にできたことだったと思う。

塾の先生に影響を受けた中学生の時、将来自分が塾の先生をやるだろうとボヤッと思っていた。実際、塾の先生として働いてみて、やりがいもあったし、楽しかった。自分の教える生徒に寄り添って、休日でも一緒に勉強して、コーチしながら、一緒に達成することは楽しかった。

大学に入って、教育実践サークル・塾講師と、教育への興味はずっとあった。どうすれば一番効果的に教えられるのか、どうゆう学びがいい学びなのか。国際教養学部に入った時に感じた自分の英語の通用しなさから感じた英語教育への疑問。そういえば学校の授業(中・高・大学)も面白くない授業多いなぁ〜、と思うことが多かった気がして、なぜ面白くないのか?逆にどんな授業が知的好奇心が引きつけられるのかへの興味も沸いている中でアメリカ留学へ

留学先では英語の授業を取った傍で、言語を教える授業や日本語のTAもしたりした。言語の教え方である言語学や教授法、心理学など興味深い授業が多かった。プロジェクトがあったり、長めのエッセイがあったり、日本の大学よりも授業構成が面白かったし、興味深かった。さらに、大きな”教育”というものがアメリカでどう教えられているか気になったため、もう1年留学を延長して、多くの教員を養成する学校で教育を学んだ留学2年目。

教育心理学、教育学などの授業を取りつつ現地の学校で3週間教育実習をさせてもらえることに。教育実習の様子を毎日ブログで取り上げた。そこで気付いたのは、当たり前だが、日本とアメリカの教育ってかなり違うこと。大事にしている価値観、ルール、教え方、学び方。どちらがいいってわけではないけど、こんな教育があるんだっていう学び。

そしたら、他の国はどうなんだろう?って思っていたら、大学の教授に”スワジランドに実習できる学校あるよ!(まだ誰もいったことはないけど笑)”って言われた。アメリカの教育をみて、他の国の教育も気になり始めた自分にとって、”アフリカの教育”は、さらにまた面白そうなものだった。ということで、アフリカに2ヶ月行くことに決定!そして、日本帰国までの2ヶ月はインドのNPO(Teach For India)でインターン&教育実習をすることが決定。

アフリカ・インドの学校をみた自分は、学校は社会の縮図であることを改めて感じた。アフリカやインドは、それまでテレビの中の世界だったが、現地に行って感じる雰囲気、喧騒、匂いなどを肌で感じて”世界”というものが少しわかった気がした。そして、現地の人と交流していく中で、世界の広さや多様さを感じるとともに、日本のユニークさや良いところもたくさん再発見した。

卒業後の進路は悩んだ。民間就職か教員か。周りには民間就職する人しかいなかった。教育に興味のある人や教員になりたいと考えている人でも、まずは民間に就職してその後教員になるという人が多かった。自分は何をやりたいか、何ができるのか、どう生きていきたいか考えた。

その中で、より重視した考えは”自分の経験をどうやったら最大限生かせるか”&”自分の強みを生かせるのはどの仕事か”である。自分の強みは”教えることが好き・得意”・”海外の経験を伝えられる”といったことで、それを一番生かせるのは教員であるということだと考えた。教員として、自分の体験や感じたことを生でダイレクトに生徒に伝えられる。それで、もし生徒の役に立てたらそれ以上に幸せなことはない。

自分が海外に挑戦してきたことで貢献できる。

“挑戦と貢献”は大事な自分のキーワード

そうゆうわけで自分は今ここにいる。

20201012     中村 柾

<なぜ今ここにいるのかシリーズ第二段>


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