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新日本プロレスのV字回復の秘密

数年前山手線の車内広告が新日本プロレスのG1のポスターで埋め尽くされた時は、驚きと共に時期尚早であると感じだ。


確かに、暗黒時代をようやく脱しかけた時期ではあったものの世間の選手の認知度は低く広告の意味をなしていなと思えたのである。
しかし、あの見切り発車とも思えるものも戦略性があった。
つまり「流行っている感」を演出したのだ。ブームに乗るのではなく会社側でブームを作り出したのだ。


この手の手法はある意味、電通的ともいえ例えば「100日後に死ぬワニ」が記憶に新しい。しかし、世間のリテラシー能力が高まった現在では反発を招くことがある。しかし、当時の親日はその弊に陥ることなく上手く乗り切りまさに後の新日ブームの端緒とすることが出来た。

現場レスラーが経営面を担おうとすると、現場の意向が反映できる反面、経営が後手に回りやすい。確かに、かつての新日は行き当たりばったりで情緒的なマッチメイクが多かった。


経営改革の際には両者をきっちり区分けし、経営の近代化をはかった。
背広組がリングに上がるのが出来ないのは誰もが分かることで、それは逆も同じなのである。

SNSは有名人とファンの距離感を一気に縮めた。
だから一見するとどこにでもいそうなタイプが人気を得る傾向にある。それはプロレスラーにも当てはまる。
かつてのファン層はリングの中に非日常的な空間を求め、それに応えるように巨漢レスラーが招へいされていた。また会場にも独自の緊迫感がありそれが暴動事件に繋がったこともある。


その点今の客層は暖かく、レスラーに親しみを求めているように感じる。
最近、長州力がバラエティ番組で人気を集めている。その扱われ方を見ると隔世の感がある。かつての長州は取材記者ですら近寄りがたく、花道からリングに進む時など威圧感でモーゼの十戒を思わせる程だった。またそれがレスラーの矜持を体現していたのだが、世間に対しての壁になったことは確かだ。


そんな長州もイジられることを許容し、テレビに引っ張りだこだ。


現役選手もかつての先輩レスラーような対世間の壁を作らなければ、キャラクターの立った選手はメディアで引く手あまたとなり、それが会場への集客に繋がるといういい循環が生まれている。

「マニアがジャンルをつぶす」という言われ方がされる。マニアは熱を持っており、運営側はそれに引きずられがちだ。しかし、そうすると新規のファンを開拓できない。だが逆に大衆向けになり過ぎるとコアなファンがいなくなり一過性のブームに終わる。


かつて猪木は興行スタイルとして「環状七号線の理論」を提唱していた。
それは以下のようなことだ。七号線というのは東京の都心部から郊外に向かって同心円状に拡がっている。そして、会場も後楽園ホールを中心とすれば外側の円に行けば行くほど、より収容人数の多い会場となる。


小さい会場で観客の息遣いを確認しながら手ごたえを感じたらより大きな会場で興行をうち、最大規模の会場まで進む。そしてまた後楽園に戻って軌道を修正するという事を雪だるまを作るかのように繰り返すのだ。
理論的には正しくても言うわ易し行うは難しで中々実現できるものではないが、今の新日は良い塩梅で実現できているように思う。

WWEの売上高は新日の約20倍である、そのため道場やリング上で選手を育てた所で、引き抜かれる懸念はつきまとう。それを避けるためには選手への高給が欠かせない。海外のマーケットに展開するためにYOUTUBEに字幕を付けることもその一環だ。


一つのベンチマークとして一億円プレーヤの輩出を掲げているが、会社から払う給料と他の収入と合わせれば可能な数字だ。新日本は芸能事務所と提携して選手がCM収入のようなプロレス以外からの収入を得られるような舞台づくりをしている。

参考

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