025.モンサンミッシェル

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し

萩原朔太郎が大正14年(1925年)に著した『純情小曲集』の「旅上」の一節は、私は中学・高校時代を通じてのテーマフレーズのようなものでした。毎日毎日くちずさんでいました。そのフレーズに続く「せめては新しき背廣をきて、きままなる旅にいでてみん」という箇所に差し掛かるや、「背広なんて着ないし、『きままなる旅』ではなく、どうしてもフランスに行きたい」と毎日思っていたことをよく覚えています。

私の子どもの頃のフランスは、ちょっと特別な感じがありました。朔太郎だけではなく、フランスに憧れていた文人や芸術家は数知れず、「おそ松くん」に出てきたシェーのイヤミだってフランスには「おフランス」と敬称をつけていたくらいです。ピアニストかバレリーナになる予定だった私にとっても、子どもの頃からフランスは憧れの国でしたが、私のフランスかぶれを決定づけたのは、小学校の時に手にしたある写真集でした。


小学校5年生の時に引越しをしたら、新しい小学校の学区には鼓笛隊がありました。私も誘われて参加して毎週楽しく練習していたある日、地元でフランス人が経営しているというブドウ園の運動会に、その鼓笛隊が招かれ演奏することになりました。東京の西の郊外でしたが、そこの土地はブドウの栽培に適しているというような話でした。

鼓笛隊の子どもたちは、演奏したあと色々な競技に参加しました。日本の運動会では、綱引きや玉入れが定番の競技ですが、フランスの運動会では、小さな子どもがすっぽり入りそうな麻でできたじゃがいもの空袋に両足を入れて、腰のあたりで袋の端を両手で持ち、ぴょんぴょん跳びながら50m位の競争をするのが定番競技なのだそうです。

私は子どもの頃から走るのが苦手で、いつも一番ビリでしたが、このじゃがいもの麻袋競技だけは、どういうわけか一等賞になりました。そしてその時の一等賞の賞品が『魅惑の世界旅行』というタイトルの写真集だったのです。

この写真集は、タイトルと最初の数ページこそ日本語でしたが、あとはすべて英語とフランス語で書かれていました。表紙の下には エールフランスと書かれていましたから、おそらく、あの本はエールフランスが顧客に配るための販促品か何かだったのだろうと思います。

その本は、エールフランスが就航している世界中の風光明媚な観光地の写真集で、英語とフランス語でその説明がなされている本だと思われました。私の両親はフランス語はおろか英語も読めませんでしたから、誰に質問することもなく、私は毎日その写真集をずっと眺めていました。

今日では珍しくもない観光地の写真集ですが、昭和45年(1970年)大阪で万博が開かれた年に、プロのカメラマンが撮影した美しい写真が、上質な白いツルツルの紙に印刷されている写真集は、私の心を捉えて離しませんでした。当時は、紙といえば藁半紙というような時代でしたから、A4版をやや真四角に近づけたような大判の写真集は特別でした。重さも両手にズッシリとくるほどでした。

どの写真も、それはそれはうっとりするほどの景色で、朝焼けの山、夕焼けの海、花畑、港町、都市も田園も、南国も北国も素晴らしい写真ばかりでした。ローマ字読みで読める地名もあり、大きくなったら世界中のあちこちへ行ってみたいと思いながらページをめくっていきました。

中でも私の心を捉えて離さなかったのは、Mont Saint-Michel という文字のついている写真でした。浅瀬の中のぽっかりと浮かんだ山というか建造物というか、なんとも不思議な島でした。2枚の写真があって、1枚は真横から写したもので、もう1枚は上空から写したもので、淡い薄紫のグラデーションの海の中にその姿を浮かべていました。

いつか、いつの日にか、この島へ行ってみたいと強く願うようになりました。ただ問題はその美しい島の名前がわからないということでした。当時の私には、その島の名をモンサンミッシェルだと読むことはもちろん、フランス語だと思われる言語で書かれた地名の読み方を聞く大人の見当すらつかなかったのです。今の小学生なら、両親や学校の先生に聞くでしょうが、当時の私は、両親や担任の先生に Mont Saint-Michel が読めるとは思わなかったのだと思います。


1985年夏、私は3年4ヶ月会社員をして貯めたお金で、1年間住むという目的で、フランスへ出かけました。そして秋、遂にモンサンミッシェルへ行くことができました。モンサンミッシェルは、北フランスの干潮差が大きいサン・マロ湾にある小島の上に聳え立つ修道院で、満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には陸続きになります。古くから巡礼の地として知られ、世界遺産にもなっています。

モンサンミッシェルをこの目で初めてみた時、あの Mont Saint-Michel が現実に存在していたということがにわかには信じられないような気分でした。まるでお伽噺から飛び出てきたシンデレラが現実に生活しているのを見たような不思議な感覚でした。島の中の参道は、世界各国から巡礼に訪れる人々や観光客のために、熱海や浅草のお土産物屋さんが並んでいる様相でしたが、それでも私は浮き足立っており、夢見心地の一日を過ごしたのでした。


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