219.会社のお中元’80

新卒で就職した時、私は社長室秘書課に配属されました。主な職務内容は来客へのお茶だしと社長のカバン持ちという典型的な昭和の秘書でしたが、大きな業務のひとつにお中元・お歳暮の手配というのがありました。今から40年以上前の日本社会では、企業間の贈答品のやり取りは今よりずっと盛んに行われていました。

私の勤務先では、まず営業各部署からお中元・お歳暮贈答先リストの原案が提出されました。数百社に及ぶ長いリストです。ワープロがない1980年代前半、そのリストはすべて手書きで書かれていました。レポート用紙に、左から順に、社名、役職名、氏名、住所、電話番号、担当部署、担当者名が書かれていました。

そのリストの一番左端には、各営業部の判断で、社長名で社長自身が持参する「S顧客」、社長名で配送する「A顧客」、営業担当副社長名で副社長が持参する「B顧客」など、最後は営業局長名でデパートから直接配送する顧客まで、各印の原案がついていました。

その膨大なリストが社長室に上がってくると、今度は役員や社長室長ですべてをチェックし直して、今年は大きな取引があるからとか、もう先代が亡くなったからなどとリストの見直しが行われました。そして誰に何を贈るのか、持参するのか発送するのか、持参するなら誰が持参するのかなどが最終的に決まりました。

すべての商品の発注業務は秘書課の役目で、男性秘書が銀座の和光やデパートの外商担当に選んだ品物を発注しました。大半はデパートからの直接発送でしたから、リストの下の方を切り取ってデパートの外商担当に渡すだけで良かったのですが、私にとって大変だったのは社長、副社長、担当役員がそれぞれ持参するリストの準備でした。持参リストに掲載された顧客だけでも100社を超えていました。

まず、【最終決定した持参用顧客リスト】を何セットかコピーを取り、原本は残しておきます。最初に「和光用」と「デパート用」と2つの【①発注先ごとリスト】を作成します。営業部が手書きで作成した段階ではどの品物を贈るのかはわかりません。そこで、コピーしたリストを一行一行、30cmの定規とカッターナイフで細長く切り取り、今度はその一行一行に糊をつけて、「和光用」あるいは「デパート用」の新しい台紙に貼っていくのです。

言うまでもなく、今日ならEXCELの並べ替えボタンひとつ押せば済む作業です。

できたリストは改めてコピーを取ってそれぞれ和光とデパートの外商担当者にお渡ししました。この作業は、カッターナイフと糊を使って行う細かい作業で、しかも一行でもなくしたら大変なことになってしまう重要顧客ばかりのリストでしたからとても神経を使いました。

さて、注文の品が届くまでの間、私たちは早速次の作業に取り掛からなければなりませんでした。今度は【②持参者ごとのリスト】を作成するのです。社長用、副社長用、各担当役員ごとの持参リストです。

もう一度、最終決定した持参用顧客リストのコピーを1セット取り出してきて、各営業部のリストをまた30cmの定規とカッターナイフで一行一行切り取って、今度は、持参人ごとの台紙に糊付けしていきます。これは役員が複数人いるため、かなり面倒な作業でした。一行たりともなくさないように慎重に糊付けしてコピーを取り、それぞれの役員秘書に手渡しました。

最後に、もう一つ作成しなければならないリストがありました。それは、社長自身が顧客のご自宅を直接訪問してお届けする時に、社長車の運転手さんにお渡しする【③住所別リスト】でした。世田谷区、杉並区を始め、財界人の住所を23区ごとに同じ要領でせっせと切っては糊付けしていきました。

この作業をしていた時に私が何を考えていたかというと、それは「私はなんという便利な時代に生まれてきたのだろうか!」ということでした。一昔前ならば、コピーマシンなどという便利なものはありませんでしたから、すべてを手書きで書き写さなければなりませんでした。

私が初めてコピーマシンを目にしたのは中学生の時でした。それまでのガリ版刷りに代わって登場したコピーマシンには本当に驚きました。でもそれからまだ10年も経っていませんでした。コピーを取ってただカッターナイフで切って貼るだけだなんて、凄い時代になったものだと感謝していました。

その上、ステック糊という便利なものまで登場していました。昔はヤマト糊に代表される「でんぷん糊」だったのに、今では指先が汚れないステック糊のおかげで、作業をしながらも電話を取ったり、メモができるようになったなんて、本当に便利な世の中になったものだと感じていました。

しばらくして、大きな役員会議室に100個を超える注文の品が届けられると、各役員秘書や屈強な若手社員がやってきて、品物を各部署に運んで行きました。そして、社長車の運転手さんと社長のスケジュールを調整しながら、今日は千代田区と港区、明日は渋谷区と目黒区などと予定を立てて持参するのでした。この間約一週間、大きな役員会議室は倉庫同然で使用できませんでした。

◇ ◇ ◇

さて、ようやくお中元の品物もなくなり通常に戻るかと思ったら、ひと息つく間もなく、今度はお歳暮用の見本の品々が届けられました。銀座の和光、デパートの外商担当者が、今年の流行を取り入れたお勧め品を予算別にいくつか持ってきてくれて、それを空になったばかりの役員会議室に並べるのでした。

各役員や営業部の担当者、もちろん社長や社長室長がずらりと並んだ品々を見定めて、様々な意見を取り入れて次回の「S顧客」はこれ、「A顧客」はこれ…などと品々を決定していきます。おそらく、今年の受注実績を参考にしながら、和光やデパートは半年後の商品の生産を始めるものと思われました。

春の叙勲、秋の叙勲、葬儀、子女の結婚など、お中元、お歳暮以外にも、秘書課では冠婚葬祭のたびに電報を打ったり、様々な贈答品を送ったりしましたが、やはりボリュームが圧倒的に大きいのは盆暮のお中元・お歳暮でした。

毎年、お中元・お歳暮の年2回、商品選びに始まって、原案リストの作成依頼、回収、最終検討、発注のためのリスト作成、発注、商品搬入、持参する役員ごとのリスト作成、各部署への連絡と搬出、社長車の運転手さん用のリストの作成とスケジュール調整を行うのですが、なんだか一年中、お中元とお歳暮に追いかけられている感がありました。

◇ ◇ ◇

社長自身が直接持参する顧客先だけで、4、50社は間違いなくありました。新入社員の私が不思議に感じたのは、社長は一切のアポを取らずに顧客のご自宅に向かったことでした。当然、先方はお留守であったり、ご在宅でもご多忙だと推測されるのですが、そこは敢えてなんのアポも取らずに出掛けていくのでした。

あの頃「雨の中で傘もささずに、顧客の帰りを玄関前で待つのが評価されるような時代は、もう終わったんだ」などとよく耳にしました。それはつまり、ほんの少し前の60年代、70年代までは、営業とはそういうことが評価されていたということなのでしょう。義理と人情の時代でした。

お中元・お歳暮の持参も、財界人に直接お目にかかることが目的ではなく、相手がご夫人であろうと、お手伝いさんであろうと、とにかく社長本人が直接足を運んだのだというその実績(つまり名刺)を残すことが重要のようでした。

実際、お中元やお歳暮への礼状も心のこもったものが多く届きました。大量に届くであろう贈答品に対応するための「結構なお品物を頂戴し誠に感謝申し上…」という文面混じって、これはひとつひとつ封を開けて中の品物を確認しないと書けないだろうと思われるようなお返事もたくさんありました。

私が今でも忘れられない、見事な達筆で書かれたお礼状を書かれた方々の一人に、リクルート社長・江副浩正氏がいました。美しい便箋、毛筆の鮮やかな筆捌き、その品物を実際に手に取ってみないとわからないような丁寧な感想を書いておられました。ご自身の文字なのか、ご夫人か秘書の文字なのか、私にはわかりませんでしたが、毎回毎回それは見事なものでした。

私が新卒で就職した会社を辞めて数年後に、リクルート事件が大々的に報じられた時、なんとなく腑に落ちるものがありました。お中元・お歳暮の贈り先が政治家や官僚では、それは当然、贈収賄事件に発展するわけですが、あの頃の日本の贈答文化の中では、むしろ多くの他社の贈賄が発覚していない方が不思議だと私は感じました。

◇ ◇ ◇

私が1987年に再就職した会社は外資系だったためか、贈答習慣は皆無でした。社内でお中元やお歳暮という単語を聞くことも一度もありませんでした。前の会社で全社を上げてあれほど情熱を傾けていたお中元・お歳暮でしたが、そんなものはなくても、日常業務が回っていくのが私には驚きでした。

今となっては笑い話のようなカッターと糊でのリスト作成ですが、私は1987年に外資系の会社に入社して、最初に表計算ソフトのLotus123の研修を受けた時に、ソート機能があることを知って、椅子から転げ落ちそうになりました。こんなに簡単にリストを自在に並べ替えられるとは、あのリスト作業が思わずよみがえりました。でも、その時の勤務先にはもうお中元・お歳暮リストはないのでした。

しかし、一世風靡したそのLotus123も、同じくMS-DOS上で動いていた一太郎やWordPerfectと共にたちまち姿を消してしまいました。90年代中頃からはEXCELとWORDの時代がやってきました。でも、きっとまもなくあと数十年すれば、EXCELやWORDも、カッターや糊と同じように笑い話になっていくことでしょう。

先日、転職したばかりの友人と食事に行きました。友人が報告書を作成するためにEXCELの関数と格闘していたら、若い同僚に「そんなのChatGPTにやってもらえばすぐですよ」と言われて驚いた、という話を聞いて私も驚きました。

ワクチンの予約をインターネットでせよと言われて困惑していたお年寄りの姿を見て、明日は我が身だと感じていましたが、それは「明日」ではなく、もう「今日」の現実のことなのかと感じてしまいました。

お中元・お歳暮も1997年をピークに徐々に減少傾向にあり、少し古いデータですが、総務省統計局のデータによれば、ピーク時に比べて2016年は27.6%減少しています。今日でも企業間のお中元・お歳暮の贈答文化が残っているところあるかもしれませんが、様々な習慣がこんな風に変わっていくことと思います。


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