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そうだ。(あなたも)0円生活しよう。

ではこの0円生活、どんなルールに則ってやっているのか。一体全体、どーやっているのか!?0円生活を始めるぞ!と思った時、ルールを決めなきゃね、と思った。でも初めてみてからもっとたくさん決めなきゃいけないことがあることに気づいたし、変えたこともある。とりあえずの、今のワタナベモモコの0円生活のルールはこんな感じです。

ルール1  「お金を稼がない」

これは初めの4ヶ月くらいは破りまくってた、日々破ってた。アルバイトしていたから。でもその期間のお陰で会社で働くことやきちんとお金を稼ぐことを経験できたから、必要なプロセスだったと考えることにしている。ただ、仕事にもよるかもしれないけど、「この稼いでるお金、どっから来たんだろう?」「こんなに受け取っていいんだろうか」と感じることはよくあった。もし物を売る仕事をしていたら、お金を受け取ることについてかなり違った感想を持ったかもしれない。サービス系の似たようなことをしている人も、「自分の受け取ってるお金がどこから来てるのか考え始めたらきりがないよね」と言っていて、すごく共感したことを覚えている。

ルール2  「お金を使わない」

これもまだ完璧にはできていない。というか、できる時が来るのかアヤシイ。税金や年金やあるでしょう、いろいろ。「ちゃんとしなきゃダメ系」以外は一応払ってない。自分の体を分解したら、どの部位がそのお金払うことになるんでしょうか、と、秋の銀杏の樹を見上げながら考える。その国の民であるだけで発生するお金。でも文句言えないのも事実、図書館で無料で本を借りられることに気づいて万々歳だったので。あ、ふるさと納税みたいに、好きな国を選んで納税できたら面白くない?

番外編1  「人に招かれる」

これは今も頭を悩ませている。「材料はあるからマカナイ作って」と「家にご飯食べに来なよ」と「レストラン一緒に行こう」と「コンビニで好きなの買ってあげるよ」の線引きをどうするか、4ヶ月たった今でも、正直わからない。一時期、家に招かれるのはアリ、外食奢ってもらうのはナシ、にしていた。でも結局ご飯を作るための材料は買ってくれているし、どちらもワタナベモモコと時間を過ごしたいと思ってくれていることに変わりはない。あと、その場の流れみたいなのもあって、断るほうが間が悪いことも。自分の世界からお金の概念を取り除こうとしても世界や世間から無くなったわけじゃないから、経済活動からオプトアウトするのは不可能みたいだ。どなたか、知恵をください。よろしくお願いします。

番外編2  「どこまで(なにまで)もらっていいのか」

「これあげる!」と言ってくれる人にどれだけ助けられていることか!野菜をくれる人、カレーをくれる人、お菓子をくれる人、服をくれる人、布をくれる人、本をくれる人、書き始めたらきりがない。始める前、「ちきんと交換の形じゃなかったら受け取らない!」と息巻いていたけどありがたいことにそれがなかなか難しい。まさにお金がうまれたタイミングで人々が思っていたことを敢えて書くけど、そもそもこちらが相手の欲しいものを持っていない/相手のして欲しいことができないことの方が多い。ペイフォワードの考えで今は受け取らせてもらっているが、もやもやポイントである。

以上、これら(といってもちゃんとしたルールは2こくらいしかない)が0円生活のルール。人と話すとたくさんアイディアをもらえて、例えば

「税金の分だけ誰か払ってくれる人を見つけて、その人の元で働けば?」

とか

「アクシデントで稼いじゃったお金は使ってもいい(プラマイ0にする)ってことにすれば?」

とかとか。

ルールは決めて変えてを繰り返してます、ご意見ご感想お待ちしてます。

あ、最後に。青山メリヤスさんという、0円で服を売っている人と話した時、「0円生活、助けられてばっかです」って言ったら「それでいいんですよー」と言っていた。なんとなく、助けられることに感謝よりも申し訳なさとかうしろめたさを感じていたかもしれない。そして今も。堂々と「助けてくれ!」って言うのってなんとなくタブー感ある。それってなぜだろう。


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