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どしゃぶりの雨、濡れそぼつ退職祝い

バイトを辞め、どしゃぶりの雨に打たれながら1時間かけて家に帰って来た昨日の夜ほど、バスに乗って帰りたいと思ったことはなかったかもしれない。運賃の210円が、とてつもなく高く感じた。

神戸に帰ってきて0円生活を始めた8月、同時にバイトも始めた。その頃の生活はこんな感じ。

日曜 バイト(行き帰り徒歩2時間30分)
月曜 大家さんの手伝い(家賃のため) ※昼食付
火曜 バイト(行き帰り徒歩2時間30分)
水曜 大家さんの手伝い(家賃のため) ※昼食付
木曜 バイト(行き帰り徒歩2時間30分)
金曜 バイト(行き帰り徒歩2時間30分)
土曜 バイト(行き帰り徒歩2時間20分) ※ちょっと歩くのが早くなる

建築評論家のMichael Sorkinが書いた"Twenty Minutes in Manhattan"という本がある。マンハッタンにある彼の自宅からスタジオまでの徒歩20分の通勤の道すがら、彼が出会うものや人について書かれている。Two Hours in Sannomiyaやな、と思いながら毎日歩いていた。Michael Sorkinはちゃんと朝ご飯食べていただろうけど。

バイトをしていた4か月間、ずっと矛盾を抱えていた。0円生活と言いながらお金を稼いでいる矛盾。週5日お金を稼ぎながらその稼いだお金を使わない矛盾。バイトを辞めてその矛盾に苦しむことはもうなくなった。晴れて今日から、収入0・支出0の0円生活を本格的にスタートさせる。

それはそれで良いけど、4か月間働きながら考えていたことがあった。

お金を稼いでいた時、財布の中の腸内環境は最悪だった。入って来るのに出ていかない。便秘状態。お金を使わない、と決めてしまったら、毎日何のためにお金を稼いでいるんだろう、と不思議な気持ちだった。そしてこれも不思議なことだけど、使わなきゃ、という気持ちになったことが何度かあった。必要以上に稼ぐとそんな風に感じてしまうのかも。未来のために必要以上に稼ぐ人もいると思う。旅行に行くため、とか、大学のため、とか、家族のため、とか。それはまったくいけない事ではなくて、むしろ目的のために貯金するのは賢いことだと思う。

0円生活を始めてから何万回も思ったこと。お金は必要。生きるのに必要なものを買うため、お金は必要。神戸みたいなまちなかに住んでいたらなおのこと、米も味噌もトイレットペーパーも、スーパーマーケットで売ってるからなあ。でもどれくらいのお金が必要なのか決めるのは難しい。

そう考えると、バイトをしていた期間もこのゼロ計画に必要なプロセスの一つだったのかもしれない。

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