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日記:Day3 つるぎ町探訪

阿波安芸旅は三日目。本日は、メディアカンパニーの中川アドさんが運営する「AD LIV」で朝を迎える。快眠!


身支度と洗濯を終えて、原チャでAD LIVを出発、県道12号を西へ向かい、一路貞光へ。今日は、一昨日に知り合った、つるぎ町役場のイノッチさんに、つるぎ町の主要ポイントをご案内いただくことになってるのだ。三好といい、本当にみなさん、休日返上でありがたい限り。

うだつの街並み@貞光にコワークスペース

約束の10時を少し回ったあたりで、町役場に到着。イノッチさんの車に乗り換え、まずは貞光の街をご案内いただく。

貞光には、うだつ(卯建)の街並みが残っている。元々は、池田町と同じく煙草で栄えたそうだ。貞光のうだつは、二段構えになっていて特色がある。

そんな貞光のうだつの街並みに、つるぎ町が一年前に開設したコワークスペースがあるという。しかも、庄屋さんの名家「永井家」の古民家を活用した風情あるスペースらしい。案内していただいた。

離れと母屋?の二棟建てになっていて、手前の建屋は資料館のようになっている。少し覗かせていただいたが、竈門(かまど)など現役感すらある興味深い調度が目を引いた。今度、ゆっくり見て回りたくなる。

そして、コワークスペースのある奥の母屋?へ。一階には、名家たる証であろうか、籠と人力車が陳列されていた。江戸も明治もリムジンでした、みたいなもんや。

一階には、キッチンがあって飯の調理が可能なことがわかった。二階へ木の階段を上がると、窓が開放的に開け放たれ、永井家の庭園と町並みを見渡せる素敵な部屋だった。

まだ利用実績はそう芳しくないらしいが、周辺にこれからゲストハウスが出来るし、少々の改善を行えば名物になり得るポテンシャルを感じた。

更に街を歩いて、元造り酒屋の「織本屋」へ。ここも名家の屋敷だったことが窺える。調度品も含めて、ここが泊まれるならずっと泊まってたい気分。色んな体験も用意したら、益々である。


貞光川を遡上、滝に傾斜地農業

イノッチさんの車に乗って、貞光川を源流に遡上。程なく景色は渓流らしくなり、鳴滝という高低差の高い滝を見ながら、貞光最北端たる「土釜」へ。

滝が穿った滝壺が、複数連なる形で並んでいる。極めて渓流らしい珍しい景観と、マイナスイオンの凄さに息を飲む。

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車は国道から脇道に入って、クネクネと山を登る。鳴滝の滝壺脇を抜けて更に登ると、猿飼集落の傾斜地農業の地へ。

継承者募集、傾斜地農法独特の農具の鍛冶屋募集中らしい。この景色を毎日堪能できるなら、魅力的だ!

再び町役場に送っていただき、半田そうめんなどお土産を頂いて解散した。貴重な休日を使ってご案内下さったイノッチさんには感謝の極みです!!


給油、そして半田へ

イノッチさんと正午頃に分かれて、まずはこの2日間走り倒してくれたスクーターにエナジードリンクを飲ませる。そしてつるぎ町内を西に向かって、半田へ。

ここは、日本5大そうめんの一角である「半田そうめん」のご当地。半田そうめんは、そうめん界随一の太麺で、コシが強くうどん的特質を兼ねているように思う。素人目にも、この太麺を干すのは時間掛かるんと違うか?と感じる。

半田のまちを中心地に向けて走る中で、徐々に嫌な感じがしてきた。道すがら出てくる製麺所・直販所がどこも閉まっている…。そうだ、今日は日曜日だ。協同組合の販売所くらいは、開いててくれ…。

願い虚しく、半田駅前の販売所を含めて、一帯の製麺所・直販所は全て閉まっていた。

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貞光川を遡上、シブチカ、忌部神社から山道へ

半田そうめんは日曜で肩透かしをくらい、消化不良な私は、貞光川を剣山に向かって遡上することにした。

最初は大人しく、貞光川に沿って走る国道438号を遡上したが、誘惑に駆られて、脇道を攻める。

貞光森の本で坂を登ると、「東急ジャンボー 徳島つるぎ町事業所」が出てきた。

なんでも、渋谷地下街(株)の仕事を、つるぎ町の住民を採用してこの地でやっているらしい。IT発達して場所に囚われない働き方時代の先駆例かもしれない。ワーケーションのように、都会のワーカーが地域に来るので無く、仕事が来ちゃう、という。

再び国道へ戻り少し遡上を続けたあと、県道258号へ入った。狭い山間の山道を登っていくと、そこには、忌部奥社・御所神社が現れた。

言い方が悪いが、この田舎の山の中とは思えぬほどの立派な構え。さらに境内には日章旗が掲揚されていた。きっと、地元の方が日々、旗の掲揚と降納を欠かさないのだろう。

神話に登場し、徳島の起こりにも関わったと言われる忌部氏(いんべし)の氏神らしい。ご祭神は、アメノヒワシノカミ(天日鷲神)とのこと。

鳥居の前には、エドヒガンザクラの名所があった。もっとも季節が悪く、春に再来したくなった。

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いつまで整った路面が続くか心許ない県道258号を、さらに山中へと進む。


一宇の山中のトラップにハマる

県道をどんどん進むと、峠を越えて、猿飼地区に入った。山上から集落を見下ろす新田神社に参った後、旧・端山小学校猿飼分校を外から見る。おそらく、1991年を最後に学校としての役目を終えているようだ。猫の額な「校庭」と呼ぶに憚られる狭い校庭に、生えてきた木に突き破られてしまったサビだらけの滑り台が佇み、止まった時間の長さを感じせる。

再び傾斜地農地を眺めた後、鳴滝の滝壺に行って喉を潤す。そして国道に戻って、貞光川沿いの遡上を続ける。

つるぎ町一宇に入ってしばらく遡上した後、県道259号に入る。この時、「この先道が無くなる」的な看板が目の端に入ったが、どうせ看板倒れだろうと鷹を括って剪宇に向けて奥へ入っていった。

県道は山をどんどん登り、登れば登るほどに「険道」と化してきた。もう、とうに吹替えがされていないガタガタのアスファルトに苔が薄っすら蒸している。前輪スリップ地獄におののきながらも、登坂を続ける。
30分ほど登っただろうか、上剪宇堂の辺りで、いよいよ廃村?に出くわした。

それでもメゲずに山を登ると、土砂崩れのような有様が展開してきた。道幅の半分がふさがれてもう四輪では抜けられない状態だが、気にせずさらに進む。すると、道に堂々と捨てられた車が放置されていた。嫌な予感がし始めた次の瞬間、遂に舗装が無くなって道路がダートになった!!ガードレールはあるから県道だった?面持ちは感じられるが、一体アスファルトはどこへ消えたのだ?疑問を感じつつ強気に進むと、泥にハンドルを取られてやんわりコケてしまう…。

あとで調べて分かったが、この県道259号は、「未開通」なのだった・・。つまり、このダート部分というのは、いずれ整地・整備してつなげるつもりで、諦めた区間だと思われる。

さて、スクーター買って以来の初ゴケとなり、身体は何ともないのを確認したとき、コケたバイクのエンジンが勝手に止まった。

泥に取られてふらつく中、倒れた車体をなんとか立て直す。そしてセルモーターを回してみたが、エンジンが掛からない。な、何っ!!こんな険道の奥に来て、エンジン掛からないと鹿猪と一夜を明かすことになるぞ!JAFも入ってこられないだろうし。た、頼む…。

キックスターター使ってみたり、キーONOFF繰り返したりして足掻いていると、ガソリン臭さを放ちつつようやくエンジンが掛かった。傾いてガソリンが変なところに溜まってカブッてたのかもしれん。良かった…。

この険道を突き抜けると穴吹川沿いまで出られることは分かっていたが、こんなダート道がいつまで続くのか分からぬ山中を責める気にはなれず、大人しく国道まで引き返した。くわばらくわばら。まだ旅程の前半でバイクも俺もお釈迦にする訳にはいかん。

国道との合流で、先ほど無視した看板をしげしげと眺める。さっきしっかり読んでおけば良かった、という気持ち半分、無視したおかげで廃村を見られたと思う気持ち半分。

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それでもメゲずに険道を攻め家賀へ

普通の人は、もう険道に懲りて国道を進むものだろう。しかし、そこはにゃむだ。敢えて茨の道を楽しむバカさがトレードマーク。貞光川をもう少し川下に進んだところに走る県道255号を穴吹川へ抜けることとした。

先ほど進むのを断念した259号は国道から入ってすぐに、廃・生コン工場(トラストコンクリート株式会社一宇工場)があっていきなり寂れ感全開だった。しかし心なしか、険道255号は寂れ具合がマシな気がする。…いや、一日中、人影まばらの山中に居過ぎて、オレの賑わいセンサーが過敏になっただけだろう。259号をしばらく登ると、家賀という集落辺りで「望郷の丘」という平成17年建立の木製碑が建つ見晴し台が出てきた。

立派な石碑も別に建っていて、「宮久保常蔵翁顕彰碑」とある。どうやら、この家賀集落の発展に寄与した名士らしい。望郷の丘からは、過疎のダメージを食らって衰退する故郷の家賀集落への愛と、存続への希求がヒシヒシと感じられた。もう15年前の人々の思い。見る限り、残念ながら願い虚しく、限界集落の様相を呈しているのは否めない…。切なくなってしまった。

廃屋目につく家賀集落の只中を走っていると、寂れた限界集落に似つかわしくない立派な真言宗の寺が出てきた。大覚寺派 西福寺だそうだ。いつも通り鐘をついて拝んできた。

集落内をさらに進むと、これも家賀の維持を願う人の作品であろう、「家賀城趾」の案内板が出てくる。もはや軽トラすら入れるか怪しい、オート三輪・原チャ向けな細い山道を、案内板に導かれて入っていく。しばらくいくと、大きな木の下に石碑が出てきた。

石碑の裏には概略があり、忌部奥社の祭主で麻植因幡守持光の居城だったそうだ。「麻植(おえ)」という家名がまた、大麻を織って紡績の始祖となったと言われる忌部氏の系譜を感じる。天正の世に、阿波岩倉城主の三好康俊(三好長慶の叔父の子供)に攻め滅ぼされたそうだ。岩倉城は吉野川をはさんで対岸の、脇町を少し三好側に行ったところなので、川を渡って攻めてきたのだろうか。

美馬へ抜けると人の息吹感じる

気づくと辺りが夕暮れになってきた。家賀を抜けると、いつ鹿が飛び出してきてもおかしくない山中深い道に。頼むぞ、県道255号!

すると、美馬市に入って、人家がポツポツ出てきた。しかも、整えられた茶畑やユズ畑になり、人の息吹が感じられてホッとする。

無事に穴吹川沿いの国道492号に出て、日があるうちに神明神社に参詣して、夕闇に赤く染まる吉野川を見つつADLIVに帰り着いた。生きて帰ってこれた!

※YouTube動画はこちら


ADLIV社長の夕飯に同行

毎度心配りがエグいADLIVオーナーの社長が、ジョギング上がりに、私のために灯りと空調を入れに来る。そして夕飯のお誘いを受けてご一緒した。

私は既に夕飯をラーメン華力で済ませていたが、腹ぺこで臨んだ社長以上に食ってしまった。色々とお話を聞いたり聞いていただいたりして、「旗印を建てるべ」と心定まる。

この社長さんは、いつも気配りの行き届き方が素晴らしくて感銘を受ける。この日のジョギングすら、心配りかもしれない。恐縮の極みである。社長は来週イベントでお忙しそうだが、無事に楽しんで乗り切られることを願うばかりだ。


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