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学びとリセット

今年のNPB日本シリーズで印象的だったシーンがある。

ヤクルト優勢の状況で迎えた神宮で、ランナー一塁からオリックスの宮城投手がバントしたシーン。その直後の大田選手のバントをヒットにしてしまったシーン。あれは、「村神さま」が、顔面蒼白の22歳の若者・村上宗隆になったシーンとして非常に印象的だった。

今日は、経験(失敗)との向き合い方を考察したい。

流れのスポーツは、人生の縮図

私は野球好きだが、個の力が分かりやすく出る一方でチームスポーツという絶妙な立ち位置のスポーツで、人生の勉強になるなと個人的に思っている。

場面場面は格闘技のように一騎討ちになり、個のプレーがストップ&モーションで素人にも分かりやすく提示される。しかし、9回最短27打席同士の戦いの結果は、最低18人で繰り広げるチーム戦。結構、野球以外の現実世界に援用できる学びが得られ易い気がするのだ。

で、冒頭の日本シリーズのシーン。村上選手の心内を察するに、最初の宮城選手のバント後逸は、「まさか!しまった!焦ってやってもうたー!」では無いかなと思う。宮城選手のバンドは、恐らく狙いと違う失敗作だったのだが、絶対失敗させてやると強く勢いよく前に出たことで、失敗作の強いバントが三遊間を抜くヒットになってしまった。

続く大田選手のバンドの時も、宮城選手のバント処理の失敗を取り返したい気持ちが徒となり、転がってきたものを取ることより先の塁を殺したい気持ちが勝って出られなかったように思う。

仮にあれが、チームの総意として賭けに出たプレーなら、「賭けに負けたが仕方がない」で気持ちは早々に切り替わったであろう。しかし、恐らくそうではなくて村上選手の個人的思い入れが強過ぎて、状況に対してチグハグになってしまったのだろうと推測する。

思い入れに囚われると目の前の仕事が乱れる、の典型例に、図らずもなってしまったと思う。

勝ちたいという思い、失敗の責苦

あの時の村上選手のプレーを乱していったのは、焦りの感情では無いかと推測する。焦りというのは、目の前に全力傾注すべき意識を、過去への悔恨や未来の憂いへ逸らして注意散漫に導かれてしまう。優勢にスタートした連戦が劣勢になった中で負けたら終わる状況を打破したい、という村上選手だからこその強い自覚が、この時は徒となってバクチ的行動に無意識に仕向けられてしまったのでは無いか。

そして、宮城選手のバント処理のミスで焦りが加速して、取り返すようなプレーをと益々バクチ傾向が無意識に強まってしまい、危険なバクチに2連敗する格好になった気がする。

ただ、最初の宮城選手のバント処理に関しては、チャージの仕方が不味かったという純粋な技術的課題だったのかも知れない。打球コンタクトの直前まで勢い緩めず突っ込んだのは、単純にプレー技術としてイマイチだったのかも。となると益々、大田選手の処理については、焦りの負の効用にやられた側面が強いだろう。

言うまでもなく村上選手は技術も身体能力も精神力も一流で、リーダーシップにも優れている。そんな選手でも、時としてあぁなるのだ、と恐ろしくも感じる。

失敗含め経験を忘れるヤツは向上せぬ。が、囚われたら負ける

未来への希求(夢、誓い)と、過去への悔恨。どちらも付き合い方次第で、爆発的な添加剤にもなれば、動きを止める毒にもなる。

肝心なのは、今この目の前をベスト尽くすこと以外に、現場でできることが無い、という厳然たる現実だ。普段夢を見て未来の誓いを立て、過去の失敗を悔いて再発防止を誓おうとも、現場で為すべき時は目の前の観察分析と判断行動に全力傾注してベストを出し尽くすことに勝るものがないのだ。

優れた人間は大志を抱いているし、自らに厳しい誓いを立て律してるし、過去の失敗を学び尽くす。ただ、現場で続々と為すべき状況が突きつけられている時には、目の前に没頭することが無いと蓄えたものが生きないのだ。

準備と本番

極めてシンプルに言うと、万全たる準備と、軽やかな本番、これに勝るものは無いと思う。

準備の段階は、ストレッチした目標を掲げ、過去の失敗をよくよく思い返して再発せぬようケーススタディを繰り返し、自分の失敗のみならず他者の失敗や未知の失敗までケース想定して対応を練り身体に叩き込む。「こういうことがあったらどうすべきだろう?」と次々に対策検討要なイレギュラーケースが頭に浮かび、ああでもないこうでもないと対策立案して身体を動かしたくなる。側から見たら心配性にも見えるような心身の動きを見せるだろう。

しかしいざ、本番となったら、頭と心はシンプルでなければならない。それは人間という動物の性能限界から来る。取り越し苦労は、目の前に向けるべき注意を散漫にさせ、目の前に発揮する効力を減滅させてしまうからだ。心配事は準備段階に済ませ、いざ本番は清々しく目の前に没頭する。これをいかに実現するのかが、スポーツ選手に限らず人の活動には問われると言って良いのではないだろうか。

…てなことを、改めて気づかせてもらったような日本シリーズだったと思う。

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