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敗北、無力感、無先見

敗北感が深く、そしてそこそこ徹底的に無力感が刻まれた結果、先見が生まれず途方に暮れている。そんな状況にハマってる気がしてるという話です。


学習性無力感を募らせ挫折な現状

今年、新天地に来て、意気揚々と新しい環境に飛び込み、それなりにしゃにむに取り組んではいた。

それが夏頃には、アッチもコッチも上手くいかんと焦りが高じてきて、かなり時間も心的エネルギーも投じて取り組んだが好転を導けず。

そうこうしてるうち、9月中頃には「こりゃダメかも分からんね…」という無力感を自覚し始めて、上長や周りのメンバーに弱気含みな相談とSOSを発報し始めた。同時にカウンセリング受け始めたり、朝の散歩を取り入れたり、掲示板に自分をアゲて鼓舞するワードを書いてみるといった対策を打って踏ん張りに行ったが、深まる学習性無力感の増長は止める事が出来ず。

10月の2週目に入ると、朝起き上がるのかしんどくなってきて、朝会に臨むのも辛くなり、在宅ワークの中で物理的に「orz」姿勢をとることが増加。自然と転職サイトにエントリーして、逃亡と別の選択肢の確保を考えるようになる。

そして先週後半についに、自分の中のサーキットブレーカーが落ちたのを感じて、上長に白旗掲揚の旨を伝えて一方的な休みに入ってしまった。

精神科には適応障害につき、休養と離任を推奨すとの診断を受けた、それが現在地だ。

救いは身近な人のケアの目線

白旗掲揚の懺悔?は、妻子や地元の親しい友人にも同時に行った。それらの皆さんには経済的な面から社交的な面まで、負の影響を与える懸念もあったので、早めに伝えて負の影響を予期しておいて貰おうと思ったのだ。

伝えられた後、どんな判断と行動を取るのかは、フリーハンドで皆さんの手に委ねようと思った。景気の悪い顔つき・空気感になる(なった?)オレと今後どんな関係性を取りたいかは、義務感的な縛りの無い自由な選択をして欲しいと思ったからだ。それはオレ的には身を裂かれるような辛いことになるかもしれないが、自分の辛さを回避しようと他者を束縛しようとしたところで、結果的に互いにとって良いことになるはずが無い、とも確信しているからだ。

「切られる」覚悟を持って開陳したオレに対して、みんなほぼ即答で全面的にバックアップしてくれる反応だった。これは本当に救われた想いを感じた。中年になって先の見えぬ挫折に直面したと感じる自分には、先々何とかなるもんだし、まずお前を取り戻すのが先決だと100%で反応してくれたことは、多大なカタルシスを感じさせてくれた。

環境のせいか、己のせいか、それが問題だ?

自責の念と、己の無力と至らなさに今後を見通せぬ焦りを募らせる心の動き。同時に、自分の置かれた状況のハードさと、その中で果敢に挑んで果てた自分への同情。

この2つの心の動きは、「これはダメかも分からんね」を自覚した9月半ばから、白旗掲揚後1週間経った今この瞬間も、常に同時発生している。

当然、前者優位となれば、自信や自己効力感の喪失と、新たな行動への意欲減退が付いてくる。後者優位となれば、環境をより良きものに変えようという探索と機会取得への意欲が喚起される。

今日現在は、やや後者優位の中で、前者も払拭できずに黄昏れ焦燥気分混じり、と言う実態だ。

焦って結論付けるのは良いことなさそうなので、上げ下げ共に付き合いながら、時の薬効果を信じて、運気上がってくるのを根拠無く待っている心境だ。

ひとつだけ確実な反省点

でも、ひとつだけは確実に反省すべきと思う点がある。それは、自分の力への過信があったので、今後は調整せねばならないということだ。

自分がこれまでの半生で行ってきたことに対して、「オレ様はなかなかのことを成し遂げてきたものだ。オレ様には、艱難辛苦の先まで乗り越えてやってやれるんだ」という自信のもとに、新環境に突っ込んで行った。

その威勢の良さは、必ずしも悪いものでは無かったとは思う。しかし、過去の体験においては、仲間や周囲の関係者の素晴らしさに如何に助けられて成立してたのか、そこへの認識・感謝が大きく欠けていた。だからこそ自力を過信することとなり、援軍に恵まれぬ状況に非力な状態で単身乗り込み、超えられずに当初の意気が3ヶ月ちょい掛けて削られていき、遂に討ち取られてしまったのだ。

等身大の弱き自分の正視・受容へ

さりとて、良き仲間や周囲のサポートが無ければ何もできぬ、などと真逆に振れるのも間違いなのだろう。

今回の挫折から学ぶべきは、水増しも見くびりもせぬ等身大の自分を、願望や卑下を入れずに、正視正観しなおさねばと。

そして更に、良いところも残念なところも含めて、拒否や否定をせず、受け容れなければならんだろうと。

そのように書くと容易いことに感じられてしまうが、実際に試みたときに、どれほどの産みの苦しみを味わうのかは未だ確信がない。

しかし、中年中期を超える、自分の今後を考えると、今こそこのことに取り組まねばならないだろう、という覚悟は固まりつつある。

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