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新庄剛志監督(旧 BIGBOSS)考

サッカーW杯の只中とはいえ、野球好きはプロ野球投稿のオンパレード。

北海道日本ハムファイターズの新庄剛志監督(旧 BIG BOSS)について考えてみる。私は、期待を裏切る凡将と言われないかを若干心配している。

なんか・・・立浪に似てね?説

新庄監督といえば、自身のInstagramをシーズン中も継続的に投稿していたし、現役当時さながらにファンサービス第一主義の信条が見てとれた。

それは当初、新しい時代の監督像なのではないか、と期待感を持って見ていたのだが、徐々に懸念の方も大きくなってきた。あれ、脇役たる監督がここまで主役的に前に出るのは、主役たる選手たちはどう感じるのだろうか・・・と。

ファン/選手/新庄監督 という3者関係において、新庄監督がファンとの距離を詰める形になっていた。それが、本来は誰よりも距離が近くあらねばならない選手と新庄監督の距離、そしてファンと監督の距離よりは近くにあるべきなファンと選手の距離がしっかり詰められているのか心配になったのだ。

野球と言うのはチームスポーツであり、日本ではやたら監督が主役っぽく偉そげに見せられているが、現実はフィールドに出て戦っている選手たちが主役だ。脇役というかサポートとコーディネート役の監督は、主役の選手と一体感を作って信頼されていなければならない。そんな中で、監督がファンやマスコミとの距離を詰めすぎるというのは、肝心の選手との距離を薄めたり遠ざけたりしかねいのだ。

監督と選手は、「俺たち」でなければならない。ところが、監督が「あいつらがちゃんとしてないから負ける」などと第三者の傍観者感を出してマスコミに愚痴ったり、ファンから選手でなく監督を目当てに見に行きますとか言われてしまう構図を作るのは、「俺たち」感を毀損するのではないかと思うのだ。

そういう意味で、立浪氏のように、「俺がお前らを叩き直す」と選手を客体化するポジショニングと、新庄氏のファン・マスコミとの距離感の近さは、類似の構図に陥ってる懸念を持っているのだ。

新庄監督は主役じゃない。そうならないと・・・

もし仮に、北海道日本ハムが良いチームになって、優勝争いするような粘り強いチームになるとしたら、その時は新庄監督は脇役になっていなければならない。これは、新庄が9人コピーして新庄コピーでプレイするわけではない野球という競技の特性上、絶対的に仕方がないことだ。

マスコミが新庄監督にばかり群がるようでは、北海道日本ハムがまともに強いチームになることはないだろう。早くも来年の開幕投手を宣言された加藤投手や、上沢投手、松本選手、清宮選手らが、「俺がやったるわい」と粋の良い姿でファンやマスコミの目を引くようでなければ。

すべきコミュニケーションは、ファンやマスコミに対するものより選手に対するものだろうし、選手に対するコミュニケーションもSNSなどを介してより直に密にやるべきだろう。苦言も、直接言われて改善点を一緒に考えてくれる姿勢でされるならやる気を喚起するだろうが、マスコミやSNSなどを介してやられると憎悪を喚起してしまうんじゃないか。

そういう意味で、来シーズンの新庄監督は、オリックスの中嶋監督並みにあっさりムッツリ?な表舞台の言動をした方が良いのではないか、などと思っていたりもする。

・・・素人おじさんの、外野からの穿った目を裏切る来年を期待したい。

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