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アポ取りとテープ起こしさえなければ……

テープ起こしが「クリエイティブ」? ウソつけ!

私は、文章を書くという行為自体が好きな人間なので、「書くのがつらい」と思ったことはほとんどない。たとえシメキリに追い立てられようと、苦手な分野の原稿だろうと、書くこと自体は苦痛ではない。
また、本を読むことも大好きなので、資料の読み込みも、たいていは楽しい。

取材も、未知の人に会って話を聞くというのは、基本的には胸躍る体験である。
では、ライターの仕事の中で何が苦痛かといえば、アポ取りとテープ起こしである。この2つは、何年経験を積んでも好きになれない。

アポ取りとは、いうまでもなく「アポイントメントを取る」こと。取材したい相手と連絡を取って、取材日時をフィックスする作業である。
また、テープ起こしとは、取材の際に録音した談話の音源を聞き取りながら文章化する作業をいう。
※後注/もちろんいまはカセットテープなど使わないが、慣例でいまでも「テープ起こし」と呼ぶことが多い。もしくは「文字起こし」。

この2つがなぜ苦痛かといえば、1つには、面白みのない単純作業だからである。
ライターはまがりなりにも「クリエイター」のハシクレだから、その仕事はやはりそれなりにクリエイティブで、つねに創意工夫が要求される。だからこそ楽しい。だが、アポ取りとテープ起こしには、クリエイティブな要素がほとんどない。創意工夫の入り込む余地が皆無に等しい。ゆえに苦痛なのである。

一昔前、新聞などで、主婦層を対象にした「テープ・ライター講座」なるものの広告を見かけた。「テープ・ライター」とは聞き慣れぬ言葉だが、なんのことはない、「テープ起こし」を専門に行なうバイトのことである。
出版社などからテープ起こしを専門に請け負う業者はたくさんあるのだが、この種の業者の“孫請け要員”として、専業主婦労働力に狙いを定めた講座であるらしい。

テープ起こしも、「テープ・ライター」と呼び換えるとなんとなくカッコよく思えるから不思議である。が、この種の広告に「クリエイティブなマスコミの仕事」などと売り文句が書いてあるのを見ると、「ウソつけ!」と言いたくなる。もちろんテープ起こしも「マスコミの仕事」にはちがいないが、少しもクリエイティブではないのである。

テープ起こしは、ていねいにやれば録音時間の数倍は時間がかかる。たとえば、60分の音源を文章に起こすには、早い人でも2、3時間はかかる。だから、たとえば5時間みっちり話を聞いた取材テープを起こすのは、一日仕事なのである。

仕事によっては、取材音源を業者に起こさせる場合もある。つまり、ライターは取材と記事執筆だけを行えばいいのだ。これは非常に楽ではあるが、労力が軽減された分、原稿料が安く設定されるケースも多い。

また、苦痛ではあるけれど、やはりテープ起こしはライター自身がやったほうがよい。テープには取材時の「場」の雰囲気までが収められており、その雰囲気を感じ取りつつ文章を書いたほうが、微妙なニュアンスまで読者に伝えやすいからだ。

ライターが自分の取材テープを起こす場合、必要な部分だけをピックアップして文章化する「粗起こし」ですませる場合が多い。テープを聞き直してみると、「ここは絶対原稿には使わないな」という部分も多いからだ。そうした取捨選択は、書き手であるライター自身にしかできない。その意味でも、テープ起こしはやはりライター本人がやるべきである。

「“自動テープ起こしマシーン”が早く開発されないかな」と、ときどき思う。その日はいつのことだろう?
(※この文章は20年前に書いたもので、AIによる音声認識技術は当時より飛躍的に向上した。それでも「自動文字起こしマシーン」まではもう一歩)

アポ取りがつらいのは「ムダ骨」が多いから

私は毎週末にダイアリーを見直して、「今週はどのくらい原稿料を稼いだかな?」と足し算をしてみる。すると、ときどき、原稿料が1円も発生していない週にぶつかる。つまり、資料の読み込み・アポ取り・取材・テープ起こしというプロセスで一週間が終わってしまい、執筆作業をまったくしなかった週である。

そんな週は、なんとなく空しい。「あんなにがんばって働いたのに、今週は原稿料ゼロかぁ」と思ってしまうのである。

いや、それはたんにお金の問題ではない。ライターは文章を書くことで歓びを得る人種だから、納得のいく原稿を仕上げたときには深い満足感が味わえる。しかし、執筆前の準備段階で終わってしまった週には、その満足感がない。むしろ徒労感ばかりがあるのだ。

アポ取りとテープ起こしが苦痛なもう1つの理由も、そこにある。執筆という歓びにたどりつけず、その前の段階でジタバタしているもどかしさがあるのだ。
しかし、テープ起こしはまだいい。“包丁を振るってさばくべき獲物”はすでにそのテープの中に入っているのだから……。アポ取りの段階で手こずったときの徒労感たるや、ひどいものである。

相手にもよるが、アポ取りというのは、業界の外側から想像するよりはるかにたいへんな作業である。1つのテーマで原稿を依頼されてから実際の取材にこぎつけるまでには、いくつものプロセスを経なければならない。たとえば――。

1.そのテーマに合った取材相手を人選する作業(当然、人選する前に、テーマに沿った資料を読み込む必要がある)
2.選んだ取材相手の連絡先を調べる作業
3.連絡を取り、こちらの取材意図を説明する作業
4.取材OKの返事をもらい、実際の取材日時をフィックスする作業
 
これだけのプロセスすべてをひっくるめて「アポ取り」なのである。出前を頼むような気軽な調子ではすまない。
ネットの発達のおかげで、このうち1、2のプロセスは非常に楽になった。しかし、3のプロセスは昔もいまも苦行である。

「あいにく担当の者が○日まで出張しておりまして・・・」だとか、「取材はこちらではなく本社の広報を通して申し込んで下さい」だとか、なんだかんだと堂々めぐりになって、1人の取材相手と直接話をするまでに手間取ることもある。また、取材意図を説明してから相手に取材を受けてもらうまでに、日時がかかる場合もある。

取材は文書で申し込んだほうが話が早いのだが、こちらがその文書で取材意図をくまなく説明したつもりでも、それだけでは話がすまない場合がある。

たとえば、「あいにく不勉強でそちらの雑誌を読んだことがないものですから、一冊見本誌を送っていただけませんか? それを見て取材を受けるかどうか決めます」などと言われたりするのだ。

で、仕方なく見本誌を郵送し、到着したころを見計らってもう一度電話してみると、「雑誌を拝見しましたが、高尚すぎて私などが出るのはちょっと(これは社交辞令。ホンネは「こんなマイナー誌にオレが出られるか!」)……。今回は遠慮させてください」とあっさり断られたりする。つまり、その人を取材しようとしていろいろがんばったライターの労力は、そこでムダ骨に終わるわけである。アポ取りがつらいのは、こうしたムダ骨が少なくないからでもある。

それに、1つの記事を作るための取材先は、当然のことながら1つではない場合が多い。このような徒労感あふれるアポ取り作業を、何度もくり返さなければならないのだ。
 
ただし、アポ取りを編集者がすべて行い、ライターは取材・執筆をするだけという仕事も少なくない。そのほうが楽といえば楽だが、テープ起こしについてと同様、ライター自らアポ取りをしたほうが、執筆上なにかと都合がよい。たとえば、編集者がどのような言葉で相手に取材を申し込んだのかが見えないと、ライターの心の中の取材意図と、微妙な齟齬が起こる場合がある。

アポ取りもテープ起こしも、しんどい作業ではあるが、ライターにとっては非常に重要なプロセスなのである。

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