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ココロすっぴん#25「エッセイ2年生」を読んで


昨日、くぅちゃんのエッセイ、ココロすっぴんの#25「エッセイ2年生」が更新されました。

私の大好きなくぅちゃんのエッセイ。
今回もくぅちゃんらしい素直でまっすぐな文章でとても温かく感じました。

くぅちゃんのエッセイを読んでいる時間はくぅちゃんのことを知ることができる時間でもあるし自分の考えや気持ちを整理する時間でもあって、私にとっては2週間に1度、大事で大好きな時間です。

今回とても共感した部分、大好きなところ。

・「勝っても負けても推す、好きだから」としか人を応援できない、私は。

・「意志を持って書いてある文章って読む側の心の体調によっては読めなかったりする。」

・「人の集まりには消極的ですぐ関わりを避けるくせに人の考えていることはきちんと知りたい」

この3つはとくに共感の嵐でした。

でも、これは私だけなのかもしれないけど、共感とかって簡単に言っていいものなのかと考えてしまう時が沢山あって、例えば今回の場合だと、くぅちゃんのエッセイを読んで共感したわけだけど、私が読んで解釈したことが共感になっていて、解釈がそもそもあっているのか不安になるし、書いていてくぅちゃんにしかわからないこともある気がして、私が解釈して共感したことと、くぅちゃんがエッセイで書いてくれた言葉たちが合っているといいなと祈りながら、共感したという言葉を使っています。

人を勇気づける文章を書くのが苦手なことを思い知らされた、と書いてあって、私はだからこそ、くぅちゃんが飾らず綺麗にそれっぽいことを書くのではなく勇気づけようと書いているのではなく、本音でくぅちゃんの心の中の言葉たちで書いてある文章だからこそ、私の心に響くものがあるし、考えさせられることもあって。だから余計に「わかる」と感じる部分があると「私だけじゃなかったんだ」と思えてすごく救われるんです。

くぅちゃんが夜な夜なカフェで本を読む習慣のある友達と話したこと。自分だけじゃないらしいその感覚。くぅちゃんが忘れたくないと思ったこと。すごく分かるから、私も本を読むことが大好きだしたくさん救われているけど読むことで刺さりすぎて読めなくなってしまうこと沢山あります。
そしてぜひともその夜な夜なカフェでお話しした会に混ぜていただきたいと思いました。(え)

結構本気でくぅちゃんとじっくりいろんなお話をしてみたい、聞いてみたいと思ったくらい。
すごく楽しそうだしわたしが勝手に思っているだけだけど分かる部分が沢山ありそうな気がします。

そして今回、エッセイの中にでてきた「余計なこと」という言葉。それを改めて説明するくぅちゃんの文章があって。それをしたくぅちゃんの気持ち、わかるなぁと。自分が書いたことが違う意味で解釈されたり誤解されるのは避けたいし、それで何かを言われても「わたしが言いたかったことはちがうんだよなぁ、伝わらなかったな」となるし誤解されたまま違う意味と捉えられた言葉たち、それで投げられた言葉たちで傷つくのも嫌。
人前にでている仕事をしているからこそ沢山考えて気を付けているんだろうな。

わたしは注釈だらけのエッセイでもくぅちゃんのエッセイなら読みたいなと思える。けど、自分で言葉の意味を解釈して、これはくぅちゃんの思っていることと合っているかな、合っていたらいいなとちょっと不安になりながら祈りながらくぅちゃんにエッセイの感想を送っている時間もとてもすき。

私もめんどくさいと思われたくはないし必死に隠してはいるけど、隠せていないなと今思ってます。笑

くぅちゃんのエッセイを読むと自分の気持ちを、感じたことを整理したくなって感想を伝えたい気持ちもあって文章にしています。
文章にすることで、自分の心の中がすっきりします。ただ、伝わるかなと不安にもなるし今回も私相当めんどくさいな、長文すぎるな、嫌われないかなと心配になるけど、感じたことをそのままにしておけなくて書いています。

「エッセイ2年生」
これからもくぅちゃんのエッセイすごく楽しみにしているし、今のまま気負わず思ったまま感じたままを書いていってほしいな。それがきっといろんな人の心に残るし私みたいに「私だけじゃなかったんだ」と感じて救われる人いると思うから

くぅちゃん、いつも素敵な言葉たちをありがとう。
エッセイもラジオも、ドラマも何もかも私にとって楽しみであってくぅちゃんのことを想える大事な時間です🥰


どうか、伝わってますように。。



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