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何が、正しい?

 誰しも間違いや失敗はある。たった一度の間違いを、然も『間違い探し』クイズで見つけたかのように、しかも鬼の首を取ったかのように自己顕示を露にする。そもそも人生なんて失敗だらけなのに…。一度のミスすら許容されないのか。人の不幸は蜜の味とは、なかなか生きにくい世の中だなと思う。とはいえ、その事物を気にしなくていいのかもしれないが、気にせずにいられるほどメンタルは強くない。気にしないでいられるなら、何日も悩んだり、胃に穴が開いたりすることはないだろう。
 価値観は人それぞれ異なる。自分のものさしで、そういう失敗を指摘するのもその人の価値観ではある。とりわけ人間の性というものは厄介なもので、なぜか間違いを見つけると気になってしまう。でも、その人は間違いを犯したくてそうしているわけではないのだから、それを指摘された(言われた)人のことも考えてあげる心の余裕がときには大切ではなかろうか。
 ドラマ『いちばんすきな花』第10話、寝ぼけ眼で観ていたためか内容が全く脳裡に入っていなかったから、改めてTVerで何度も視聴する。上記に関わることがテーマで、考え耽る。
 「人の価値観を否定するのはよくないと思うけど、受け入れる必要もないと思う。そのまま受け入れるのも違う。話しあえば分かり合えるというのは嘘。違いは多様性とかいって受け入れなければいけないといっているのに、間違いはとことん排除しようとしている。それらはすべてその人たちのそれぞれの価値観でしかない。決めつけているだけ。」
 たとえば、鬼ごっこでタッチされても鬼をやらない子がいたとする。ルールを守れないけど、その子はグループに入って、一緒に遊びたいという。グループにいれてあげないのは可哀そうだと思うが、一緒に遊んでもらえないからといって、逆に嫌がらせをしていいわけではない。では、どうしたら仲良く遊べるのだろうか。どうやったら、この子を受け入れてあげられるのだろうか。花形みつる作『サイテーなあいつ』を読みながら、ふと考える。
 自分がいいと思っているものを肯定してくれる人もいれば、否定する人もいる。肯定している人だけが集まってもいいグループになるとは限らない。でも、否定することも、無理な許容もない仲間であれば、息苦しさはなくなる気がする。気を遣ったり、顔色を窺ったりして、相手が気に入るように肯定してばかりいるのは何だか息詰まる。空気が存在しなければヒトは生きていけないように、空気のように自然な雰囲気が理想だなとは思う。たとえば、私は2人組になったときに喋るネタを考えるのが苦手。だから話を聴いている方が気楽だ。静寂な時間があっても苦痛ではない。どこかで自分の話を否定されるのではないかと恐れ、人の目を気にする。だから、そういうココロを受け入れてくれている人が身近にいたら、嬉しい。何をもって正しいと言えるか分からないが、これが私の価値観、か。。

너의 표정에 너의 말투에 / 너의 작은 몸짓에 / 심장이 온종일 찌릿찌릿해
あなたの表情に あなたの話し方に / あなたの小さな身振りに / 心臓が一日中ピリピリする
               CSR (첫사랑)『Pop? Pop!』

🎵 人生いろいろ。人の色もいろいろ。対話を楽しもう~ 🎵
 
【Color 90】どんな人が信用できる人だと思いますか。また、人を信用する基準は何だと思いますか。
【A】いやあ、とても難しい質問ですね。私は、直感、触覚、嗅覚、…で感じ取ります。何だかちょっと分かりづらいですよね。これと同じような語彙に“信頼”があります。この二つはどう違うのでしょうか。「信用」は過去の言動や実績から確かなものと信じて受け入れることを指し、「信頼」は未来の行動を信じて頼りにすることを意味します。また、信用はその人の実績に重きを置いた評価であり、信頼はその人自身の人柄や考え方、立ち振る舞いなどに重きを置いた評価なのです。
 これを踏まえると、頼んだことを快く引き受けて思ったとおりにやってくれるか、それ以上にこなしてくれる人は信用できるかなと思います。ただ、これだと私にとって都合のよい人だけを信用している感じになりますね。正直、うまく言語化できないです。ごめんなさい。
 そんな中、信用していたのに、突如裏切られたと思うことだってあるでしょう。韓国映画『私の頭の中の消しゴム』(2004)で脳裡に焼き付いている教訓のような言葉があります。「許しとは、心の部屋を一つ空けること」、「本当の大工は、心の家も上手に建てる」という、あるおじいさんが言った言葉です。絶対的な基準なんてありません。信用するかどうかはあなたのココロが素直に判断すればいいと思いますよ。とはいえ、信用するだけでなく、許すこともなかなか難しいことだなとつくづく感じます。
 
【Color 91】先生が高校時代に一番はまっていたことは何ですか。
【A】中学生までは音楽に興味すらなかったので、あまり聞いていませんでした。でも、CDコンポを購入してもらって、購入初CDはプリンセスプリンセス『ダイヤモンド』でした。それ以来アイドルの歌を聴いて、興味ありランキングまでノートに書き出していました(笑)。その延長で、行きたい大学ランキングを作ったこともあります。
 
【Color 92】自分の中で嫌いや苦手と印象がついてしまっているモノに対して、どうやったらそこからの印象を変えられると思いますか。
【A】なるほど、あなたはそういうものの印象を変えたいと思っているんですね。そういう気持ちは大切にしてください。前にも書いたネタですが、私は40年間納豆が大の苦手でした。あるとき、娘が納豆巻を食べていて、残してしまったのです。“お残しはゆるしまへんで~(笑)”と言ってきたので、私が残すわけにはいきませんでした。それを実践するには食べなくてはなりません。頭の中では凄まじい葛藤が起きます。でも、意を決して食べました。あれっ、意外と食べられるじゃん。匂いは別として、普通に食べられました。この40年間の思い込みは何だったんだあ!って思いました。今は、好んで食べることはないですが、身体の聲を聴いて、身体が欲すれば食べます。不思議ですよね。
 ということで、何かきっかけはあったにせよ、それをどんどんよくない方向に思考をもっていくのは他の誰でもなく、あなた自身なのです。誰かに言われて変えようとすることはなかなか難しいことです。私は小さい頃、相当短気でした。それを指摘されても、そういう性格をすぐに直すことは難しいとは思いませんか。ただ、嫌いや苦手だと思っている心そのものが悪いわけではありません。だから、無理してまで好きになろう、変わろうとしなくていいと思いますよ。何かきっかけがあって、いきなり好きになることもあります。たとえば、私の読書のように。もし変えたいなと思うなら、以前の記事で書いたGACKTさんのように、好きになれるように何か少しずつ実践みてはいかがでしょうか。

2023.12.22

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