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意味

こんにちは。
いきなりですが、私は2020年12月から腕や足を切るリストカットというものをしています。

なぜ始めたのか
理由は単純。心の傷を癒すため。学校と家庭と個人の悩みで頭がパンパンでした。何をするにもやる気が出なくて、人と関わる事が嫌になっていました。自分の存在で人に迷惑かけている。そう思いながら日々すごしていました。

「あぁ私生きてていいのかな。」「死んだら全部解決するなぁ。」そう思っていました。でも、人に迷惑をかけず死ぬ方法がない。死のうと思っても死にきれない。死ぬ勇気がないのです。
消えたくて仕方なかった。空気になりたい。みんなの記憶から私の存在を消す方法が知りたい。でも、そんな方法ない。

 そんな時、ふとリストカットというワードが脳裏に浮かびました。そして、カッターを手に取り左腕を切りました。初めて切った時は、なにかその瞬間だけは無心になれました。苦しみから逃げられているような気がするし、死ねないけど死にたい自分の願望も少し叶えてくれているような気がしました。死にたいけど、死ねない。友達を残して死んじゃダメ。そう思い、死 の代わりになるものを探していたからだと思います。

次の日の朝、自分の腕を見て後悔しました。バレたらどうしよう。体育の時バレたら引かれる。親にだけは絶対にバレたくない。そんな事を沢山考えてしまいました。手首だと見えてしまうのはわかっていたので腕をまくらない限り見えない位置にしたのでバレにくいと思いましたが、不安で仕方なかったです。

でも、止められない。それからは、多い時は週5ペースで切るようになりました。何度も何十回も。
なにか起こると死にたくなる。生きている意味がわからなくなってしまう。そんな時、「また腕を切ればいい。」そう思い、繰り返してしまいました。自傷行為が良いことではないと思っていましたが、私にとってリスカ(アムカ)が救いになりました。辛くて、一人で泣いてストレスの発散が出来なくて寝れなくて、憂鬱な毎日から救ってくれたのは腕を切ることです。

でも冬が終わり気温が高くなってきて、腕を出す服を着なければいけない季節がやってくることを考えるとこの傷がバレるのが怖かったです。次はバレないように腕から足へと切る位置が移動しました。段々と深く切るようになっていました。そんな自分も嫌で一人で抱えきれませんでした。

だから、家庭の相談をしていたスクールカウンセラーの方と信頼出来る先生に「リスカをしてしまっている。止めたいと思っている。」そう告げました。正直、反応が怖かったです。もうあと1ヶ月で卒業するし言わなくてもいい事だったので引かれるんじゃないか、そして構って欲しいから言ったと思われたらどうしよう。そう思いました。

でも、お二人は受け止めてくれたような気がします。分かりませんが、、、。先生に関してはカウンセラーでもないのに言わなくてよかったんじゃないかとも思いました。でも、私は助けて欲しかったんだと思います。リスカを止められない私を。

それからは色々対処法を教えて頂きました。今はそれを実行中です。外の空気を感じたり、紙に赤いペンで線を書いたり、氷を腕に当ててみたり。でも正直どれも効果があるようには思いません(笑) 

 切りたくなる時は対処法なんて全部すっ飛ばして衝動的に切ってしまいます。耐えようと色々実行しようとしましたが、その手段を全てやったあと結局腕を切ってしまっている自分もいます。自分の意思の弱さに呆れる日々です。
でも、少しずつ頻度を減らせるようになってきました。誰かに打ち明けたことで、一人で抱え込まなくていい、そう思えたような気がしました。精神も前より安定してきています。
腕の傷もかなり目立ちにくくなってきています。足の傷はまだまだかかりそうですが、、。

リスカは私を救う最終手段です。無理に止めるつもりはもうありません。それで苦しむのも嫌なので。今は、楽しいことや学びたいことが出来て何とか違う形でこの精神状態と向き合うように努力しています。死にたいという気持ちもかなり落ち着きました。将来の夢やこれから先の事を考えられるようになったからですかね。

自傷行為をする原因となった根本的な問題を解決する事は不可能ですが、どのようにして抱えている問題と向き合うのかを変えていこうと思います。

リスカを毎日のようにしていた私を攻めるつもりもありません。だってそれがなかったら出会えなかった漫画『ここは今から倫理です』がありますし、こんなにも生死について深く考えることは無かったと思うので。きっと倫理に興味をもてたのもきっと悩んでいる私がいるから。

そして、この記事をここまで読んでくださった皆様へ
一般的に自傷行為をしている人=メンヘラ、病んでる人、構って欲しい人そんな印象ですよね。
どんなにしんどくても自傷行為する人なんて意味わからない。きっとそう思っているはずです。私もそう思います。でも、それでいいと思います。分からなくて構いません。そっとしておいて下さい。別にわかって欲しいわけじゃない。生きるための手段なんです。ただ決して「自分で自分を傷つけるな」「生きたくても死んでしまった人がいる」なんてことはいわないでください。

そんな事はわかっています。でも綺麗事なんて当事者には何も届きません。ただ見守ってて欲しいです。
自傷行為をする理由は人それぞれで、一概にこのように対処すべきだ。とは言えません。
しかし、多くの人は自傷行為を他人に話せずにいます。それはやはり「構って欲しいからその行為をしている」そう思われたくないからです。誰かに心配されたい訳でも迷惑をかけたい訳でもない。それだけはわかって欲しいです。(主観的なだけかもしれませんが)

人に言えないこと。それを私の顔も名前も知らない相手、つまりnoteを読んでくれた貴方には嘘偽りなく本当のことを言える。それだけで今の私は少し楽になれます。誰にも言えないけど、誰かには知ってて欲しい。そんな事を思い、今回noteに書きました。

"また死にたくなったら、切ればいい" これがあるから今私は生きているような気がします。
リスカは悪いこと?それはそうかもしれませんね。でも生きる為にするリスカは悪いことなのでしょうか。みんなにとって悪いことは私にとって悪いこととは限らない。生きることが善、死ぬことが悪だとするならば、生きるための手段としてする行為は善とも言えるような気がします。(主観です)

悪も時には善になり得る。(ここは今から倫理です より)

まさに自分で痛感したような気がします。
結局私は何を伝えたいんでしょうね?自分でもよくわからなくなりました(笑)

11月現在リスカはしていません。カッターは捨てていませんし、現在でもふと行為をしようかとよぎる時はあります。そんな時は多忙な日々を作って乗り切っています。考える時間を減らし極限まで忙しくしています。バイトも3つ掛け持ちをして毎日何かしら予定を入れています。これが私の生きるための方法です。生きている意味にしてます。誰になんと言われようと、これが私。

生きてるだけで偉い。

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