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中国で過ごした幼少期

 自己紹介したついでに一つだけ投稿したくて今書いています。今回はタイトルにもある通り中国での生活をお話します。私は生まれてすぐ中国へ行き(父の転勤の都合で)、6年間中国で生活していました。この中国ですごした6年間は私にとってかけがえも無い時間でした。

日常 

両親が現地の幼稚園に通わせたかったみたいで 私が通っていた幼稚園は現地の幼稚園でした。私には2つ年上の姉がいますが、姉は日本人学校が運営している幼稚園に行っていました。そのため日本人は私を含めて数人。もちろん他言語を話す人も1人や2人いましたが、周りは本当に中国人ばかりでした。しかし、物心ついた頃からずっとそれが日常だったため、私にとっては当たり前の環境でした。その頃の私からすると間違いなく中国語が私の母国語でした。ここで私のちょっとしたエピソードを。

周りは中国語を流暢に話す中、私の親は中国語をあまり話すことができなかった頃。
私は「どうしてお母さんは中国語話せないの?」と言っていたようです。驚きですよね(笑) 自分は中国語で友達と話していて、みんな中国語話せるのが当たり前。という思い込みをしていたようです。幼稚園生ながらうちの親が中国語話せないことが許せなかったんでしょうね。コンプレックスだったのかもしれません。昔に戻れるのなら、母に謝りたいです。ごめんなさい、当たり前を押し付けてしまって。

貴重な体験

中国では日本で体験できない数々の事を体験しました。

・年に1回の忘年会パーティー
・様々な動物に乗れる

 私が特に印象に残っていることはこの2つです。
1つ目の忘年会パーティー。

これは、中国に住む日本人が集まって行われる年に一度のパーティーです!私はこのパーティーが本当に大好きです!母は毎年この日のためにドレスをオーダーしてくれます。チャイナドレス、シンデレラ風ドレスなど数々…。今考えても毎年オーダードレスを作ってもらい、パーティーに参加させていただけた事は忘れられない思い出です。
 私の家は特別でもなんでもありません。ですが、中国は日本に比べて物価が安いため、平均的な収入であってもこのように特別なパーティーに参加できます。もちろん両親が頑張ってくれた事は大前提です。お父さんお母さんありがとう。

 もうひとつはこれです!

どうですか??驚きですよね。。
あのワニの上に乗れちゃうんです!最初はとても怖かったのですが、大人しい優しいワニさんでした🐊

この他にも、ラクダや大きな象など…本当に様々な動物の上に乗れます。本当に貴重な体験でしたよ。
他にも誕生日には二段ケーキが登場したり、朝幼稚園に着くと行われるラインの上を歩くよく分からない行事だったりと恐らく日本では中々しない体験ができたような気がします。

残念ながら、父が日本に戻りたかったらしく、小学校入学前に日本に帰国するわけですが、このように異国の地だからこそ味わえた事は沢山あります。その分日本での幼稚園生活は一切分からないのですが、、中国での6年間はとても充実したものでした。

まとめ

性格形成の時期と言われる幼少期を中国で過ごした事は、いい意味でも悪い意味でも今後の私に大きく影響しています。(この事についてはまたお話します)中国で生活してたからこそ、日本の生活で苦労した事は数え切れません。しかし、私は中国で過ごした6年間はかけがえのない宝物ですし、"私"を作り上げた"材料"だと思います。

この投稿で何を伝えたいのかと聞かれるとピッタリ当てはまる言葉が浮かびません。1番近い言葉で現すと、"当たり前なんて存在しない"って事ですかね🤔 
例えば、99人が当たり前だと思っていても1人が当たり前だと思っていない状況。それは当たり前と言えるのでしょうか。そもそも当たり前なことってなんですか。朝起きること?学校に行くこと?生きていること?どれも違うと思います。人それぞれ当たり前が違うはずです。だって、朝に起きなくてもいいじゃないですか。夜に起きる人からしたらそれが当たり前なんだから。別に学校に行かなくてもいいじゃないですか。学校に行くことってそんなに大切なんですか?と私は思います。生きていること。これは当たり前なはずがない。時には、死にたくなるようなことがあると思います。でもあなたは死を選ばず、こうして今日まで生きてる。生きてることが当たり前なわけない。少なくとも私はそう思います。

みんな同じ考え方を持っていたらこわいじゃないですか。自分が当たり前に思っていた事は他の人からしたら当たり前では無い。

これを再認識出来るような文章を書いたつもりです。言葉足らずでしたらすみません。今後も書きたくなったら描きに来ようと思います。ではまた(*´﹀`*)

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