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個人的中立

以下の文章は、昨年の12月28日に、第一稿として、ほぼ書き上げていたものです。
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「何で?」って、思っていたら松本人志さんが、週刊文春に一撃を食らわされていた。

以前、あたかも松本さんが強姦魔であるかのよう扇動する人たちがいたので、「頭がおかしいのではないか?」というようなことを、ブログとして書いていたのだが、そのテキストのビューが伸びていた。

ビューが伸びた分、コメントやメールなど、何らかのアクションがあれば、こちらもリアクションが取れるのだけど、何もないし、どうせこの先も何もないのだろうし、面倒くさいから、本当に書きたいブログを書く前に簡単に触れておくことにする(結果的に、「簡単に触れた」ボリュームではなくなってしまったが)。

文春の記事に対して、お金を支払いあえて読むようなことはしないが、漏れてくる雰囲気を察するに、記事の内容が事実なのであれば、松本さんは引退だろう。

そもそも、芸能人にとっての引退というものがなかなか難しくて、請われる限り、基本的に出番がある個人事業主であることを考えると、自ら線を引くことは珍しい。
しかし、今回の件が事実であった場合、需要の側からバッサリと供給を断たねばならないと考える。
だが、それ自体は当たり前のことで、現時点では、それ以外のことを書ける範囲で書く。
まず、松本さんはやはり“アンチ”が多いんだなあ。

比較的最近の松本さんしか知らない人からすると意外かもしれないが、ダウンタウンというコンビは、かつては“天使と悪魔”という見られ方をしており、「天使・浜ちゃん」「悪魔・松っちゃん」と言えるほど、「善・悪」、「白・黒」というテンプレートの元、週刊誌は記事を書きまくっていた。

おそらく、売れれば何だっていい、裏取りなど二の次三の次で、その良心も、現在よりガバガバだったのだろうと思う。
たとえば、とんねるずなども木梨さんより石橋さんの方が人気があったため、悪役側を担わされ、木梨さんを切り捨てて個人活動に切り替えることが、あたかも決定事項であるかのよう度々書かれていたはずだ。
ウッチャンナンチャンにクリーンなイメージがあるのは、互いの人気に決定的な偏りがなかったことが、後々になってから振り返ると大きく、週刊誌がどちらかを「天使」どちらかを「悪魔」として嵌め込み、記事にすることが難しかったからなのかもしれない。

松本さんの小学校時代からの同級生であり、放送作家である高須光聖氏は、当時のことを「(松本人志は悪人だという)イメージそのままに、あることないこと目茶苦茶に書かれている様が見ていられなかった」と言っていた。
実際、当時も、“無理矢理家に連れ込まれ、力尽くで服を剥ぎ取られ、レイプされた”という今回と同じ性質の記事を書かれていたようだし、主演であるお笑い番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」のフリートークの中で、自らその内容を切り出して、笑いに変えながら否定したりしていた。
一部で物議を醸した「遺書・松本(松本人志・著)」の中でも、この時のことは触れていたのではなかったか。ただ、どちらもかなり昔のことなので、ディテールの間違いはあるかもしれない。もし間違っていたなら、「そこ勘違いしてるよ」と言ってもらいたい。

松本さんについては、率直に言い、体感的に浜田さんの10倍以上の“アンチ”がいた。
身の回りでも、「どちらの方が性格悪い?」という話になった際(「どちらの方が性格いい?」だったかもしれないが)、それを考えるような仕草を見せた自分に対し、「松本(松っちゃん)に決まってるでしょ?!」と言い切っている人がいたりしたから。
誤解のないよう説明しておくと、そう即答した人の性格が、悪かったわけではない。
ただ、その分“悪の魅力”とでも言うのか――最近でも、その下、もしくはその下の下の世代辺りの芸人が、その影響から尖り散らかしていた過去の失敗談をチラホラしていたりすると思うのだが――、松本さんは多くの若者の憧れであり、カリスマであったことは論を俟たない。

だけど、昨今浜田さんの不倫が明るみになるにつれ、その好感度はトントンか、もしくは「松っちゃんの方が上なのか?!」という現状へと変化。
次第に浜田さんが“天然化”していったから、松本さんが“しっかり者”として受け止められて好感度が上がっていったというところもあるとは思うが、松本さん自身、かなり自然体のまま家族や御息女の話をしたりもしている。
昔ながらの“松本人志ファン”からすれば、この辺りに「引退」のリアリティーを感じていいたりしたわけだが、一方で“アンチの人たち”からすれば、そんな変化などは問題とせず、ずっと“アンチ”のままだったんだなあ……が、素直な感想。

新規の人がファンになっていったとて、元々嫌いだった人がそれで好きになるわけもなく、その比率が変わっていっただけ――改めて考えると当たり前の話だ。
以上、本題に入る。

ずっと“アンチ”として松本さんを嫌い続けてきた人たちからすれば、今回の件は「やっぱり」であり、若かりし頃に松本さんが一蹴したゴシップも、「実は本当だったんだ!!」「真実が暴かれだした!!」という感じなのだと思う。
しかし、「松本人志」という教科書で「お笑い」というもの(風習・生活・文化・概念)を学んできた者からすれば、イメージとそぐわない。ただただ意外でしかない。

これは、絶対に断言出来ることであるが、「テレビに映った瞬間にチャンネル替える!!」という“アンチの人”以上に、自分は「松本人志」もしくはダウンタウンを見てきている。
それこそ研究対象かのように。一時は、それを漁るかのように。
だから、少なくとも今回の件は、松本さんのイメージから、大きく掛け離れたものであることだけは間違いない。

しかし、インターネット上のコメントを見たりしていると、「自分は昔からの松っちゃんのファンだけど、若い頃のイメージを考えるとあり得そう」といったものがチラホラある。
正直、「ファンだ」という人間を腐したくはないが、「本当にファンだったのかな?」と、思ってしまう。
ファンであればあるほど、大きな違和感を受けると思うのだが――。

松本さんは、自ら、そして広く他人にも知れ渡るほどにマゾヒストである。
少なくともそれは公言と言っていいほどで(オフィシャルボイス)、よっぽどの“アンチ”か、まるで興味のない人間か、はたまた現在小学生ほどの新規ファンでもない限り、一丁目一番地としての共通認識であると思う。
また、他方では“SEXとは相手を気持ち良くさせるもので、相手を気持ち良くさせた結果、自分も気持ち良くなるもの”だとも発言していた。
具体的行為として、“必ずクンニリングスはする"とも言っていた記憶がある。この発言に間違いがなければ、必ず書籍になっている(「遺書・松本」シリーズではない)ので、調べれば判る。正直うろ覚えの部分もあるので、「違う」と言い切れる人がいたなら、これまたコメント等してくれて構わない。
ただ、「だから――」という文脈で、この後“自分本位にSEXをするタイプ(サディスティックに責める側)と比べ、身体的な性欲を、自分は保ち続けられないかもしれない”という趣旨のことは言っていた。
還暦を越えてなお「性欲はあんまり変わってなくて……」と、最近おっしゃっていたことを考えると、当時の自己分析は間違っていたとは言えるのだが。

しかし、以上の根拠をもって、今回の報道と「松本人志」のイメージが、幾許かであれ乖離しているということは察せられたと思う。マゾヒストが女性に対し、力尽くで行為に及ばんとすることを、イメージの外だと認識することは差し支えなかろう。

だから、今回の件は、“ファン目線で見れば”と控えめに注釈を付けたとしても、「イメージとはまるで違う。けど……」か「イメージとはまるで違う。だから……」以外の文脈はあり得ない。
改めて、念押す。
上記文脈以外は、あり得ない。
その上で、現段階(2023年12月28日時点)においては、経過を落ち着いて見ていくことが、「人権意識」のある人間の振る舞いだと、個人的には思っている。

ちなみに。
被害を受けたと名乗り出た女性が、「ジャニー喜多川の性犯罪に立ち上がった人たちを見て勇気をもらった」のはいい。尊重する。
だが、かといってこの件を、「喜多川」もしくは「旧ジャニーズ事務所」の問題と絡めて糾弾するのはやめた方がいい。センスがないから。

45点――甘めの採点。
寸評。関係がない。「喜多川」も含め、「吉本興業」「大阪万博」「維新の会」「自民党(政権与党)」と数珠繫ぎにして、「松本人志」と「被害を受けたと主張する女性」は一体なにが関係しているのか?

この場合、松本さんと「喜多川」を結び付けることの正当性を認めるには、大前提として松本さんが記事に記されている性加害をしていることを踏まえた上で、吉本興業がそれを知り、メディアに圧力を掛け、それを隠蔽しようとしているところまでなぞらえられなければ、同一と見なすことは出来ない。
果たして、なぞらえられるだろうか?
現時点では、なぞらえられないだろう。
物事を素直に捉える心があるのなら、そのように考えて妥当だと思う。
松本さんが、性加害を加えていたとしても、どうして吉本興業が倒されなくてはならないのか――これをイコールで片付けられる短絡性にくらくらする。

松本さんや、そのコンビとなるダウンタウンは、確かに吉本興業の代名詞の芸人であり、大功労者である。
だけれども、その先輩には明石家さんまさんがいて、さらにその上には桂文枝師匠など落語家の大御所たちがいらっしゃるわけだ。
にもかかわらず、何故「松本人志」個人の不祥事で、会社を畳まなければならないのだろうか?
イカれてはいないか――?

約6000人とさえ言われているタレントが所属する会社を、安易に畳めと言うその主張。
その6000人たちも連帯責任だと言うのだろうか?
令和ロマンもご一緒に、その影響を被らなければならないのか?
昨年(実際は、2022年)、フリーとしてM-1にエントリーし、準決勝(敗者復活戦)まで駒を進めたシンクロニシティというコンビは、今年(2023年のこと)思い切ってプロの芸人になることを決めた際に、周囲の芸人にどこのプロダクションに所属するのがいいのかとアドバイスを求めたら、吉本興業を勧められたらしいのだが、そういった事実を知っているのだろうか?
補足になるが、「吉本興業がいいよ」と勧めたのは他事務所の芸人だということで、シンクロニシティは今年(2023年)のM-1を、吉本興業所属の芸人として出て、準々決勝まで進んだ。

「大阪万博」も、中止にしたければ正々堂々“中止にすべき理由”を述べ、主張し、戦うのが筋だろう。
果たして、それで今から中止に追い込めるのかはわからないが、何なのだろうかこの場外乱闘は……。
「個人」で受けた性加害を「政治問題(利用)」とされ、その被害者が喜ぶと思っているということなのか。
それは一体どういう発想なのだろう――。

反吐が出る。
「お笑い」を舐めるなよ。
45点――甘めの採点。
上手くない。
本質を突けてもいない。
無理矢理のかぶせ。
どう甘く採点をしようにも50点を越えてはいない。
センスがない。

※上記までが、昨年の12月28日までに、基本書き上げたものになります。時系列的には松本さんが、再び「お笑い」に対し意欲を掻き立てるポストをするよりも前。以降、見直し、修正、一部加筆は加えたものの、その時点で書き上げた趣旨、言葉の強さ(トーン)は変えてはいません。具体的に加筆した部分は、この性加害が事実であるとしたら何が意外なのか、その根拠となっている部分と、「ちなみに」として書いた、「維新の会」や「大阪万博」などを絡めて政治利用しようとする人たちへの苦言の部分です。45点という採点についても、元々30点だったものから15点上乗せしてあります

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時系列的追記。
12月28日。松本人志。X。
「いつ辞めても良いと思ってたんやけど… やる気が出てきたなぁ~。」

12月29日。村本大輔。X。
「年老いたとはいえ王には王の相応しい終わり方がある」
「終わり方に興味がある 結局、上岡龍太郎の終わり方を目指すも誰も上岡龍太郎になれず」

立花孝志氏は、この動画より前の動画で、オリエンタルラジオの中田さんに、「性加害」の暴露を求めています。

12月29日。夜――

この日、ほぼ同時刻に放送された「ワイドナショー 年末SP」の中で発言された指原莉乃さんのコメントに対し、感心されたらしい。

また、すでに、メンバーのみの限定配信へと移行してしまいましたが、水道橋博士が町山智浩氏と対談形式の動画を上げたのが12月31日。

個人的には、村本さんのポストを知ったタイミングで、「問題としては終わったな」という気持ちがありました。
もちろん、“どこからどこまでを問題とするのか”というのはありますけれど。

また、あと一本だけ、今回の件に関して文章を書こうかと思っているのですが、本テキストに関しては、大竹まことさんについて、少しだけ触れる形で終わろうかと思います。

大竹さんは、文化放送で「大竹まこと ゴールデンラジオ」という番組をやっているのだけど、この間、松本さんの件に関して、取り上げてはいないのではないだろうかと思う。
毎秒くまなく聴いたわけではないので、絶対にとはとても言えないのだが(これも間違っていたなら訂正されたい)、この放送は所謂“左寄り”とされている人たちが多くゲストに招かれる。
松本さんの件を取り上げたいと望む人は、どちらかと言えば“右寄り”よりは“左寄り”――自称人権意識高い系――の人たちなのではないかというのが自分の見立て。
しかし、にもかかわらず、取り上げてはいない。

「忖度、忖度」とかまびすしい在野の声に対し、“動かないという動き”をした大竹さん。
その「動き」に対し、小さくない感動を覚えた次第。
久し振りにちゃんと聴いてみようかなあ――と、何となく思ったりしている。

勝手に勘違いしているなら恥ずかしいだけ。

優しい人間になりたい。
優しい人間になれるのなら、優しいだけの人間でもいい。

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