ブログ

一介のブログ書き風情だが、世間のリアクションから、そのリテラシーを類推するに、比喩的なものも含め、あえて曖昧にしているという、良く言えばロマンチックな、悪く言えば無責任な書き方を、しない方がいいのか……と思う。

何者でもない自分が思うのだから、顔を晒して物を言わなきゃいけない有名人は大変だ。最早それは、苦痛として評価すべきなのかもしれない。苦痛も含め、生き甲斐として感じられる変態以外は。

しかし、ポエム耐性が薄れゆく風潮にあると思ってはいたが、世間とは、それほど正しいか正しくないかだけで生きていたいのか?
風潮ではなく、元々マジョリティーはそうだったということなのだろうか?

自分が中学生辺りで築き上げた答えは、“人生とは快か不快か”というものだったのだが、今、個々人はどう考えているのだろう。
この考えは、ほぼあらゆるロジックに対応出来てしまうため、現在は「つまんないなあ」と思ってしまったりするものなのだが。

「負けるかもな」という考え方のほうが面白い。
隙があるほうが、相手も思っていることを言い易かろう。
だから、毎回毎回とは言わないけれど、ブログを書く中で、もう一つ心掛けていることがある。

「はい論破、論破、論破、論破〜。勝ち勝ち勝ち確ー」
なんて、そんな、完全無欠な文章は目指さない。
一言、余計に、少なくブログを書き終えている。
ちゃんとツッコミ代(しろ)は残さないと――。

そこは“あ・うん”があろうと、自己中心的な考えだ。

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