見出し画像

枝葉末節の枝葉a

松本人志さんの「遺書・松本」に触れたのが中学生の時。小学校3,4年時は、ダウンタウンに掠りもしていない。

「歌が上手い事」や「運動が出来る事」などのほかに、「面白い事」も“人を好きになる事の理由”として、その枠を拡げる――。

選択肢が増えることは、結果を先に見た時に功罪あったりもするのだが、しかし一般的な評価で言うなら、良いことであると言えるのだろう。
だが、そのことで、人を笑わせることを職業にしてきた人たちの、性も含めた女性に対しての接し方について、問題があると一部の人たちは言っている。
それらの事柄については、また、どこかのタイミングでまとめたいと思っているのだが、考察系動画などを観ていると、同じ書籍を読んでいたとしても、琴線に触れる部分はかなり違っていたりするのだなと感じさせられる。

松本さんこそが「いじめられっ子」である――浜田雅功さんを「いじめっ子」だとするのなら。

大雑把な見方なのかもしれないが、まだ二十代だった頃のダウンタウンからダウンタウンを観てきた人間として言わせてもらうなら、ダウンタウンとは、いじめられっ子がいじめっ子を、「お笑いの才能」という緩衝材をもってして、包括せしめたお笑いコンビ。
だから、だから――「あの人の代わりはいないので。戻ってくるまで自分が出来ることを一生懸命やろうかなという感じです」

だから、なので、松本さんは「歌が上手い事」や「運動が出来る事」のほかに、モテる男の条件として、「面白い事」もその理由になると、自らが引っ張り上げたと自負していい資格があると、自分は思う。

1980年代は、まだ大人の世界でも、モテる理由の中に「面白い事」は含まれていないと、子供心ながら感じていた。
あくまで「ビートたけし」がモテる。
あくまで「明石家さんま」がモテる。
ビートたけしさんや明石家さんまさんでは、十中八九、一過性で終わっていたろう。
「面白い男」がモテるには、ならなかったはずだ。

一体何が違っていたか――?
とんねるずでもなく、ウッチャンナンチャンでもなく、最も強く長い時間でダウンタウンが売れっ子であった理由――。

「いじめられっ子」が、モテたからだと思う。
「いじめっ子」を包括して成り上がった、下剋上だったからだと思う。

小学校3,4年時は、ダウンタウンに掠りもしていない。

「や〜い や〜い いじめられっ子〜」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?