見出し画像

#10 『自分を殺してみる』

「自己満が自己満を超える瞬間」をテーマに生きています。

どうも、実言です。

僕はお寺の息子で出家をしたにも関わらず、

釈迦ではなく社会を選んだどうしようもない人間で、
ミニマリスト2.0を謳っています。

過去の栄光

ということでやっと10記事目になりました。

たかが10記事なのですが、この積み重ねが習慣になっていくんだなあと実感しています。そして、自己肯定感が高いことが顕著に現れていますね笑。自己肯定感が低い時期もあったのですが、天狗の鼻を折られてからは、自分へのハードルがミニハードルになり、自己肯定感が超絶高くなりました。

という関係ない話はさておき、

今日は、自分を殺してみる、というテーマで書いていきます。

僕は、過去の自慢話を話す人が苦手です。別に嫌いとかそういう感情ではなく、じゃあ今はどうなの?って思ってしまうからです。栄光的な過去をお持ちの方は枚挙にいとまがないほどいらっしゃいます。
たしかに、すごいと思います。僕は15年以上サッカーをしてきましたが、これといった実績はないですし、他の人にはできない特技があるわけでもありません。

でも、やっぱり自慢話をする人は苦手です。
※ここでいう、自慢話をする人の定義として、過去の一点のみに焦点を絞って話す人に限定しています。

本日はなぜ苦手なのかを分解して、これからどう生きていくかを考えて生きます。

本題はここからですが、なぜ苦手なのかを分析すると頭に思いつくのは3つあります。

①過去>今>未来
②真実かどうかの疑念
③別に求めていない

①は、過去の栄光にすがっている人は、現状に何かしらの不満を感じており、生きる希望を見いだせていない。今を生きているならば、現在形の話が聞きたいと思ってしまいます。仮に、過去の話が現在に線として繋がり、未来への導火線になっているのならば、それはワクワクします。でも、残念ながら、自慢話をする人の大半はそうではありません。
「過去>今>未来」が見えてしまいます。
僕は「過去<今<未来」の話にワクワクします。

②は、実際に話を聞いて真実かどうかわからなくないですか?金メダルとか見せられたとしても、マジで無の感情です笑。いや、これがオリンピックとかなら話は別ですけどね。おそらく、そういう人は次のオリンピックに向けて自慢話に時間を割いている場合ではないはずなので、ないとは思いますが。

③は、本当に自分の本気の意見ですが求めてないっす笑。過去は、あの某有名チームにいたとか一切興味なしです笑。だから何?って感じ。その人が本当にすごい人だったら、そんなマウントの取り方はしないかと思います。

完全に僕の独断と偏見が入っていますが、
このような理由から自慢話人間は苦手です。

で、ここで終わっては何の意味も価値もないので。。。

自分を殺してみましょう!

生きながら何度も死ぬのです。

死ぬということは、失うということ。

生きるということは、継ないでいくこと。

失ったものを継ないでいくのです。

自分を殺すのは勇気がいります。

これまで蓄積したのものを失うわけですから。

でも殺して、生きて、殺して、生きてを繰り返せば、

この前殺した自分と今の自分がリンクして、

フュージョンする可能性があります。

ぜひ、一度これまでの自分を殺して、

新しい自分に生まれ変わりましょう!

ということで、本日は以上、ではまた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?