多分駄文だが、そのぶん自分
ただその語呂に惹かれただけ。
でも意外と意味も合ってるんじゃないかと思って採用してみた。
うまくいけばこれはシリーズになり、いつか誰かの暇つぶしになるのかも。
僕は何の足しにもならない感情やしょうもない空想を書くのが好きだ。
昔からちょっといいノートを買ってはそこに叶いもしない(いや叶えたいんですが)夢や目標を書いては高揚と挫折を繰り返してきた。
それが一時はコントになり、舞台になり、マジックになり、メディアになり、仕事の少しの足しになり。
こう書くと凄そうに思えるけど、打率は1割にも満たないだろう。
多分野球の世界なら即刻クビで祖国に帰される。
だけど、そんな低い打率でも打席に立ち続けたい(書き続けたい)と思えるということは、おそらく自分は書くことが好きなんだろうと。
側から見たら明らかに分かるようなことでも、自分が本当にこういうことが好きなんだと気付いたのは随分と最近になってからだ。
多分それは、自分に足りないものが色々見つかったからこそ、自分にあるものにも目を向けられるようになってきたのだと思う。
気付けば高校球児もアイドルもオリンピック選手も年下ばっかりになっている。
野球に関してはプロ野球選手もどんどん自分より年下がいっぱいいる。
そんな中で彼らと同じ成果は出せないと痛感するし、自分がこれまで彼らに匹敵する努力をしてきたと思えないと、ダブルで痛感する。これはとても痛い。
そうなった時、まさしく「今ある手札で最善が尽くせるか」を考えるようになる。
そうして初めて、じゃあ自分は何が好きなのかを考えるようになる。そして書くことが好きと気付き今に至る。
ただ、書くことが好きと言えど、書くのは嫌いだ。
何を言ってるか分からないと思うのでもう一度整理したい。
書くことは好きだけど、書くことは嫌いなのである。
2回繰り返すと自分でも訳が分からなくなってくる。
ただ、これは紛れもない実感を伴った事実なのです。
つまり、書くという行為は好きなのだが、書き始めるまでや、書いた後に見直すのが非常に嫌いだということです。
だいたい、書き始める前には「ああ、どうせ書き始めたら当初の予想通りには仕上がらないし、時間もかかってしまうんだろうな」と嫌になります。
そして書き上がった後は「ああ、どうせ見直すと誤字脱字だらけだし、構成も趣旨もめちゃくちゃなんだろうな」と嫌になります。
ただ、書いている瞬間の、キーボードの音や、たしかに画面上に文字が生まれていくのが好きなのです。
生まれる文章を自分の心の中で読み上げる瞬間、その瞬間は目の前の文章だけに集中できているのです。
そう、これは一種の瞑想。マインドフルネス。トトノうということ。
いや、そんなにかっこよくは考えていないです。ただ好きなだけです。
多分この気持ちは、文章を書くのが好きな人なら少なからずわかってくれる気がします。なぜなら、僕もこの考えを誰かの文章を読んで共感した気がするからです。パクリじゃない、インスパイア。
さて、長々と書いたけど、やはり当初の予想とは違う文章になりました。
本当は、最近実家暮らしで家族と猫としか会話していないから、言語能力を維持するために書き始めた、ということを伝えようと思っていました。
そして、出来れば最近あったムカついたことを1つや2つ書こうかなとも。
だけど、もう満足したので終わります。
僕の気持ちがあればまた次回。
誰かに話すほどの文章でもない。
でも誰かの暇つぶしになるぐらいの読後感を。
多分駄文だが、そのぶん自分。
そんな気分の零時弐分
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