mlodinの徒然脱線紀行(自明ですか?:補助金に手を出す企業の事情)

前の記事では、「補助金」が予算化され、「補助金」の姿が明らかになるまでの道筋と、「補助金」が企業にとっては使いにくいお金にならざるを得ないと考える理由を書いた積もりです。
そして、「次は、なぜ企業はこんな面倒な「補助金」に手を出すのだろうかということを考察します」と書きました。
そう書いたときには、それまでの考察の中で、完全に見落としてしまったことがあることには気づいていなかったのです。

前の記事の終わりに、
mlodinは、「見たいものを見ていると、見えるものも見えなくなる」ということは、忘れないようにしたいと考えています。
と書きました。ところが、この記事を投稿したすぐあとに、自分が「見えるものが見えなくなっていた」ことに気づいたのでした。「天に唾する」の見本のようですね。なんていうことでしょう。

今回の記事では、最初にこの見落としのことを書くことにしたのですが、その中で「見落としが起きた理由をどう説明したらいいのか」などと考えていました。
偶然は恐ろしいですね。
メールを見ていて、PRESIDENT Onlineの「5月7日のトピックス」に、「結果を出した菅首相も1年で退陣させる…「日本はダメ」しか報じないマスコミが日本をダメにしている」という記事に目が止まったのです。

その記事は、
> コロナ禍という危機の中で、国内メディアは機能不全を露呈させ
> ました。私が特に問題だと考えているのは、冷静さを失った感情
> 的な報道姿勢です。
と、コロナ禍でのマスコミの報道姿勢について問題提起をしたものでした。
mlodinは、その記事に
> コロナ禍で日本国内が混乱する中、「政府批判側の極論」を言う
> 人たちの「出羽守バイアス」のかかった情報が、ワイドショーを
> 中心にして連日のように発信されました。
と書かれていたのを見て、見えるものが見えずに、見落としをしてしまった理由に気づいたのです。

池田氏は、過去エントリー「経験主義マウント」についたコメントへの返信の中で、PRESIDENT Onlineの記事にあるような、「政府批判の極論」のような主張を展開されていたというのがmlodinが感じていたことでした。
そのため、mlodinのこれまでの記事では、池田氏が書かれている「補助金」を出す側への批判は問題はないのかという視点で、考えをまとめていました。池田氏が書かれた文章を別の視点で見ることができなかったのです。

自分で書きながら、判り難い説明になってるな~と思っています。ごめんなさい。

池田氏は、補助金のあり方について、補助金が成果を上げていない理由について、
>横やりを入れたり、レポートで監視しなければならないほど、成
>功確率の低い案件だと思って
とか、
>振りじゃなくて、本当に専門家でもないど素人の役人がそこまで
>口出しして管理しなきゃ成功しないようなクソ案件だったら、最
>初から補助金を交付するのがおかしいんじゃないかとそういう論
>旨なんですがねぇ。
と書かれています。
池田氏は、このような表現で、補助金を出す側の問題を明確にすることができると考えられたのでしょう。

でも、改めて、別の視点から読み直してみると、池田氏が書かれていることは、補助金を受ける側に対する痛烈な批判にもなるのです。
横やりを入れたり、レポートで監視しなければならないほど、成功確率の低い案件」、「本当に専門家でもないど素人の役人がそこまで口出しして管理しなきゃ成功しないようなクソ案件
で「補助金」を受けようとした、受けたのはどこでしょう。
「クソ案件」で「補助金」を受けようとした企業への池田氏の評価はどうなるのでしょう。
「そういうクソ案件なんかを出すから、成果が出ないんだ」ということになるのでしょうか。

記事を投稿してからこのことに気づいて、「自分はなんて未熟なんだろう」と少し落ち込んだのでした。
もっと早く気づけていれば、論点も変わっていたかも知れません。

ここまでは脱線です。本題に戻りましょう。
なぜ企業はこんな面倒な「補助金」に手を出すのでしょうか。
企業の方の事情を考えて見ましょう。

答えは簡単です。
「補助金」がどんなに面倒なものであっても、その研究をしたいから」ということになります。
お金を借りて研究をすることもできます。でも、銀行から融資を受ければ、利息を払わなくてはいけませんし、元本は返済しなくてはなりません。
「補助金」であれば、面倒なことが山ほどあっても、利子を払うことはありませんし、お金を返す必要もありません。

これだけで説明を終わってしまうと、少し藝がないので、いくつかの考察をつけます。

前にも引用していますが、「過去エントリー「経験主義マウント」についたコメントへの返信」に紹介されていた
>自動車メーカーから「補助金なんてうっかりもらうと仕事が進ま
>ないからもらいたくない。ただ断ると角が立つから自前・自費で
>研究開発したいのにやむなく、税金を突っ込まれて、下らない役
>所向けのレポートで忙殺されている。足を引っ張られている。あ
>れなら減税してもらった方がよっぽどマシだ」という幹部の声を
>聞いて言っているのです。
という自動車メーカーの幹部の方のお話は、良い参考になります。
以前の記事では、批判的な観点からキツイことを書きましたが、率直な本音が出ていると考えられるからです。

「自前・自費で研究開発をしたい」と言うのが本音でしょう。でもできなかった。
「断ると角がたつ」というのはどういうことかと考えると、お役所から「補助金」の予算についてのヒアリングのようなものを受けた際に、「この研究分野にニーズがある」というような情報を出したという因縁があるのではないかと、まったくの想像ですが、考えることができます。
予算化された以上、その「補助金」を提案した側としては、手を上げなければならない、というような事情でもあったのでしょうか。

もう一つはっきりしているのは、会社は、「自前・自費での研究開発はしない・できない」と判断したということです。
その判断の理由も簡単だと考えられます。会社のリソース(資源)が限られているからです。
人(研究者)、もの(研究施設)、カネ(予算)をどう配分するかは、その企業の戦略です。優先順位が高い順に割り振られます。
人(研究者)ともの(研究施設)は、余裕を持たせることができるので、カネが制約要因になるでしょう。
優先順位が低い研究案件でも、「補助金」を受けることができれば、前に進めることができる場合もあるということになります。

「補助金」を受けるということは、「その研究をやっている」と世間に知られることになります。レポートなどを出すこと、そして、研究成果を国と共有することが求められたりするのであれば、会社が「補助金」を受けようとする案件は、会社としての優先順位が低いものにならざるを得ません。
いずれにしても、会社としての優先順位が高い案件で「補助金」を受けようとすることはあり得ないでしょう。
言い方を変えると、会社が、「成功確率は高くないかも知れないが、やる価値はある」と考える案件が、「補助金」を受ける対象になります。

研究開発が成功するか否かというのは、予測することはできません。
ただただ努力をして行って、その成果が実を結ぶこともあれば、無念の涙を流さなければならないこともあります。
ただ、いままでの経験から、「これは大丈夫そうだ」、「行けそうだ」と判断されている案件の方が、成功確率は高いのではないかと、mlodinは勝手に思っています。
そうなると、「補助金」案件は、成功確率では分が悪くなってしまうことになります。

ということで、mlodinは、仮に「補助金」で成果が出ていないとしても、補助金を「出す側」の責任でもなく、補助金を「受ける側」の責任でもないと言えると考えるのです。