mlodinの徒然脱線紀行(自明ですか?:落ち穂拾い)

池田直渡氏が書かれた「過去エントリー「経験主義マウント」についたコメントへの返信」へのお返事を書くという、mlodinが自主的に「宿題」と考えていたことは、だいたいできたと思っています。

最初の方で断っていますが、mlodinは自動車業界とは、ユーザーとしての関係しかなく、「補助金」についてのスキームや、企業の事情などは、これまでの、自分の属した企業・業界での実務経験、mlodinが常識と考えていることなどをベースに、「こうだろうな、こうあって欲しい」などと考えた結果です。「実態に近い」と保証することはできません。
CMにあるような「個人の感想です」と同じです。

これまでの記事の中でいろいろと書いたように、池田氏がご覧になった世界と、mlodinが見えていると考えている世界は、同じ世界のハズなのに、見え方が違っていることになります。
「こちらの方が正しい」と言いたいのではありません。

ここからは、落ち穂拾いということで、
いろいろな見え方があるということ。
いままでに書いていなかったこと。
書き終わってから気づいたたこと。
などから書いてみます。一回で終わるかは、判りません。ごめんなさい。

「補助金」がどんなものか、どう使えるかということについての脳内シミュレーションは、面白いものでした。
「補助金」を申請するときに、人件費は補助金の中なのか、そうではないのか。「補助金」の対象の研究のために移動するときの交通費は、補助金の範囲内なのか、そうではないのか。分析機器のような資産になるものの扱いはどうなるのか、などなど、興味はつきません。
感覚的に言うと、「補助金が使える範囲は限られてしまうので、その範囲外でかかるお金は企業の持ち出しになる」というのが相場ではないかと考えていますが、どうなんでしょう。
こんなことを書いていると、落ち穂は拾い切れそうにありませんね。

どこかで書いたかも知れませんが、池田氏は、自動車についての評論などでは、データーをいろいろ示して議論されています。解説付きで。
それが、mlodinが、「池田直渡さんの追っかけ」を自称するようになった大きな理由です。
残念ながら、「経験主義マウント」でも、「過去エントリー「経験主義マウント」についたコメントへの返信」でも、そのようなデータはほとんど提示されていないと感じています。
「補助金」のシステムに問題があるとすれば、データーに基づいて問題点を指摘し、改善するための方向性も提示していただきたかったと考えます。
mlodinには、「補助金」のシステムや実態は見ていないので、その方向でのコメントはできません。

何回も引用していて心苦しいのですが、
>     「補助金なんてうっかりもらうと仕事が進まないから
>もらいたくない。ただ断ると角が立つから自前・自費で研究開発
>したいのにやむなく、税金を突っ込まれて、下らない役所向けの
>レポートで忙殺されている。足を引っ張られている。あれなら減
>税してもらった方がよっぽどマシだ」
という自動車メーカーの幹部さんの発言は、「お役所のせいで「補助金」の成果が上がらない」という論拠にはならないというのがmlodinの理解です。

mlodinが内容を理解できないと感じたけれど、コメントすると脇道に逸れてしまうと考えて、コメントを差し控えたのが、池田氏が書かれた、
>   補助金を出したからと言って、役員や理事長を役所からね
>じ込んだり、パートナーと称するわけわからん会社を半ば強引に
>紹介したり、研究の邪魔になるほどの膨大な報告書を日々書かせ
>たりするな
という部分です。
「役員や理事長」をねじ込むってどの組織へなんでしょうか。補助金を受ける企業のことではないですよね。
仮に、補助金を受けるためにいくつかの企業が作った組織のようなものであれば、お役所のOBのような方に役員や理事長を委嘱するのは一つの判断だと考えます。国の関係機関であれば、役所から転籍するというのは、ある意味自然でしょう。
大事なことは、「適材適所か」ということで、どのような組織であっても、「役所出身なら不可。会社出身なら可」というような判断基準で動いていたら、先はないと考えます。合併企業のたすき掛け人事みたいなものですね。
「パートナーと称するわけわからん会社」を紹介したということですが、それが善意からの行為である可能性は考えないのでしょうか。
お役所不信ということなのでしょうか。

繰り返しになりますが、先入観に囚われてしまうと、「見えるものも見えなくなる」可能性が高いと、mlodinは考えます。

これはmlodinの思い込みですが、トヨタの強さの源泉の一つに「見たいものを見る」ではなく、「見えるものを見る」を基本に据えていることがあるように感じています。
トヨタの方にうかがって見たいところです。

これはmlodinの信念でもあるのですが、「誰でも最初は初心者」です。経験をすることで成長して行くのです。
経験が成長の糧にならない人もいることはいますが。

最初からレーサーに生まれてくる人は、セナぐらいでしょう。
クルマの乗り方を教わり、仮免から免許取得、いろいろな走りを経験して、Α級ライセンスということになるのですよね。個人の資質の問題はもちろんありますが。

何を言いたいかというと、池田氏の
>    本当に専門家でもないど素人の役人がそこまで口出しし
>て管理しなきゃ
という認識は、正しいのでしょうか?という問いかけです。
mlodinの経験からは、「全くの考え違いだと思います」という答えが出てきます。「経験主義マウント」と言われるかな。

もう30年以上も前のことなので、システムなどは今とは異なってしまっていますが、mlodinは、お役所への窓口業務を担当していました。
厚生省への薬事承認申請という、製薬企業にとっては最後の関門になる部分の業務に従事していたのです。
いまは、薬事承認申請に関する業務は、厚生労働省からは切り離されて、専門的な外局で行なっていたと記憶していますが(ごめんなさい、調べていません)、当時は厚生省の中に承認申請の審査担当部署がありました。
お役所なので、定期的に人事異動があり、新しい方が担当官として入ってきます。最初は、補佐的な業務から入るのですが、新人です。
会社から出した申請内容は、審査担当部署の担当官が内容を確認し、問題がなければ、薬事審議会の調査会の専門家による審査を受けるというのが、当時のプロセスでした。
企業の申請内容を最初にチェックするのは、審査担当部署の担当官で、申請内容をまとめた「概要書」を読んで、その内容を確認するために、ヒアリングが行なわれます。ヒアリングには研究などの担当部署のメンバーも出て、審査官からの質問に答えるというような感じで行なわれます。
ヒアリングの場には、新人の担当官も補佐的な感じで出ているのですが、やり取りの中で、「あまり良く判っていないのかな?」とこちらが感じてしまうような場面もあったりします。
ヒアリングでは、質問に答えられるところはその場で答えますが、答え切れない部分は、担当官から宿題として出されるので、会社に持ち帰って担当部署に回答の案を出して貰い、打合せなどを経て三カ月ほどかけて回答書としてまとめて提出します。その後、回答書の中身についてのヒアリングを受けるというプロセスを、当時は、踏んでいました。
三カ月後の回答書についてのヒアリングでは、前のヒアリングのときには新人感が出ていた担当官が、本質的なところに踏み込んだ、核心を突く質問をしてくるのです。
 「男子三日会わざれば刮目して見よ」の実例を目の当たりにさせられました。
考えて見れば当たり前のことです。
企業の担当者が新薬の承認申請業務に携われるのは、mlodinのいた会社では数年に一回です。
承認申請をする製薬企業は、数多くあります。承認審査を行なう調査会に担当官として出ていれば、企業の担当者とは比較にならないレベルでOJTが進みます。資質の有無も関係ないでしょう。
それがmlodinが実感したことでした。

「補助金」についても、構図は同じになるとmlodinは考えます。
専門家でもないど素人の役人」にいつまでも留まっていることはできないと考えるからです。
多数の案件をこなすことになるので、普通に業務をこなしていても、入ってくる情報量は、企業で一つの案件にしか携わっていない研究者よりも多くなる可能性が高いと考えます。
研究者から見たら、「パートナーと称するわけわからん会社」かも知れませんが、そうでない可能性もあるでしょう。
要は、紹介された相手をきちんと評価するかどうかということで、それは、対お役所でも、それ以外でも同じでしょう。
お役所から来た話だからと言って、頭ごなしに否定することが、良いことだとは思えません。それがmlodinの感覚です。

今回の落ち穂拾いはここまでにします。
続きは考えていますが、いつになるかは判りません。
リクエストはありませんね。