mlodinの徒然脱線紀行(自明ですか?:補助金ってどんなものですか)

書くことは決まっていた積もりだったのですが、書いているうちにいろなことに気づいて、「あれも書いておこう」、「これも書いた方がいいかな」という具合になってきてしまっています。われながら、困ったものです。

過去エントリー「経験主義マウント」についたコメントへの返信を読んでいて最初に感じたのは、そこでのコメントにも書きましたが、
>自動車メーカーから「補助金なんてうっかりもらうと仕事が進ま
>ないからもらいたくない。ただ断ると角が立つから自前・自費で
>研究開発したいのにやむなく、税金を突っ込まれて、下らない役
>所向けのレポートで忙殺されている。足を引っ張られている。あ
>れなら減税してもらった方がよっぽどマシだ」という幹部の声を
>聞いて言っているのです。
 と池田氏が紹介されている幹部の方の感覚がおかしいのではないかということでした。同時に、この発言は組織についての認識もおかしいのではないかということも感じたました。

池田氏の立論の中でもそのような表現が出てきているのですが、たとえば、
>ひとたび補助金を出す決定をしたのなら、口を出さずに自由にや
>らせろと。
という表現は、組織に対する言い方ではないという感覚があります。
属人的な言い方のように感じられるのです。
「担当者が、いろいろと口を出すから問題が起きる。だから、そういうことはやめろ。」と主張されているように読めてしまいます。
属人的な問題であれば、担当者が交替するだけで解決することがあります。

役所向けに出すレポートは、補助金の条件として設定されているのだろうとmlodinは考えます。
担当者が自分の裁量で、「あれを出せ」、「これを出せ」と言っているということではないはずです。
担当者が、補助金の条件とは関係のないようなレポートをいろいろと出すように要求してきて、それが過重な負荷になっているのであれば、会社の担当部署から、「それはいかがなものか」と、相手側に問題提起をするのが、組織としての適切な対応だろうとmlodinは考えます。

出すようになっているレポートで「忙殺される」と言っているのであれば、それは、銀行から借金をして「金利を払うのは負担」と言うのと同じではないかとmlodinは考えます。
そういう意味でも、幹部の方の感覚は、mlodinは首肯できないのです。

補助金がそのように、金額に見合わないような負荷がついてくるものならば、貰わないという判断をするのが、幹部の仕事でしょう。
それとも、負担が大きいということを忘れていたのでしょうか。

もう一つ。この前の記事をアップしたあとに気づいたのですが、この幹部の方は、部下のことを大事だと思っているのかなという疑問も出てきました。

補助金を貰うと仕事が進まない。役所向けのレポートで忙殺される。足を引っ張られる。ただ断ると角が立つから補助金を貰う。あとはよろしく。
ということに、社内的にはなっているのでしょうか?
こういう幹部の下で仕事をする人は大変だろうなと、同情するしかありません。

こういうことを書いていてもきりがないので、今回のお題、「補助金ってどんなものですか」に話を進めます。

mlodinのいた業界では、補助金が話題に上がったという記憶がありません。最近は違うのかも知れませんが。
ほかの業界でも、補助金が話題になったという記憶がありません。
自動車業界では、補助金は、日常的なものなのでしょうか。
で、疑問が出ます。「補助金」ってどんなものなのですか。

そもそもの「EV推進の嘘 10」は一度しか見ていないので、記憶で書きますが、その中での「補助金」についてのやりとりの中では、三人の方が同じイメージを持って話をされているようには感じられませんでした。
「補助金は成果が出ない」、「成果が出た補助金もあった」というやり取りがあったと記憶しているのですが、そこでの「成果」って、いったいなんなんでしょう。
ウーブンシティも補助金は貰っていない」というコメントがあったと記憶していますが、補助金を貰ったとして、どんな成果が期待されると考えてのコメントだったのでしょうか。そもそも、ウーブン・シティが受ける補助金ってどんなものなんでしょう。どこから受けるのかしら。

ということで、ここからは、この先の論考が拡散しないように、mlodinが考える補助金のイメージというか、要素を少しまとめてみます。
この次は、そのイメージをもとにして、補助金についていろいろな問題を考えて、池田氏のお考えについてのmlodinなりの意見を展開したいと考えています。
mlodinが考えている補助金のイメージが実態と異なるのであれば、全くの空論になってしまいますが、それは、自動車業界に詳しくない者が考えたからということで、ご容赦ください。

まず、補助金の目的ですね。
自動車産業の国際競争力を維持・強化するために「国が提供する資金」という括りになるのでしょうか。設備投資のようなものは、個々の企業が行なうべきものでしょうから、対象とするのは「研究資金」ということになると考えます。実際、幹部さんの話にも「研究者」という言葉が出てきています。

補助金が、上に書いたようなものであるとすれば、補助金の提供を受けた企業の競争力を維持・強化することになるとしても、補助金の対象となった「研究」の成果は、自動車業界全体が享受できるような制度設計となっている必要があると、mlodinは考えます。

このことを前提にすると、「補助金」が対象とする「研究」は製品からは離れた基礎的な研究になることが想定されます。
製薬の分野で「補助金」が話題にならないのは、基礎的な研究が製品に直結してしまう可能性が高いからかも知れません。成果を業界で共有することが難しいのです。

ここまで考えてみると、自動車産業への「補助金」が成果を出せていないように見えるのには、成果が「製品」からは見えないということも一因になるでしょう。

「補助金」を受けた「研究」の、製品以外の成果にはどのようなものが考えられるでしょうか。
最悪なケースとして、「こういう方向で研究しても、なにもいいことはないということが明らかになった」ということがあるかも知れません。でも、その結果を自動車業界が共有できたことも成果になるとmlodinは考えます。

研究が順調に進めば、いままではなかった知見を得ることができ、それが有用なものであれば、国際特許を取得することが考えられます。
この特許が有用なものであれば、「補助金」を受けた企業以外の企業も、国から特許の使用許諾を受けられるような制度設計にすることが必要だと考えます。
さて、実際はどうなのでしょうか?

ここまでは、「補助金ってどんなもの」という疑問にmlodinが、「こんなものではないでしょうか」と自問自答した結果を書いてみました。

次は、補助金がこんなものだったら、どんな風に運用されて行くのだろうか、というようなことについて、mlodinの考えを書くことにします。

一つ確かなのは、補助金を出している側は、
>横やりを入れたり、レポートで監視しなければならないほど、成
>功確率の低い案件だと思って
などということは、あり得ないということです。
税金を使うということがそれだけ重いということは、はっきりしています。