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自己紹介⑥〜紐解かれるうつ〜

ご拝読いただきありがとうございます。
前回からの続きとなります。

うつ病の大半は、自分一人ではなく、他の人が起因しています。
ずっと、ひとりぼっちで孤独からくる
うつもありますが、それも、他の人と関わりたいからなので、ある意味、自分一人ではないと言えるでしょう。

そして、ここで敢えて、起因と言ったのは、
私はやはり、原因は自分の中にあると捉えています。

私の過去にわたる、2回の発症は、
元婚約者と
お義父さん
が起因しています。

でも、それはあくまで起因、つまりは、ひきがねに過ぎず、そこに至るまでにすでにパンク寸前だったんです。

簡単に言うと、仕事のキャパオーバーでした。

そうなったのは、単純に忙しかったとかの仕事量のキャパオーバーではなく、気持ちの部分でキャパオーバーしていたんです。

私は子どもの頃から、明るく、目立ちたがり屋で、人気者。
そして、勉強も出来て、学級委員や生徒会に推薦される人間でした。
自慢とかではなく、親や先生、友達もそれは認めてくれることだと思います。

小さい頃は、それが誇らしく思えていたし、常に100点を取り、褒められたり、自慢することが気持ち良かった。

中学2年生から、それが変わってきました。

私が行っていた中学校は田舎だったので、小学校も中学校もそれぞれ1つでした。
なので、同級生は小学校から、みんな同じ人たちです。

だから小学校からずっと一緒なので、中学校でも、私のキャラの認識はみんな同じでした。

だけど、私の中で思春期が来て、人前に出るのが嫌になりました。

中学2年生の時に、初めて、学級委員になる事を拒否しました。
しかし、クラスのみんなは私しかいないと言う満場一致の意見で、渋々、学級委員になりました。

クラスのみんなも、もちろん思春期真っ最中。
それが故に、学級委員の言うことを聞かない人たちも、たくさんいました。

静かにしましょう
とか
みんなの意見を聞かせてください
とか

そんな指示には従いません。

お前らが選んだんだろうが!

そんな気持ちになりました。

また、テストも100点満点が、なかなか取れなくなりました。
私が勉強出来なくなったのではなく、テストの難易度が上がり、クラスで1番の人でも95点とか、そんな感じでした。

でも、母親からは褒められなくなりました。
たとえクラスで1番だとしても、95点なら、

「なんであと5点取れなかったの?」
「どうしたら、あと5点取れるようになるかな??」

という風に言われるようになりました。

そのあたりから、ギャップを感じるようになりました。

今まで通りしてるのに、褒められない。認められない。

段々と、私のキャラが嫌になりましたが、みんながそのキャラを辞めるのを認めてくれないような気持ちでした。

そこからは、私はキャラを演じていたんだと思います。

デキる男を演じる。

特に挫折をするほどのこともなかったので、そのまま大人になったんです。

それが原因です。

大学を卒業してから、特にやりたいこともなく、自分で店を持てたらかっこいいなとか、
どんな仕事も、そつなくこなせたら、デキる男に見えるなとか、そんな風に無意識にしていました。

仕事を頼まれたら、
出来ます!

と答えてしまうようになっていたんです。

みんなの期待に答えなきゃ!
認められているから、頼まれてるんだ。幻滅させてはいけない!

それが膨らみパンク寸前になっていました。

うつ病という病気がなかなか治らなかったり、何度も再発してしまうのは、子ども頃からの性格が原因だからなんですね。

そして、もう1つ原因があります。

つづく

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