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『凍』 トーマス・ベルンハルト

老画家シュトラウホが凍てに抱かれ自身を消去するまで、そして画家を観察する若き研修医が彼の絶望に染まり、急場を凌ぐまでの軌跡。

画家は過酷な凍てに見舞われる醜い村へ自傷行為に等しく身を置き、世界への、他者への、自己への呪詛を吐き続ける。
画家は失望に失望を重ねて尚も人間に賭けている捩じれ切った精神の持ち主である。彼の関心は自殺にのみ向かうが、完全なる孤絶状態にはない。かつては彼も家族への愛情を抱いたことがあったのかもしれない。だが彼は「考慮の外に置かれた」失敗した子供だった。不信は厚い壁となり、家族の、殊に兄との修復不可能な断絶を生む。研修医は徐々に彼と自分を重ね、共感や反発を感じるようになる。「名望家」たちが自然や弱者を気紛れに犠牲にするというナイーブな感性は彼を揺さぶったのだろうか。寒さ故外で動かずにいれば死ぬ、同様に、画家も研修医も考えを止めれば凍死する人間だった。

画家の兄である医師から弟を観察するよう任を与えられた研修医は、日を追うごとに画家の悪魔的な引力に引き寄せられ、その呪詛に深く感染していく。観察が観察たり得なくなり、任務の終盤になって漸く自分が画家の表象世界の中へ囚われ、彼の所有物にされたのだと気付く。観察者が裏方から連れ出され、当事者、受刑者へと変貌する。何故もっと早く気付かなかったのか。画家は目論見が上手くいったことを確信したからこそ、「私は確乎たる目論見を立てている人間にすがりつく。相手にとっては精神的拷問だろうが」と言明したのではなかったか。研修医を据えたいつもの独白と同じ声音で。23歳の研修医にとって、ここは魔の山であったのだろう。将来への展望を持たぬ単純で脆弱な彼は、何処かでこの関係性を望んでいた。

兄の外科医は成功者だ。彼は自分の弟が(如何にかは理解しないが)苦しんでいることを把握しており、弟が代用教員となる為の執り成しをしたこともある。弟は無自覚に他者を巻き込んで援助させる人間でもある。
即物的な兄が晦冥と呼んだもの、医学的思考でない魔術的・神秘主義的なものを弟は実践している。スタンスは何処までも対立し、弟は兄を見ているが兄は弟を見ていない。画家が大袈裟に痛みを訴え、研修医が身分を偽りつつも大したことはないと正直な見立てをした際、画家はそれを気遣いだと捉えた。兄と同じ嘘だと言って、とても手の出ないほど高価な宝石のように目を光らせた、と研修医は書き残している。つまり研修医はそれを美しいものと同情的に捉えた。兄弟の間に立つ研修医は兄を賞賛し弟を無能と貶すが、実際は兄の言う晦冥が弟によって開かれていくことに魅了されている。

峡谷と見出しの付いた章が特に印象深い。
小見出しは大抵画家の一連の個人的体験に付けられ、その多くで画家は血腥い死の光景と出くわすのだが、本章はそうした光景が描かれないにも関わらず最も陰惨な感じがする。
画家は自らの表象世界の中へ連れ込むことに成功し無力化していた研修医を今度は彼と同じ神の視点に立たせる。「きみと私のために生み出した」一教師を破滅に追い込む遊び。画家は紛れもなく研修医を計算尽くで籠絡したのだと分かる。

何故彼らの(画家個人の)遊戯の為に生み出されたのが幻想的なものを背中に背負った、自分の属する社会に幻滅した一人の教師だったのか。
実際に画家には教員の経験があるからというだけでなく、そこには兄の存在があったように思う。画家の魔術的な生存術、晦冥さと対を成す学術的なもの、それを修め手を差し伸べる援助者、権威者。そんな創造物の血の循環を止め、脳髄を氷点と絶対的冷凍範囲に封じ込めることを楽しむ。共犯者に仕立てられた研修医はなす術なく見ていることしかできない。画家は何度も創造と破壊を繰り返す。その時、彼は宝石のような目をしていただろうか。創造物でなく己の身を途切れなき雪の概念の中で屠るまで間もない。

研修医は報告において、兄がかつて『夢見る人間と政治的人間』という本を書いたことに触れている。そして、「ご令弟にきわめて範例的に具現されているひとりの人間における夢と政治的なものの関係は、男性性、すべての性的事象における男性性を驚くべき卑劣な仕方で例示しているように思われます」と述べる。弟が見事なサンプルとなるこの夢見る人間と政治的人間、男性性については上手く読むことができなかったので、再読時に見送りたい。
母性とは自殺性、人間を生むということは、(一義的には)父親の、(二義的には)母親の、自分たちの所産である子供を絶えざる自殺の引き金としてこの世に送り出す決断であり、「新たな自殺をすでに決行してしまったという」予兆的感覚に突然襲われること――こうした反出生主義的思考は、何となく受け入れてしまうけれども。

「8歳か9歳で体験したことが30歳の人間を急に変えてしまうことがある」のなら、23歳で体験した画家との関わりが今後彼の人生に打撃を与える可能性はある。寧ろ本書はその予兆を大いに含んでいる。研修医もいつか人間の望みの絶たれた場所へ、もっとも過酷にしてもっとも断固たるもの、思考を停止した虚無へと向かうのかもしれない。

ベルンハルトの描く人物は縁遠いと思えない。結末は分かり切っている。記憶は思考を強制し、即座に悲しみを引き起こす上、日々の曖昧さと日々の絶えざる絶望を増大させると画家はいう。それでは過去が力を増して己に復讐し続けるだけではないか。だがその通りだと思う。本書は地獄の責め苦である夜を越える意思を失うまで傍らにあるだろう。
「人生とは、純粋で澄み切ったもっとも暗い結晶性の絶望だ」

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