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サブカル大蔵経6 浅野清『南都六宗の建築』(小学館)

 法相、倶舎、三論、成実、華厳、律。「南都六宗」に興味があります。南都六宗は学問仏教であって信仰として民衆に届かず、鎌倉仏教に乗り越えられた旧勢力扱いとされたり、政治的にも奈良から京都に都を遷都させた政教分離を乱す悪玉とされてきた敵対勢力みたいなイメージしかありませんでした。

 ただ、中観思想、唯識思想というインドの仏教思想のひとつの到達点が輸入されたのが南都六宗なので、それが日本の天台宗以降の各宗派の勃興によって断絶したのは勿体ないような、密教にまくられたような。インド仏教思想の最先端が、日本では時代遅れとされている倒錯感と悲哀感。これはやはりいびつな感じがします。

 最近の研究では、平安時代から江戸時代にかけて、華厳や律からは、思想的に革新的な僧侶、民衆に寄り添った実践的な僧侶の存在が見出されています。今こそあらためて南都六宗の再評価を希望します。それが既存の禅や念仏、法華に刺激を与えて、総合的な「日本仏教のルネサンス」に繋がっていくことを夢想します。

 さて、手さぐりの南都六宗。実際どんな日常風景だったのでしょうか。そこは、大学か、城か、科学研究所か、文化の発信地か、政治の伏魔殿なのか、わかりません。なのでまずその建築物を通して想像していきたいと思い、この本をまず読みました。

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 小学館から発行されていたブック・オブ・ブックスというコンパクトなシリーズ。古本屋からネットで取り寄せてみてその体型の可愛らしさと内容の真摯さのギャップに感銘。著者の浅野清さんは、建築史の専門家として、南都六宗時代建築の孤高さを、「異常」「異様」「破格」「超人」などの形容詞連発で容赦無く表現して、信頼がおけます。

 中でも、東大寺はその巨大さを支えるために日本伝統美を逸脱している施工がなされているとの指摘には驚きました。

「東大寺南大門斗組。正面からはむしろ簡素に見えていたこの門も、こうして近づいて見上げると、騒然としたにぎやかさである。地上から上層屋根下まで通る柱に肘木を挿し込んで、斗組を前へ前へと持ち出して六手先に及び、左右の振れを止めるために通肘木でつないだ異様な構造である。中略 こうして構造的にはきわめて強固であるとはいえ、あまりにも機械的で、荒々しく、木目のこまかさになじんできた日本人には親しめず、せっかくの試みであったが、東大寺の再建が終わるとたちまち見捨てられた。」p.34

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「東大寺再建、構造上では全く新規な方法が採用された。それは新しく輸入されてされた宋の建築方式で、伝統ある奈良の大寺がこのような異様な方式を選んだのは大きい決断であった」p.127


「その中、唯一奈良を残す唐招提寺。金堂は、奈良時代ただ一つの遺構。」p.130

「唐招提寺境内。この堂と堂とが相接する密度こそ当時の伽藍の雰囲気なのである」p.91

 私の記憶でも、修学旅行で訪れた唐招提寺の静謐さは印象深いです。地味だけど本物感あるというか。しかし、その建築物の「密度」が当時を現す、という指摘もすごいと思いました。


「優勢を誇った禅宗建築も南都の建築への影響は極めて微弱であった。それは南都の中心勢力であった興福寺が強く伝統に固執して、それを排除したためと考えられるが、東大寺の方では、鐘楼の斗組と大湯屋に用いられている。」p.195


 この本の解説では、南都のボス・興福寺の繁栄と没落の著述が印象的です。

「当時の中国「宗」様式を拒否。廃仏毀釈で取り壊しされた。」p.128


伝統と技術のバトルこそが文化になる。奈良に行きたくなってきました。南都六宗の内容についてはわからないままです。


本を買って読みます。