サブカル大蔵経71斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌』(集英社文庫)
雪深い東北。蔵と人。奇人・和田喜八郎の救い。古田武彦、三角寛、麻原彰晃…。使命と捏造。マスコミとうわさ。
単なる偽書騒動では済まされない深刻な社会問題の側面を持っていた。p.17
地域、マスコミ、全てを巻き込んで…。結局何もないところが何かにすがる構造。それは、私たちも同じ。
飯詰の人たちは皆、和田さんの家が江戸時代の文章が伝わるほど古い家柄じゃないことを知っています。p.64
この辺、コロンボなみに最初から犯人の詰めの甘さ出してます。
正直言うと私たちは外三郡誌の話がここまで大きくなると思っていなかったp.64
なぜこの偽書騒動が拡張したのか。それは人間と情報の関係そのものだからか。小さいことが世界につながるのはあっという間な現代。ウソに敏感なのに、ウソが好きな私たち。
和田と村長そして複数の編纂委員をつなぐ個人的な関係からいつしか生まれたのが外三郡誌を村史に取り入れようと言う計画。p.111
村長も大変だ…、では、どうやって判断すればいいのか。
一度は祀ったものなのだから、たとえ偽物でも仕方がない。p.159
引っ込めるのは難しい…
もともと何もなかったはずの石塔山荒覇吐神社を訪れていた大物政治家がいた。安倍晋太郎。安倍晋三首相の父親である。晋太郎は、和田らに東北蝦夷の首長である安倍一族の末裔と持ち上げられ、その気になっていたと言う。その結果、境内に残されたのが「安倍晋太郎先生墓参記念植樹」の標識である。晋太郎本人が神社を訪れ多額の寄付をした名残。晋太郎の死後も安倍ファミリーによる外三郡誌のゆかりの地の巡礼は続く。田沢湖町四柱神社への洋子夫人の訪問(1993年)である。p.182
ここまでたどり着くと、この問題の根深さのスケールが増してくる。本書を貫く粘り強さ…。しかしまさか安倍一族がからむとは…。その気になって…、人がいいのかな。ゴットマザー洋子夫人も…。
和田家文書には昭和初期どころか戦後の知識や言葉まで含まれているのである。「闘魂」プロレスラーのアントニオ猪木が自分のキャッチフレーズにした。ほか、洗脳・民活・超古代。p.219
闘魂は、猪木の発明ではなくて、たしか力道山先生の言葉だったかな。
1954年2月14日付東奥日報。アララ、カラマ仙人、老子、聖天狗、ガンダラ仏、阿閦如来、ムトレマイヲス、法相菩薩、求世観音像、他、役の小角の一代記、造形文字の古文書、仏舎利などが公開された記事掲載。p.258
この辺の無秩序感、この問題の本質であり、スキのような…。
なぜこのような記事が生まれたのか?この当時は和田さんがちょくちょく東奥日報五所川原支局に顔出していたんだよ。和田さんと言えばテレビや雑誌に出て地元ではちょっとした有名人だったからね。その和田さんがこんなものが見つかったと、わざわざ教えに来るんだ。なんか怪しいなと思っても面と向かっては言いづらい。和田さんはこっちが乗り気じゃないとわかると、その話を他の新聞社に持っていくと。一応外三郡誌は市浦村史資料編と言うれっきとした公的資料の1部として出回り、オックスフォードやケンブリッジ大学からも村史を送ってほしいと問い合わせがあったくらいだから、そこに安心感みたいなものを感じていなかったと言えばうそになる。それに他の新聞に先越されたら格好悪いし。p.263
箔付こそ人を騙す。仕方ないよな…。
梅棹にとっての関心事は真偽そのものより、反体制的な歴史観に彩られた謎の古文書が生まれ落ちた津軽という風土や、五流の偽書と専門家に揶揄されながらも、なぜ国内に広まるのに至ったのか、と言う事件のメカニズムにあるようだった。梅棹にとって外三郡誌は文化史的なアイテムだったのかもしれない。p.311
そのシステムは日本全土を覆っている、と梅棹は読んだはず。東北もか、と。
外三郡誌は鬱屈した東北人のルサンチマン的心情が結晶したもの。それが赤坂の目から見た実態だった。p.400
私もこの観点と結びつけたくなる。
外三郡誌に関わった誰もが傷ついていた。取材に当たって私も例外ではなかった。それがこの偽書事件の悲しい側面だった。だがわれわれは前に進まなければならなかった。どれだけ脛に傷がつき、額に傷がつこうとも、行くことを恐れてはいけない。p.403
地元だからこそ、地元を暴き、つぶす形に加担していくつらさ。記者が当事者の主人公だと、ツラいこと多い。少女殺人事件の『謝りにおいでよ』と似た構造か。
オウム真理教と外三郡誌。皇室の祖先こそ侵略者と言う反体制史観に彩られた外三郡誌にいち早く共鳴したのがこのオウム真理教にほかならなかった。p.422
サブカルチャーが時代を動かしてしまった。偽書もひとつのサブカルチャーのような気がしてきた。正史と偽史。何が正史か。経典なんかも偽経が動かした仏教史がありそう。
本を買って読みます。