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六つの扉のある家〈前編〉

美紀子は不動産屋の前に立っていた。
もう、通勤することもないから、駅から遠くても少し静かなところに引っ越ししようかな。

28年間、結婚もしないで働き続けてきた。
結婚したくなかったわけではないけれど、一度付き合った彼は転勤族で、仕事を辞めてついてきてほしい、と言われて断ってしまった。
その時は、私の企画が初めて通って、乗りに乗っている時だったし、一生転勤族で暮らすのも嫌だった。

その後どんどん仕事にのめり込み、恋もすることなく、気付けばこの年になってしまった。
「退職」この言葉を我が事として受け止めたとき、初めて一人を実感した。

貯金は十分にある。
これからどう過ごして行こう・・・

そんなことを考えていた時、不動産屋の中から、ひとりのおばあさんが出てきた。
住む家をお探しかね?
あ、はい。でも別にすぐとかじゃないんです。
どのあたりをお考えですか?
特に決めてないんですけど・・・

するとおばあさんは言った。
どこにでも住めるとしたら、あなたはどこに住みたいですかね?

そうですね・・・
本当は、自然がたくさんあった、子供の頃の私の家に住みたいわね。
でも、まあそれは無理だから、どこかの温泉地かしら?
南の島もいいわね・・・
美紀子は笑って言った。

するとおばあさんは、それならば、こちらの家はどうでしょう。
おばあさんが指さしたのは、白い壁の六角形の家の写真だった。
しかも、その六つの壁全部に、扉がついている。

え、何ですか?この家。
どこにあるんですか?というか、住みにくそうですけど・・・

おばあさんは、
この家は、あなたが住みたい場所に住むことができる家です。6回まで試して、一番住みたい場所に住めるのですよ。
あなたがイメージできるところなら、どんな所でも住めます。
いかがですか?

どんなところでも?
過去でも?未来でも?遠いところでも?

はい、どこでも

なんだか楽しそうね。
美紀子は「試せる」という言葉のせいで、軽い気持ちで契約してしまった。
ようは、6ヶ所試してみて、一番いいと思ったところに住めばいいということなのね。

その家は、今までそこにあることに気付いていなかったが、不動産屋さんのすぐ近くにあった。

おばあさんは言った。
「自分が住みたい場所をイメージして、どこか一つの扉を開けてください。
そうすれば、あなたの住みたいところに住めるはずです。
もし、他の場所がいいと思たら、入った扉から出て次の扉を開けてください。
ただし、1年以内に最終決定してください。
1年経ったら、入った扉は消失します。」

美紀子は、半信半疑ながら、気軽な気持ちで一つ目の扉に立った。
その扉の色は、夕焼けのようなオレンジだった。
美紀子は子供の頃見た、大きな太陽が真っ赤な空にしずむ光景を思い出した。
さすがに無理よね。過去に戻るなんて。そう思いつつ、昔の家の周りの風景を思い浮かべながら扉を開けた。
すると、そこは昔の自分の家の玄関だった。玄関横の昔壁だった場所が扉になっていて、そこから入ったようだった。
美紀子は、玄関から飛び出して外に出た。
家の外は子供の頃そのままの風景が広がり、美紀子は歓声を上げて、辺りを歩き回った。

しかし、そこに、3年前に相次いで亡くなった父母がいるわけではなく、コンビニも、ファミレスも、大型スーパーもない。スマホも使えない。夕方暗くなるころには、近くの商店も、米屋も駄菓子屋も、すべて閉まって、辺りは真っ暗になってしまう。
日曜日ともなると、どの店もお休みだ。
昔は大して不自由に感じていなかったのに、便利を一回覚えてしまうと、もう戻れないものなのね…
美紀子は3日もたたずに、オレンジの扉から出た。

やっぱり過去はダメよね。
現代で、周りに自然がたくさんあって、でも車で15分も走れば、買い物できるくらいの町があるところで、畑でも耕して生活したいな。
美紀子は、緑のドアの前に立った。  

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このお話は、「どこにでも住めるとしたら?」投稿コンテストがあると知り、どこにでも住めるとしたら、私はどこに住みたいだろう・・・と考えて作ったお話です。

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